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2012年09月26日
我が母の記
ツタヤのレンタルで井上靖の「我が母の記」を見た。映像を見ながら十数年前93歳の長寿を全うして亡くなった母のことを思い出した。母は老人性の徘徊と言うようなこともなく、最後は自宅の布団の中で静かに息を引き取った。亡くなるまでの半年間、近くに住んでいる姉弟達が日替わりの当番制にして毎晩付き添ってくれた。私だけ遠く離れているので勘弁して貰ったので、毎晩付き添う姉弟達の苦労は知らず仕舞いである。仕方の無いこととは言いながら今でも申し訳ないと思っている。元気な頃は毎年春秋の季節の変わり目に一人でやって来ては、箪笥の中味をひっくり返してほつれたり破れている物は繕い、次の季節用に全て入れ替えてくれた。一週間ほどで仕事を終わるとさっさと帰って行った。帰る日の前は鬱蒼と茂る庭を眺めて、「わたし、この景色を目に焼き付けてゆくんだわ」、そう言ってじっと佇んでいた。今でも庭を眺めるとその時の母を思い出す。さて物語の方は徘徊を繰り返し、その度に家族の者は振り回され大変な思いをする様子が克明に描かれ、ひとごとではないな~と思った。誰でもそうなりたくて成ったわけではいのだが、懸命に介護する家族の姿は、羨ましいかぎりである。私のように天涯孤独で家族も何もないものは、願わくば人に迷惑を掛けぬようさっと死んで行きたいものだ。つい最近京都の師匠が90歳で遷化された。18歳から33歳までの15年間お世話になった。僧堂在錫中だったから期間を合計しても2,3年くらいのものだが、様々な想い出が去来した。ある真夏の盛り、畳を乾してほこりを叩き出そうと言うことに成り、ふたりで重たい畳を1枚1枚吊っては棒でぱたぱた叩いた。ところがやっているうちに暑いわ重たいわほこりまるけになるわでふたりとも嫌になってきた。すると師匠は、「こんなぶらぶらやっていると嫌になるから、勢い付けてやろう!」と言うやいなや、突如奇声を上げて叩き出した。私も調子を合わせて、ふたりでまるで気が狂ったように叩いて叩いて叩きまくった。成る程こうすれば暑いの重いのなんて何処かへすっ飛んで、瞬く間に仕事は片づいた。静かにまるで眠っているような師匠の顔を見ながら、遙か昔のそんなことがふと頭をよぎった。
2012年09月22日
カルチャーの違い
国によってものの考え方が違うと言うことは良くあるもので、これだけグローバルな時代になっても尚、驚かされることがある。最近ロンドンへ行き友人に大変お世話になった。旅も終わっていよいよ帰国という当日、滞在したホテルの2Fから大きなトランクを降ろして彼の迎えの車を待つことになった。前日別れ際に、「トランクは重いですから私がおろしに参ります」といった。有り難うと一応言ったものの、あまり意に介せず当日時間もあったので階段をゴロゴロ引きずって下の受付まで降ろして彼が来るのを待機した。ホテルの前の道に車をちょっと停車させてトランクを積み込めれば何も慌てる必要は無いわけだが、それが出来ないのだ。ロンドン市内の厳しい停駐車規則を知らない者には、何と不都合なと思う。市内はいくつかのエリアに分けられていて、車の所有者のエリア内なら問題は無いが、他のエリアの者がちょっとでも路上に停駐車させようものなら、ものの1分も掛からぬうちに専門の摘発会社の社員が目を光らせて居て直ぐ約1万円ほどの罰金を取られる。日本では5,6分くらいならまず大丈夫と考えるが、幾つ摘発して罰金を徴収したかで給料が決まるので、鵜の目鷹の目で見張っており、だいたい30秒が限界らしい。こういう特殊な事情があるので、彼はわざわざ歩いて私のトランクを下まで降ろし、もう一度家に帰って車で迎えに来て、さっと電光石火積み込むという段取りであったのだ。わざわざそんなことのために行ったり来たり2度もさせるのは気の毒と思い、気を利かせたつもりで自分で降ろしたのだった。降ろし終わって猫と遊んで待っていたらそこへ彼が颯爽とやって来た。見ると既にトランクがフロントに降りている。むかっ!としたらしいが、何も言わずに直ぐとって返し車でやって来た。日本では時間を約束をしたら、例えば人の家にお邪魔する場合など、12時と決めたらだいたい15分から10分くらい前に到着するのが常識で、万が一にも約束の時間を遅れるというのは大変失礼に当たる。ところがイギリスには約束の時間を30分遅れて行くのが最も良いという言葉があるそうだ。だからこの場合も11時にトランクを降ろしに来ると約束したのだから、こちらは少なくとも2,30分はじっと待つのが良いというわけである。ましてや先に降ろしてしまうのは最も礼儀に反する行為なのだそうだ。この話には驚いた。日本の常識がイギリスでは非常識に当たるのである。まっ、たったこれだけの遣り取りでのことだから。目くじらたてて言うほどでも無いが、カルチャーの違いを感じた。世の中インターネットで瞬時に世界中のことが解るような時代になった。しかし現地で生活してみなければ解らないことが沢山あるのだと言うことを知った。
2012年09月19日
1ケ月ぶり
8月18日以来丁度1ケ月ブログの更新が無く、いろいろな方より、「どうしたんですか?」と言うご心配の声。実は8月下旬13日間もの長期にわたりロンドンの友人の処へ出かけておりました。帰国後は留守中溜まった仕事の片付けやら、東海庵の開山忌や京都の師匠の葬儀等々で、ばたばたしているうちにブログを書いていたということも忘れてしまったという次第。今日親戚の者から指摘され、あっ!そうだった!と思いだしたというわけで、こうして書きだした。さて外国に出ると改めて日本が解ると言うことがあるが、今回もいろいろ良い勉強が出来た。友人のお陰で何不自由無く快適に過ごすことが出来、さらにいろいろ話をするうちに気づかされたことも多く、矢張り現地に行ってその空気を吸ってみなければ駄目だと言うことも解った。今までの旅でイギリスで有名な観光地は殆ど見物したので、今回はずっとロンドンに腰を据えてのんびり過ごした。毎日広大な公園をあっちこっち運動を兼ねて散策して廻った。市内の公園は何処も広く、ちょっと廻ってくるだけでも1時間2時間は掛かってしまう。あるときは鬱蒼とした森の中に迷い込んで完全に迷子になって途方に暮れたことがある。公園で迷子になって戻ることが出来なくなるなど、日本では考えられないことだが、そのくらい大きいのである。そこで太陽を見て、午後6時頃だったからそちらが西になるわけで、出発地は東だったので、天体観測で歩き、ついに元の場所に戻ることが出来た。又友人との遣り取りで、カルチャーの違いに愕然としたことがある。まるで日本とは反対なのである。又宿の猫、(虎模様なので私は勝手にトラと名付けていた)と大の仲良しに成り、私が帰り、「ちょっちょっ!」と舌打ちして呼ぶと何処からとまなく飛んでくる。膝の上にちょこんと乗っかって、撫でてやると嬉しそうに喉をゴロゴロさせて、「おじさん!大好き!」と言っているみたいだった。猫相手だと英語を喋らなくとも日本語で通じるのが良い。一人きりの毎日だったからこのトラには本当に癒やされた。いよいよ帰ると言うときに庭に出てみるとトラの姿は無い。もうこれで永久にお別れになるのに、最後に会えず仕舞いなのはちょっと心残りだな~と思い、ちょっちょっ!と呼んでみると、どこに居たのか、すっ飛んできたではないか。いつものように背中とお腹を撫でてやると地面に転がって思いっきり伸びをして、次に膝の上に乗ってまん丸になり、喉をごろごろ鳴らした。もうお前とはお別れだが、「元気で長生きしなよ!」と言った。まっ、いろいろ面白いことも沢山あったが、良い気分転換の出来た旅だった。