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2014年01月29日

牡丹

毎年、年末になると会下(えか)の和尚さんから寒牡丹の鉢植えを頂く。有名な島根県の大根島産のものである。今年も真っ赤な大きな花が三輪みごとに咲いて日々楽しませてくれている。はじめは小さなつぼみで、次第に割れ目から赤い色が見えてきたと思ったら、たちまちぐんぐん巨大になり、あっとうまに大きな深紅の牡丹が咲きそろった。まあ見事なことと言ったらない。友人に見せたら、「何でスケッチしなかったんですか!」と言われてしまった。ごもっとも、今更気が付いても後の祭り。幾重にも重なる花びらはスケッチに相当苦労すると思うが、鉢を目の前に置いて描けるのだから、野外で寒風にさらされながら描くのを思えば、どれだけ楽か解らぬ。来年はこの指摘を忘れずに是非描こうと思っている。私はどうも熱しやすく冷めやすい質なのか、何年か前までは手当たり次第スケッチしまくったことがある。まさにスケッチ病である。描くものがなくなると机に置いてある消しゴムから鉛筆まで、描きまくった。ところがほとぼりが冷めたらまるで無関心、今回のように花の王様牡丹を目の前にしても、この有様である。こういう悪い性格は直さなければならないと深く反省した。

投稿者 zuiryo : 20:27 | コメント (0)

2014年01月27日

ミシン

僧堂は夏末(げまつ)大接心も終わっていよいよ制末行事の起単留錫や夏末衆評、講了、隔宿諷経等々が目白押しである。その合間を縫って今度ミシンを買った。私はずっと白衣や襦袢、作務着等の繕いは専ら針でチクチク縫っていた。ところが近年老眼甚だしく、旨く針の穴に糸が通らなくなった。苦心惨憺の末漸く通ったので、糸は出来るだけ長くして、縫い始めると間もなく絡まって、結局途中でぷつんと切る羽目になる。そのうち針を指に刺して血がしたたり落ちると言うようなていたらくである。そこでミシンを買おうとなったわけ。通販で申し込むと数日後ブラザーミシンが送られてきた。早速梱包を解き中身を出して解説書を読むと頭が痛くなった。こういう面倒くさいのは大嫌い。そこでメカに強い(近頃のミシンときたらまるで電子機器)雲水にセットして貰い、縫い方もコーチして貰った。午前中、白衣を洗濯し、干してアイロンを掛けた。案の定あっちこっちが綻びている。いざミシンである。びゅ~んと瞬く間に縫い上がった。や~嬉しいの何のって、こうなったら僧堂中のほころびを縫いまくってやろうと、俄然元気が出てきた。

投稿者 zuiryo : 16:48 | コメント (0)

2014年01月13日

知的好奇心

大変親しくさせて頂いていた和尚さんが亡くなられ葬儀に出掛けてきた。私より5才上で、随分あっちこっち奥さん共々旅行にご一緒させて頂いた。多趣味な方で、蘭の栽培・天体観測・語学の勉強等々、私が知っているだけでも実に多方面に興味をお持ちで、いつも感心させられた。中国へ祖跡巡拝旅行中バスの移動で夜高速道路を走っていたら、突然「あそこを見て下さい!」と言う。真っ暗闇の空、指さす方向にきらきら輝く物体、「あれは宇宙船です!」と言うではないか。「よく和尚さんはそれが解りましたね」と言うと、旅行に出立する前から、宇宙船の動きを調べ、この場所でこの時刻ならあの位置に宇宙船が見えるはずと解っていたのだという。以前ハレー彗星大接近の時も、真夜中遠くまで子供を連れて見に出掛けたと言っておられた。まあ星の話一つにしても本当に詳しいのには驚かされた。旅行中中国語の本を片手に現地の人に話しかけていた。NHKラジオ中国語講座でもう何年も勉強しているのだそうだ。かくの如く好奇心はあらゆる分野に及んでいるのだから驚きである。大きなカメラを常に携帯され、ぱちぱち撮っていた。この写真の出来映えがまた素晴らしく、一回旅行が終わると膨大な数の写真をアルバムにされていた。また奥さんも実に良きパートナーで、名コンビだった。もう一緒に旅行出来ないのかと思ったら、無性に寂しくなった。お棺の中に静かに眠る尊顔を拝したら、仏さんのような良い顔をしておられた。止めどもなく涙が流れた。門送のとき北風がびゅ~びゅ~と吹き、心の奥まで冷たくなった。

投稿者 zuiryo : 15:14 | コメント (0)

2014年01月11日

初釜

毎年正月は松尾流の家元の初釜があって名古屋に出掛ける。最初の頃は家元の茶室でお濃茶のお手前があり、その後食事を頂いて帰るというものであった。ところがずっとご一緒していた方がだんだん膝が悪くなって近年は私一人で出掛けるようになった。また家元の茶室でのお手前も様変わりして、あるホテルで催されるようになった。まっ、これはこれで、若い方々が気楽に参加できるようになって良い面もある。新年会のような雰囲気になったわけである。その会では家元の後で未熟者が何か少し話をしなければならない。今年は午年なので「驢を渡し馬を渡す」を話した。橋は好き嫌いなく誰でも渡す。ところが現実にはこうはいかない。むしろ渡したくない奴ばっかりなのだ。「気に入らぬ風もあろうに柳かな」と言う句がある。どうしてこうも気に入らぬ風ばかり吹くのだと思いたくなるのが現実だが、ちょっと視点をずらすと、この世に気に入らぬ風など何に一つないと解る。ゆらゆら揺れる柳を眺めながら、これだな!と気が付いた。

投稿者 zuiryo : 15:37 | コメント (0)

2014年01月06日

個食

私の生まれ育った家は田舎の小さな商店で家族6人とばあやさんという家族構成だった。食事はいつも全員集合、戦後間もない頃だったから質素なものだったが、皆で顔突き合わせ、お喋りしながらそれは賑やかだった。「美味しいね!」と言いながら食べればどんな食事も美味しくなった。私はその後お坊さんになり、雲水修行に入り、住職してからもいつも一人きりだった。だからいわゆる個食で、72歳になった今なお個食生活が続いている。尤も鎌倉に住職していた一時期、母と二人で生活したときもあったので、そのときは話し相手が居て食事するのは良いものだと思った。表題の個食とは家族が居ても食事はばらばらで、勝手に食べたいときに食べたいものを冷蔵庫から出して食べると言うことである。全員自分のペースで生活しているので、その方が煩わしくなく合理的と言うことなのかもしれない。しかしこれが実は大変な弊害を生む素地になっているという。人間の食事は単なる餌ではない。特に子供にとって食べ物を与えてくれる人は世界を与えてくれる存在なのである。その人が居なくなったら子供の世界は消滅してしまうのだ。それほど食べ物を与えるという行為は子供にとって神聖にして侵すべからざるものなのである。食物が溢れたやすく手に入る現代の私たちは、子供たちを食べさせることを余りに軽んじては居ないだろうか。

投稿者 zuiryo : 20:17 | コメント (0)

2014年01月04日

日常底

年末年始の諸行事も昨日で済んで、今朝から通常のスケジュールに戻った。2日・3日と寝忘れが続き、一見楽ちんのように思えるが、長年の習慣で、早朝午前3時半起床の方が実は楽なのである。と言うわけで今朝は爽快な気分で一日が始まった。雲水達は早朝より信者さんにお札やたより、カレンダーなどを持って新年の挨拶回りに出掛けた。この日雨に降られると大弱りで、毎年お天気工合が心配なのだが、朝からさんさんとお日さんが照って温かで、本当に良かった。午前10時、近くの和尚さんが年始に来られた。これも恒例で、伺うと今年90歳になられると言う。寿命が延びたとは言え、90歳で歩いて此処まで来るほど元気なのだから羨ましい限りである。私は昨年、良い跡取りが出来たと喜んでいたら、肩すかしを食ってしまい、がっくりきた。しばらく気分が落ち込んでいたが、それから気を取り直し、ものは考えよう、まだ頑張ってやれ!と言う仏さんの思し召しと思い、今は溌剌として以前より晴れやかな気分になった。人生何事も思うようには成らぬもの、きっとこの方が結果的には良かったのだと思うことにして、心がすっきりした。先程の和尚さんは毎月、月初め10日間午前6時から1時間一般の方に坐禅指導をされているそうだ。90歳にしてなおこの気力、本当に頭が下がる。私なんぞはまだはな垂れ小僧で、こういう良い先達さんをお手本にして新たな気持ちで頑張ろうと思った次第である。

投稿者 zuiryo : 11:06 | コメント (0)

2014年01月02日

明けましてお目出度うございます

昨年1年間未熟者の拙いブログをご愛読頂き有り難うございました。今年もまた新たな気持ちで1年間頑張りますのでよろしくお願い致します。さて元日は朝から雨、天気予報と違っていたので、あれれっ、友人の宮司さんの渋い顔が浮かんだ。お詣りの人数はお天気工合で相当左右されると聞いていたので、人ごとながら彼の顔が浮かんだというわけ。お寺は朝は3時半から勤行が始まり、大福茶礼(賀扇を達磨さんの掛け軸の前に供えて全員で三拝、その後私が雲水に新年の挨拶、年始を寿ぐ、勝ち栗・昆布・干し柿・松竹梅の干菓子・上用饅頭等の入った縁高と結び昆布入り梅湯が供される)。次ぎに祝餅(普段と違って書院で雲水と私が一緒に赤碗にお節料理で朝食、雑煮は無制限に食べ放題、最後の者が箸を置くまでじっと待つ)。これで一連の朝の行事が終わりほっと一息つく。午前9時、山内の和尚さん達と一緒に大般若祈祷会(だいはんにゃきとうえ)。書院で和尚さん方に新年の挨拶、お屠蘇、抹茶に菓重。後は少々雑談で終わる。その後二組ほど新年挨拶に来られてからは寝正月となる。山内もし~んと静まりかえる。昼頃門前のポストへハガキを出しに行き戻ってくると、どこに居たのか、うちのノラクロが追いかけてニャ~ゴとないた。元旦はどこも人っ子一人居らず、公園へ行っても貰えず、腹を空かしていたのだろう。早速いつもの茶碗にキャットフードを入れてやると喜んで食べた。背中を撫でてやると嫌がりもせず、これもお礼の一つかなと思った。

投稿者 zuiryo : 06:21 | コメント (0)