2014年02月02日
制間
2月1日から1ヶ月半制間となりほっと肩の荷が下りる感じだ。起床から就寝まで制中と基本的には変わらないのだが、気分の問題で、何となくほっとする。この間雲水たちは入れ替わり立ち替わり暫暇を貰って授業寺へ少しの間帰る。帰る雲水は嬉しそうにして、指折り数えてその日が来るのを待つ。本来出家なのだから、うきうきして帰る場所など他にないのだが、僧堂とは違った空気を吸えるのが嬉しいのである。私は小僧だったから、寺へ戻っても食事の支度から風呂焚き、掃除や作務など、かえって僧堂よりも忙しかったが、まっ、気分の問題で、いそいそと帰ったものである。そういう雲水の頃の気分が何処かに残っていて、今は立場が変わっても、記憶の奥から自然に湧き出てくるのかもしれない。ところで文藝春秋、立花隆の「興福寺の仏頭」は非常に感ずるものがあった。これは上野の国立博物館で催された興福寺仏頭展を見ての感想文である。私は20数年前、興福寺宝蔵館で有名な阿修羅像を見て、他の仏像を見ているとき、やたら大きな仏頭があった。首から上だけでしかも後ろの部分は掛け落ちていた。国宝であった。無知な私は何でこんな頭だけが国宝なのだろうと不思議に思って、へ~っ!で通り過ぎた。ところがその仏頭、なかなか深い古代史が込められており、この文章を読んで初めてそういうものなのだったのかと解った。早速この制間は奈良へ出掛けてもう一度見直してみようと思った。無知ほど恐ろしいものはない。
投稿者 zuiryo : 2014年02月02日 09:02