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2014年01月06日

個食

私の生まれ育った家は田舎の小さな商店で家族6人とばあやさんという家族構成だった。食事はいつも全員集合、戦後間もない頃だったから質素なものだったが、皆で顔突き合わせ、お喋りしながらそれは賑やかだった。「美味しいね!」と言いながら食べればどんな食事も美味しくなった。私はその後お坊さんになり、雲水修行に入り、住職してからもいつも一人きりだった。だからいわゆる個食で、72歳になった今なお個食生活が続いている。尤も鎌倉に住職していた一時期、母と二人で生活したときもあったので、そのときは話し相手が居て食事するのは良いものだと思った。表題の個食とは家族が居ても食事はばらばらで、勝手に食べたいときに食べたいものを冷蔵庫から出して食べると言うことである。全員自分のペースで生活しているので、その方が煩わしくなく合理的と言うことなのかもしれない。しかしこれが実は大変な弊害を生む素地になっているという。人間の食事は単なる餌ではない。特に子供にとって食べ物を与えてくれる人は世界を与えてくれる存在なのである。その人が居なくなったら子供の世界は消滅してしまうのだ。それほど食べ物を与えるという行為は子供にとって神聖にして侵すべからざるものなのである。食物が溢れたやすく手に入る現代の私たちは、子供たちを食べさせることを余りに軽んじては居ないだろうか。

投稿者 zuiryo : 2014年01月06日 20:17

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