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2013年12月06日
唯識
私のような無学の者にも不思議な縁で、友人に唯識の学者さんが居る。先生が上梓した唯識辞典なども頂いたのだが、ちんぷんかんぷんで、猫に小判。以前NHK教育テレビに出演され、1年間唯識についての講義があった。最初は義理で見させて貰ったが、話を聞いているうちにノイローゼになりそうだったのでついに断念した。いつだったかひょっこりお寺にやって来て、久しぶりにお喋りをしたことがあった。最近は殆どお目にかかることもなくなったが、12月に干支の色紙をお送りしている。その礼状と共に目下先生が関係している「立教セカンドステージ大学」のニュースレターに寄稿された巻頭語を送って下さった。一部引用させて頂く。[・・・地獄とは自他対立の世界を言い、自他一如の世界が極楽です。世間の荒波の中で浮きつ沈みつしながら生きてきた方々はいわば地獄で生きてきたことになる。人生の道に一息ついたら、心を静寂にして、自分しか背負うことの出来ない自らの心の中を観察する時間を持って下さい。無条件・無理由に心の底から湧き出てくる声に、命令に耳を傾けて下さい。それは新たに自覚することです。自覚とは自分に目覚めることです。その目覚めによって、自我執着心の薄まった生き方、あの宮沢賢治の、雨ニモマケズのなかの、「アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニイ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソウシテワスレズ」他者のために東西南北に奔走する生き方が可能になります。これからの人生を尽きることない情熱を持って、自由に爽快に生きて生きて生ききって下さい。」
とこのような文章を拝読しながら、古希を過ぎてもなお、地獄の真っ只中で七転八倒している自分はいったい何なんだと、考え込んでしまった。
投稿者 zuiryo : 2013年12月06日 20:58