« 2013年04月 | メイン | 2013年06月 »
2013年05月29日
合斎会(がっさいえ)
今日は例年の僧堂創建隠山禅師の毎歳忌と合わせて先住と先々住老師の法要を勤めた。例年、隠山さんの毎歳忌だけだと出頭する和尚はきわめて少なく、感謝が足らん!と思っていたのだが、今年は先住さんの法要を合わせてやったところ、何と本堂に溢れるばかりやって来た。やはり人間は200年も前の立派な禅師より身近に謦咳に接した生身の人の方が尊いと言うことなのだろうか。勿論これも大切なことだが、我々禅の修行をする者は、例えば一千年以上も前の中国の祖師方の語録祖録を通して、直にその境界に触れることである。実際には全くお目にかかっていないわけだが、生身にお目にかかるより以上に、ダイレクトにその謦咳に接する思いになる。これが修行というものである。義理や人情などはないがしろにして良いなどと言うつもりはないが、なんだかこういう集まり方は修行者としては違うんじゃないかと感じた。勿論平生からこの日にはいつも出頭される方もおられるので、一律に評するわけにはいかない。沢山来て下さって有り難かったが、ふとそんなことが頭を巡った。
2013年05月25日
三社参り
飛騨古川という所には三社参りというのがあって、まだ雪の積もっている酷寒の季節1月15日夜、親鸞聖人のご恩を偲び三つの寺に詣でる習慣が三百年以上前からずっと行われている。若い娘さんたちは着物で着飾ってお詣りすると良い縁が叶うと言われて、今でも盛大にこの行事が行われている。この話とは少し違うが、岐阜にも三社参りというのがあって、毎年4月上旬に、伊奈波神社・金(こがね)神社・橿森神社の三社を順番に参る習わしがある。伊奈波神社の神様はイニシキイリヒコノミコト、金神社の神様はヌノシヒメノミコト、橿森神社の神様はイチハヤオノミコトと言い、イニシキイ…とヌノシヒメ…の間に生まれた子供がイチハヤノミコトなのだそうだ。伊奈波神社がお父さん、金神社がお母さん、橿森神社が子供というわけである。なるほど神社の規模もお父さんの神社が一番大きく子供の神社が一番小さい。例年の大祭では冷たい早春の風が吹き抜ける通りを行列を作ってゆるゆると練り歩く。三つの神社の総代さん方は本当に難行苦行でご苦労様といつも思う。神様は土地を護り地域の人々の幸せを願っているので、三本の矢の話ではないが、家族力を合わせ支え合って生きることの大切さを改めて感ずる。以上は橿森神社の鳥居が新築された記念に頂いた「三社ものがたり」より抜粋したものである。
2013年05月18日
橿森神社
うちの地続き(小さな山を挟んで)に橿森神社がある。明治6年、神仏分離令が発布されるまでは瑞龍寺が管理していた。こういう例は日本国中沢山有って、四国の或る寺などは全く同一境内に右側にお寺、左側に神社が建っているところもある。日光の東照宮と輪王寺の百年続いた境界争いなどもこういう典型である。さてこの神社、十数年前の台風で鳥居が根元からボキッ、ぶっ倒されてしまった。神社の象徴のような朱塗りの鳥居がなくなると、何とも間が抜けてしまった。横の空き地に壊れた鳥居の残骸が青いビニールシートに覆われ積んであった。この神社は氏子の数が2,30戸と極端に少なく、柳が瀬という繁華街の近くという立地の良さにもかかわらず、平生のお参りはほとんどなく、鳥居の再建も容易ではない。10年ほど経った頃、鳥居のあった場所に大きな看板が立った。再建計画案で、完成予想図と総額予算1億何千万円也が記されていた。無理、無理、無理、無理!失礼ながらそれが実感だった。さほど大きくもない鳥居が一億円以上もかかるというのにも驚かされたが、神社の実情を知る私にとっても、この計画そのものが無謀に思われた。間もなく氏子の一人が寄付をお願いしますとやってきた。過去の経緯もあるから少しだが気持ちよくさせて貰った。そんなことがあってから何年も経過して、なお再建の槌音は聞かれずじまいだった。やっぱり無理だよな~。ところがここへ来てにわかに鳥居の工事が始まりあっという間に立派に完成した。これには驚いた。どう工面したのかは聞いていないが、神仏に対する人々の思いの深さを改めて実感させられた。
2013年05月15日
太った僧侶
これはタイのお話。近年タイでは太ったお坊さんが増え健康状態に黄信号がともっているそうだ。インスタント食品や出来合いのお総菜がパックになった「お供えセット」などの高カロリー食品が信者さんのささげる食べ物の主流になってきたためだそうだ。ご存じの通りタイでは日本の托鉢と違って、調理済みの食べ物を鉢の中に入れる。受け取った食べ物は鉢から大きな袋に次々に移し替える。白米やおかず、即席麺や栄養ドリンク等々、みるみるうちに一杯になる。かつては自炊した物を捧げたのだが、時代の流れとともに人々の生活も変わってきた。朝は忙しいけどお供えはしたい。そこでセットが便利で助かるという次第。市民は捧げることで徳を積み、自分や家族の幸せな来世にもつながると信じている。塩分や糖分が多いと分かっているが教えにより受け取りを拒否したり選んだりは出来ない。一方僧侶は戒律によって激しく体を動かすことが禁じられているため、一般市民のような健康管理は不可能。体重を気にする北部チェンマイのある僧は、深夜こっそり室内でトレーニングマシンを使って走っているそうだ。タイ保健省によると、2007年実施した調査では、全国で27万人いた僧侶のうち45%が太り気味か太り過ぎ。糖尿病・高血圧のほか、体重増加による関節の痛みなどが増加という。僧侶の健康を気遣うことこそが幸せな来世に繫がると、塩分を控えたお供え用料理レシピをまとめた写真付き冊子を作成し市民へ配布を始めたそうだ。日本の僧堂で修行する雲水の場合、肥満などと云うのはまるで別世界の話で、むしろ飢えとの戦いである。タイの上座部仏教と日本の大乗仏教のちがいである。雲水修行では、昔は托鉢に点心が付いて、信者さんのご厚意で昼食を頂いたものだが、近年はこういう制度もなくなってしまった。私も雲水時代の体重は57キロで、胸は洗濯板のようだった。ちょっとタイのお坊さんが羨ましくなった。
2013年05月10日
多様な視点
山極寿一さんと言うゴリラ研究の第一人者が興味ある文章を寄せられていた。『芥川龍之介に「桃太郎」という短編がある。桃太郎がサル、イヌ、キジを連れて鬼ヶ島に征伐に行く有名な話を鬼の側から描いた話である。豊かで平和な暮らしを突然たたきつぶされた鬼たちがおそるおそる、何か自分たちは人間に悪さをしたのかと尋ねる。すると桃太郎は、日本一の桃太郎が家来を召し抱えたため、何より鬼を征伐したいがために来たのだと答える。鬼たちは自分たちが征伐される理由がさっぱりわからないまま皆殺しにされてしまうのである。笑い話ではない。つい最近まで、これと同じ事が起きていたのである。アメリカインディアンは白人とみれば理由もなく襲ってくるどう猛な民族で、撃退し滅ぼすことが美談とされた。しかしこれらの考えが土地を侵略した側が作った身勝手な物語であると分かってきた。不公平な取引をさせられ、伝統と文化を捨てさせられた人々が抵抗している姿を、悪魔の仕業のように語っていたのである。今もこうした誤解に満ちた物語が繰り返し作られている。9・11の後、アメリカはイラクが大量破壊兵器を持ち世界の平和を脅かすと決めつけ戦争を始めた。人間は話を作らずには居られない性質を持っている。言葉を持っているからだ。私たちは世界を直接見ているわけではなく、言葉によって作られた物語のの中で自然や人間を見ているのである。個人は皆優しく思いやりに満ちているのに、なぜ民族や国の間で敵対関係が生じるのか。物語を作り手の側から読むのではなく、多様な側面や視点に立って解釈して欲しいものである。新しい世界観を立ち上げる方法が見つけられるはずである』。昨年来、中国での抗日デモの凄まじいばかりの様子を見ていると、山極先生の話がいっそう身近に感ぜられ、日本人も中国人も双方高い見識を発揮して欲しいと願うばかりである。
2013年05月05日
山歩き
午後久しぶりに裏山歩きをした。鬱蒼とした木立に覆われた山道は新緑が目に染みるようだ。5月というのに小寒い日が続いていたが、今日はぽかぽか陽気風も心地よかった。山道沿いに何本も桜の木が植えられているのだが、勿論花はとっくに散っているが、大半の木が枯れて哀れな状態になっていたのには驚かされた。これらの桜は或る老人が一人でせっせと植林して桜並木を作ったのである。数年前に亡くなったが、頑固一徹、結構強引な人だった。邪魔になる回りの大木は根元の表皮をぐるりはぎ取り次々に枯らしてしまい、市役所の人もこれには参ったな~と言っていた。保安林に指定されている山なので勝手な植林自体禁じられているのだが、そんなことには耳を貸さないばかりか、梅雨時桜に虫が付くから消毒しろとねじ込んで来る始末。何せ山奥のことだから消毒と言っても麓から長いホースを繋がなければならず、これだけでも大変な労力だった。問題老人が亡くなってさぞほっとしているに違いない。岐阜の山を桜で一杯にすると言うこと自体は悪いことではない気もするが、地形や土地が桜に適していないため労多くして功少なしであった。老人はどれほどの労力を注いだかしれないが、死後あっという間に枯れ木の山では、あれは一体何だったのかと思う。老後の唯一の生きがいだったから、楽しみでやっていたのだろうが、どこかが間違っていたのではないかと思う。今や桜の枯れ木が延々と続く山道を歩きながら考え込んでしまった。
2013年05月01日
小犬いかがですか?
愛犬ハチが死んで早2年半が経った。このところハチとの思い出も少し薄らいで、最近はノラクロに肩入れしている。ところがお節介な人が居て、コッカスパニエルとか言う小型犬が知人のところで3匹も生まれ、もう少し大きくなったら貰ったらいかがでしょうかという話。正直グラッときたが、いったん飼ったら死ぬまでは面倒を見続けなければならない。これからでは犬より私の方が先に死ぬ。毎日律儀に散歩に連れて行くのも億劫である。以前のような元気が、もうこっちにはない。下手に飼って犬に可哀想なことをしたらいけないから、心を鬼にしてやめることにした。スマートフォンに愛くるしい小犬が写っていて、それを見せられたときには、振り払うのに苦労した。やっぱり止めだ止めだ!