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2013年11月22日
サッカー
サッカーも一時の騒ぎは収まって、近頃は観客動員もイマイチらしい。ヨーロッパや中南米のサッカー熱に比べると、あの激しさは日本人向きではないのかな~と思ってしまう。J1・J2,最近はJ3まで作ろうという話が出ているそうだが、本当に大丈夫?と考えてしまう。というのは、岐阜にもJ2傘下のチームがあるのだが、毎年びりっけつで、J2残留が危ぶまれている状態。今年も最終戦で負けてしまったのだが、ほかのびりっけつも同時に負けたので、辛くも残留が決まったという。毎年何億という借金で、本部からはチームの存続を問われている状態である。今日歯医者さんへ出かけ、待合室で壁を眺めていたら、「FC岐阜」の大きなポスターが張ってあった。先生はけなげにも超弱小チームを一生懸命応援し支えている一人なのだ。以前のポスターは選手たちが居並ぶ写真の上に、墨痕も鮮やかに「岐阜力」と、でかでか書かれていた。ところが今日見ると、「アキラメナイ」になっていた。な~るほど!チームの現状を如実に表していたので、思わず同情を禁じ得なかった。それならお前も率先して試合の観戦に出かけたらどうだ!と言われそうだが、どうも私はサッカーは好きになれない。ワールドカップの時だけは夢中になってテレビ観戦をするのだが、J1の試合なども見たことはない。それにしても岐阜人というのはサッカー好きが少ないのだろうか。ポスターの選手の真剣な眼差しと「アキラメナイ」を眺めながら、私もちょっと考え直さなければいけないかな~と思った。
2013年11月10日
新婚旅行
つい先日ある人の友人で、南アフリカの若夫婦と一緒に食事をした。彼らは既に二ヶ月前から新婚旅行を続け、イギリス・フランス・アメリカ、そして日本にやって来たのだそうだ。東京を振り出しに、京都・大阪・奈良、長野では信州そば、馬刺しも食べたと言う。松本城では英語ガイドを見つけ詳しく説明も聞けてとても良かったと言っていた。旦那は南アフリカ人、奥さんはフランス人、こんなに離れた二人がどうして結婚することになったのか聞いてみると、奥さんはイギリスのオックスフォード大学出身、旦那もイギリスの大学出身で、そこで巡り会ったというのである。例えれば、北海道の人と九州の人が共に東京の大学に進み、そこで二人が巡り会い結婚したと言うようなことである。アフリカを含めヨーロッパ全体が一つの国のような感じである。既に二人とも仕事を持っているわけだが、半年間新婚旅行を続けほぼ世界を一周するという。これからタイ・カンボジャ・インド・ロシヤを回るのだそうだ。このスケールの大きさもさることながら、よくもそんな長期間休暇が取れるものか不思議に感じ、どういう仕事をしているのか尋ねると、「顧問」だと言う。顧問とはどんな仕事なのかその内容までは聞かなかったが、いずれにしてもこの優雅なこと、羨ましい限りである。しかも驚かされたのは、それぞれの国のどこが見所なのか徹底的に調べ研究してやって来ていることだった。ただ漫然と行き当たりばったりではないのだ。日本人の私が聞いても驚くほど日本の事を調べ尽くしている。二人とも優秀な頭脳の持ち主と言うこともあるのだろうが、純日本料理で接待したが、箸も巧みに使い、お酒も本当においしいと言ってグビグビ飲んだ。しかも食事の間中二人を見ていて実に感じが良いのだ。お寺に来たとき、おうすと和菓子をお出しし、暫く話をしてから坐禅を組んでみるかというと、是非と言うので大衆禅堂に案内し少し一緒に座った。この雰囲気は最高だと絶賛し何枚も写真を撮っていた。二人がやって来てお別れするまでわずか数時間の出来事だったが、何とも清々しい若者夫婦で、こちらも良い気分になった。
2013年11月01日
東北親化授戒会
10月下旬、前後4日間岩手県の北上市へ授戒会(じゅかいえ)に行ってきた。東北教区では約10年ぶりだそうで、二日間各々二百人ほどの檀信徒が集まり、終日行事に参加して頂いた。戒師は本山の管長猊下で、私の役はその補佐のようなものであったが、さすが東北の方々は真面目で丁寧で律儀で、すべてに心が籠もっていて、かえってこちらの方が教えられることが多かった。この行事はお世話する和尚さんが沢山必要で、秋田・岩手・青森から遠路かけつけて甲斐甲斐しく細かなところに至るまで、お手伝いをしておられた。この中には、嘗て私と共に道場で一緒に修行した者や、近年岐阜の私の道場で雲水修行した者など、久しぶりにお目にかかることができ、楽しいひとときを過ごした。雲水修行のときはお互い自分のことで一杯だったから、人間的な付き合いなど殆どなく、相手がどんな事情を抱えながら修行していたなど全く知らなかった。月日が経ちそれぞれの立場で苦労を積み重ねると、また全然違った話が出来るのは有り難いことである。これもこういう機会を与えられたからこそで、元気で長生きすることだと思った。ところで泊めて頂いたホテルは九階だったのだが、一日目の深夜、震度四の地震に出くわした。始め少しゆらゆら揺れだし、そのうちますます揺れは大きくなり、このまま行ったらどうなるか青くなった。じっとしているより仕方なく、こんな怖かったことはなかった。やがて収まりほっと安堵の胸を撫で下ろした。