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2015年01月30日
外国人の雲水
うちの僧堂の話ではなく、もう一つ面倒を見ている尼さんの僧堂、ドイツからやって来た女性である。数年前から既に日本に滞在し、高名な禅僧のもとで小僧修行を続けていて、4年程前に尼僧堂に掛搭した。外人にしては普通会話は良く出来る方だが、いざ禅問答となると、微妙な言葉のニュアンスがかみ合わないところが出てくる。ある問題で壁にぶち当たり、何ヶ月もにっちもさっちもいかなくなった。こっちもどうして良いか解らなくなり、ふっと、お前それドイツ語で言ったらどうなるんだ?と尋ねると、あっという間に何ヶ月のもつれがほどけた。二人で顔を見合わせ笑いが止まらなくなった。頭の上に重く乗っかっていた重石がすっ飛んで、心が一気にほぐれたのである。今や日本人の若者を相手にするのも容易なことではない。生活実感が私の世代とは微妙に違うのだ。そんなこんなですったもんだしながら格闘する毎日である。
2015年01月29日
英会話
実は数年前から脳の衰えを実感するようになった。日々精神が怠惰に流れ、知的欲求の衰えに愕然とした。これをオートマトンと言って、知的欲求のレベルが低下してきた証拠である。何とかしなければと考え、一番苦手なことへ挑戦して、使っていない脳を活性化する方法の一つとして英会話教室に通い始めた。はるか昔、this is a book.をやって以来全くの無知蒙昧。なればこそやったろう!と思ったわけである。グループでやると恥をかいて直ぐ挫折するだろうと考え、個人教授をお願いした。南アフリカの娘さんで大変親切にこの老いぼれに根気よく付き合ってくれた。そのお陰で何とか5年間続けることが出来た。これ一重にこのお嬢さんの親切の賜である。しかし今月でやめることにした。結局英会話は全然駄目だったが、副産物として俄然新しい知的欲求がふつふつと湧きだして、猛烈に勉強したくなった。今まで眠っていた脳が活性化されたことは間違いない。人間は常に新しいものに振り向け続けていれば、永遠に内面的に成長を遂げることが出来ると感じた。そういう生き方こそがより良く生きることなのだろうと確信した。
2015年01月28日
知的好奇心
気象衛星ひまわりは一つ打ち上げるのに凡そ700億円かかるという。しかしこの場合は気候の変動をリアルタイムで的確に予測し、台風などの進路予報でその実力を発揮するので、直接我々はその恩恵に浴するので、いわゆるコストパフォーマンスは良好という風に見える。しかし奇跡的生還で一大センセーションを巻き起こした何とかという衛星は、それが一体我々の生活のどこに価値ある結果をもたらしたのか今ひとつ理解できない。別にケチを付けるつもりはないが、月面着陸なども同様なことが言える。大阪万博の時、月の石を見たことがあるが、それでどうなのと言われると返答に困る。長年のこの疑問に答える文章を読んだのでご紹介する。「全ての生物が持つ本能に基づいた、それは何なのかと知りたいという根源的な、しかも強烈な欲求である。我々がどういう存在かと言うことを定義すると、まず宇宙内存在である。だから宇宙というものはどういうものかを知りたいと思う」のである。
2015年01月26日
利根川博士のノーベル賞
去年は発光ダイオードの研究で日本人の学者3人一緒にノーベル賞受賞が決まり大騒ぎになったが、28年前の利根川博士の生理学・医学賞の受賞も素晴らしい研究の成果である。利根川博士と立花隆氏の対談が本になっていて、それを読むと大変面白い。受賞の対象になった「抗体の多様性生成の遺伝子学的原理の解明」についての部分は、読むうちに頭が痛くなり、挫折するのでそこはすっ飛ばして、発見にいたるプロセスが面白い。早い話が運とセンスだという。当たるも八卦ということになるわけだが、その人の自然観が本当のネイチャーに近い人ほどセンスが良いと言うことになるという。どこか禅の修行にも似たようなところがある。な~るほど!と、ピ~ンとこないドンクサイ奴は、それなりの努力はしているのだが、いつまで経っても思うような結果が出ない。フィーリングと言うと言い過ぎになるが、センスが悪い。
2015年01月25日
起単留錫
午前中まず講座をやってから起単留錫である。来制も引き続き頑張って修行しますという署名をする日である。まっ、これは一応形式で、一制中の欠点などをびしびし指摘され、腹の中はムカッとくる日でもある。まあ上の人はよく見ているもので、こっちはとっくに忘れているようなことまで、蒸し返されて、以後注意するようになどと言われる。これも考えようで、自分の顔は自分では見ることが出来ないように、自分のしていることには無頓着なものである。だからこうして改めて指摘を受けるというのは自分のためになる。これは雲水同士のやり取りで私自身が他から勤務評定を受けることはない。しかし本当は大所高所から忌憚のない勤務評定を受けるのが良いと思っている。僧堂は一種の独裁国家だから、ややもすると間違った考えに陥る危険がある。国家でも独裁者の君臨するところは碌なことにならない。僧堂全体を俯瞰する機関が必要なのではないかと思う。
2015年01月22日
夏末大接心終わる
冬期の大接心もこれで全て圓成し、今日は把針灸治、終日ゆったりと過ごす。午前中、ちょくちょくお世話になる鍼灸院へ行き治療して貰う。次は睡眠時無呼吸で診て貰っている耳鼻科へ、これは器具がリースで保険扱いになっているため、義務で毎月一回診察を受けることになっている。鼻の穴と喉をちょっと診て、それで終わり。必ず体重を聞かれる。何故なら後4キロ落とせば、この厄介な器具を付けなくとも済むようになるためである。ずっと昼抜きで頑張っているのだが、殆ど減らなくなってしまった。多分体の方で食べなくとも良いように対応しているからではないかと思う。余計なお世話で、遠慮なくじゃんじゃん減ろ!と言いたいくらい。後は終日読書。しとしと雨が降り続き、鬱陶しい一日だった。午後、台所辺に行くと、うちのノラクロが私を見つけて飛んできた。お腹がぺこぺこらしい。キャットフードをいつもの皿に入れると、待てないらしくかぶり付いていた。雲水は皆外出しているから泣けど叫べど反応なしで、困り果てていたようである。
2015年01月13日
新年会
知人が主催しているある会の新年会があり出掛けた。毎年お邪魔しているので、いつもの和やかな雰囲気でとても良い会だった。会を興されて今年で35年目、年々大きくなって、地域も広がり、それだけに主催者は大変なご苦労がある。ふと我々仏教や神道と較べた。神道の方はどうか知らないが、仏教の方は僧侶の質の低下が危惧されている。それでも相変わらず多くの人たちから信仰を集めているのは、一重に偉大なお釈迦様のご威光に助けられているからである。僧侶は仏さんとの間で使いっ走りをしてさえいれば済む。ところが彼の会はそういうわけにはいかない。自分の方から新しい考えを発し続け、進化し続け、魅力を与え続けなければならない。その為に様々な分野に亘って研究し学んでいる。その真剣勝負の凜とした姿を見ながら、我々宗門のような、体制にべったり寄りかかった、緩んだ空気を見るに付け、改めて襟を正さなければならないと思った次第である。
2015年01月12日
茶味
最近知人より、この本なかなか良いですよ、と言われ和綴じ本を拝借した。表題通り茶道に関する指南書で、大正9年に発行されたもので、少々文章が古文調だが、読み始めると実に良い。そのままではきっと忘れてしまうので、重要な部分は抜粋して現代文にかきなおした。ざっと四編出来上がったので、それを貸して下さった方に見て貰うために送った。これも股関節痛に襲われた御利益で、じっと本でも読んでいなければ一日が過ごせないようになったから、根気よく精読でき、しかもそれを文章化することができたのである。何事も考え方一つで、不幸せも幸せになるものだ。この本で感じたのは何事も時代の変遷で、本来あるべき姿が失われ、間違った方向に行ってしまうことである。紹鷗や利休の茶道と現代の茶道とはまるで別物になってしまった。だから何時の時代も本来あるべき姿に戻す努力を惜しまず続けなければならない。この本が著されてから既に百年近く経っているのだが、いまだにそれが出来ていないことに慄然たる思いになる。
2015年01月10日
足腰ガタガタ
以前より左股関節痛に悩まされ、三週間に一度注射を打って貰い何とか凌いできたのだが、ここに来て今度は反対側の右股関節痛、さらに二,三日前から右膝まで痛くなった。踏んだり蹴ったりとはこのことである。畳の生活だから立ったり座ったりの動作が多く、その度に四つん這いになって這うようにして立ち上がるというていたらく、その無様な格好、情けないったらありゃ~しない。足腰が弱ると気持ちまで萎えてくる。急に老人になった様な気がしてきた。新年で初釜などもあり、出掛けなければいけないのだが、今年は全てキャンセルした。今まで先輩の友人達は、どなたも足腰のあっちが痛むこっちが悪いと言う話ばかりで、歳は取りたくないな~!などと人ごとのように思っていたが、我が身のことになってしまった。しかしものは思いようで、こうなると机に向かっているより仕方がなくなるので、勉強はできるし、読書は進むし、良いことも沢山ある。
2015年01月07日
博士の愛した数式
以前、小川洋子著の表題の小説が本屋大賞に成り、その後映画化された。著書も映画も両方見たのだが、なかなか面白かった。今何故こんな事を急に思い出したかというと、このところ物忘れが酷くなり、年がら年中捜し物ばかりするようになって、ほとほと困り果てたとき、ふとこの小説を思い出した。もともと主人公の博士は大変な数学者なのだが、突然記憶喪失症になり、そばから忘れてしまう病気になった。そこで体中にメモ用紙を貼り付けている。これだ!ピ~ンときて、居室の障子の桟にピンで、重要な事柄のものは全て貼り付けることにした。これなら、あっ!あれどうしたかな?と思ったら部屋をぐるり見回せば何処かに貼り付けてあるわけで、絶対に困ることはない。但し部屋が汚くなる。何せ大小様々な紙切れが所狭しと貼り付けぶら下がっているわけだから。しかしそんな体裁など繕っている場合ではない。どうせ人様に見せる部屋ではなし。と、これで一安心と思ったのも束の間、ある書類を探したのだがない。困ったな~とまた絶望的になっていたら、すでに障子の桟に貼り付けてあった。ほっと安堵の胸を撫で下ろしながら、私の物忘れもそこまで来たかとまた絶望した。
2015年01月04日
初詣
午後、元旦からの寒さも終わって温かな良い陽気だったので、恒例の伊奈波神社、初詣に出掛けた。年末頃から左股関節痛に悩まされ、大丈夫かな~と少々心配だったが、ゆっくり歩いて行った。途中何人か知り合いにばったり会い、新年の挨拶ができ、境内も余り混雑していなかったのでスムーズにお詣りができた。いつも思うことだが、沢山出ている露天商で、やたら並ぶお店と、さっぱり売れない店がある。行列が行列を呼ぶようだ。何となく並ぶ店の方が美味しいように思うのだろうか。それに占いの店、相変わらず繁盛で、あれならおみくじと変わらないと思うのだが、おみくじより少し高いから、当たるような気がするのかも知れない。本殿脇の山を少し登ったところにある黒龍大社へもお詣りしてきた。元来この伊奈波神社のある場所は、この黒龍さんがお祀りしてあった所で、その後伊奈波神社が建立されたという経緯らしい。小さな祠があるだけで、脇に追いやられたような格好だが、こっちの方が本家である。またうちにあった大きな賽銭箱を差し上げた所、この黒龍さんの前に据えてくれた。小さな祠に大きすぎる賽銭箱だが、立派さに引かれるのか、お賽銭の入りも良さそうで、頑張ってるな~!と、喜んで帰ってきた。
2015年01月02日
明けましてお目出度うございます
明けましてお目出度うございます。今年も私のブログどうぞよろしくお願いします。元旦は午前3時半から祝聖・大福茶礼・祝餅と続き、終わるとほっと一息つく。この頃から激しい雪、これでは新年、神社の初詣へ出掛ける足も止まるだろうな~、友人の宮司さんのしぶ~い顔が浮かぶ。お寺は以上で元日の行事は全て終わり、午前中に知人のご家族三人新年の挨拶に来られ、後は寝正月である。新聞はどれもいつもの正月記事で興味は湧かないが、今年はうちの障壁画を描いて下さった土屋先生のインダビューが掲載されたので読む。2日もちらちら雪が舞い、寒暖計は零度、ここで急にうちのノラクロを思い出した。さぞ寒かろう。段ボウル箱を改造してほかほかのミニ小屋を作ってやったが、ちゃんと入っているだろうか。これから覗いてきます。