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2014年08月28日
慶長小判
明治天皇のご巡幸について調査している、明治神宮国際神道文化研究所の主任研究員の方がやって来た。うちの寺にはその折ご休憩為された建物が移築され、いまは参禅室として使っている。明治11年10月23日、岐阜市加納のM氏のところには、建物の平面図・当時の写真・玉座の間の飾り付け等々克明に記録された資料が残されている。当時天皇陛下をお迎えするというのは大変なことで、ご休憩のための建物が新たに作られ、玄関、床の間の懸もの、花、花瓶、硯箱、文臺、鉄瓶、香合など、詳しく記録が残されているのには驚かされた。資料を調べていく中に、ご小休茶代として宮内庁より25円頂戴し、その包み紙も保存されていた。勿論中身はないと思って包み紙を逆さにしたらコロッと小判が出てきた。江戸時代の慶長小判である。調査員の話によると明治時代は既にお札になっていたので、頂いた相当額を小判に替えて保存されたのでしょうという話だった。小判の実物を見るのは初めてのことで、百数十年経っても黄金の輝きは衰えず、下世話な私には急にご巡幸が身近な事柄として感じられた。M氏宅は昭和20年7月9日の岐阜空襲で全焼し、うちのお寺もそのとき伽藍は全て焼失した。だから普通ならこの由緒ある建物もなくなってしまったのだが、お寺の関係者のどなたかの機転で、焼夷弾が落ちて境内が火の海になっているとき、皆でこの建物を引き倒したのだそうだ。お陰で何とか焼失は免れ、その後住職の隠寮として使われ、平成5年の大改修の折り、傷んだところを修理し、今は参禅室になっているという次第である。
投稿者 zuiryo : 2014年08月28日 09:49