« 三社参り | メイン | 腰痛 »

2013年05月29日

合斎会(がっさいえ)

今日は例年の僧堂創建隠山禅師の毎歳忌と合わせて先住と先々住老師の法要を勤めた。例年、隠山さんの毎歳忌だけだと出頭する和尚はきわめて少なく、感謝が足らん!と思っていたのだが、今年は先住さんの法要を合わせてやったところ、何と本堂に溢れるばかりやって来た。やはり人間は200年も前の立派な禅師より身近に謦咳に接した生身の人の方が尊いと言うことなのだろうか。勿論これも大切なことだが、我々禅の修行をする者は、例えば一千年以上も前の中国の祖師方の語録祖録を通して、直にその境界に触れることである。実際には全くお目にかかっていないわけだが、生身にお目にかかるより以上に、ダイレクトにその謦咳に接する思いになる。これが修行というものである。義理や人情などはないがしろにして良いなどと言うつもりはないが、なんだかこういう集まり方は修行者としては違うんじゃないかと感じた。勿論平生からこの日にはいつも出頭される方もおられるので、一律に評するわけにはいかない。沢山来て下さって有り難かったが、ふとそんなことが頭を巡った。

投稿者 zuiryo : 2013年05月29日 20:26

コメント