« 2012年10月 | メイン | 2012年12月 »

2012年11月20日

癒やし

今日机を整理していたらぽろっとメモが落っこちた。以下はそこに記されていた文である。良いことが書いてあるのでご紹介させて頂く。「癒やしというと、苦しかったことが癒やされて楽になることのみが意識される。しかし実際はむしろ苦しみを深めることが先に求められる。新しいものの創造には苦しみが伴うからである。苦しまずに癒やされることはない」。

投稿者 zuiryo : 15:31 | コメント (0)

2012年11月18日

本堂・書院落慶式

私が嘗て2年ほど看護を命ぜられたことのあるお寺が立派に新築、今日はその落慶式に出かけた。お世話になった道場の直ぐ近くの寺で、お檀家もあまり多くなく、田舎寺でもあり、よくぞこんな立派に本堂書院が完成したものだと驚かされた。しかも発願された住職は既に86歳という高齢の方、大抵は大きな事業は控えて、自分の身の回りの始末だけに目が向く年齢である。この願心と身を捨てて事に当たる志の高さに改めて頭が下がる思いであった。私などはその方に比べればはな垂れ小僧のような者だが、この頃はちょっと草臥れてきたな~!などと思っている。本当に恥ずかしくなった。法要の後の挨拶で言って居られたが、これは全て僧堂でお世話になった師匠への報恩の行であると言う。都合の良いときだけ思い出して、口先だけで師匠師匠!と言うのとは訳が違う。これは自分自身に対する戒めと感じた。師匠も83歳の高齢まで現役の管長として責務を全うされた。こういう立派な方々を目の当たりにすると、我が慢心に痛棒をくらった気がした。昨日は終日じゃじゃぶりの雨と風で、どうかしらと心配したが、今日は一転、朝から晴れ上がった。矢張りこういう徳を積まれる方には天も感応して、お天気まで晴れ上がるものなのだと思った。

投稿者 zuiryo : 21:22 | コメント (0)

2012年11月11日

尊厳死

先日一ケ月遅れの達磨忌(10月5日正当は開山忌と重なるために11月にずらしている)を行った。法要の後は例によって出斎があり、山内の和尚さん方と食事をした。そのときたまたま寿命の話になった。6人のうち二人の方が72歳、次が私で70歳、後は2,3歳くらいの差で少し若い方々という年齢構成である。そこで私が、「みんなは幾つまで生きるつもり?」と問うと、72歳組は異口同音に、「まっ、だいたい75歳くらいまででしょう」と言った。「ええっ!それでは後2,3年しか残ってないじゃないですか!」と言うと、その通りだと涼しい顔をして言うでは無いか。これには驚かされた。「男の平均寿命は約80歳だから、せめてそれくらいまでと考えないのですか?」と言うと、考えないと言う。一人の方はずっと以前より自分の寿命はだいたい70歳と考え、年金も60歳から前倒しで貰っているのだそうだ。しかし70歳を超えて尚生きているので、貰う年金額が半額くらいになったという。これはちょっと予想外だったそうだ。しかしこの遣り取りで、何と欲の無い淡々とした生き方なのだろうかと感じた。私の場合は父が80歳、母が93歳で亡くなったので、二人の年齢を足して二で割ると、86,5歳となるので、自分はそのくらいまでは生きられると何となく思っている。「75歳で良いなんぞと思わずにもっと意欲を出してお互い長生きしましょう!」と申し上げた。医療技術の発達で、本人の意思に拘わらず、体中にチューブを巻き付けて延命措置が図られることに皆、絶対にそれは嫌だと言う話になった。知り合いの方の場合も体中チューブだらけ、植物状態で2年以上生きたが、それが本当に生きたことになるのかと思う。しかしそういう場面になったら本人が解らないうちに医者の方でどんどん措置をして行き、結果的には植物状態で生き続けなければならない。そこで私が提案して、「尊厳死協会」というのに入って、予め自分の意思を明確にしておけば、自分に代わって協会の人が拒否してくれるから、皆入りましょうと提案した。食事が終わって早速インターネットで検索し、申込用紙をプリントして山内和尚に配った。手回しが良すぎるかな~とも思ったが、死はいつやって来るか解らないから早いに越したことは無い。以前信者さんのおばあさんがこの会に入って居られ、話を聞いたことがあり覚えていたのである。70歳は古希というから、ぼつぼつそういう支度もしておかなくてはいけないと思ったわけである。知人友人が次々にガンでたおれて行く有様を見ていると、死はそんな遠くの話では無いような気がしてくる。備えあれば憂いなし、何事も準備は早いに越したことはない。

投稿者 zuiryo : 20:41 | コメント (0)