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2015年02月16日

暁天坐禅

インド旅行第二話。3日目は午前5時半起床。ブッタガヤ大搭裏側のお釈迦様が悟りを開いた菩提樹の側で暁天坐禅を組んだ。日本から警策・鐘・坼等必要なもの一切持参した。お尻に宿の大きな枕、下にバスタオルを敷いた。下は大理石を磨いた真っ平らなところなのでなかなか良い調子で座れた。途中100人くらいのタイのお坊さんが後ろで厳かな読経を始めた。これが実に良い感じのバックグラウンドミュージックとなり、さらに良い坐禅が出来た。私が警策を持って回ると皆次々に背中を打って欲しいと合掌をした。心に染み入るようなひとときが過ぎ、無事坐禅を終わり宿に戻った。部屋に入ると同室の兄がやけに恭しく石に敷いたバスタオルを捧げ持ち、丁寧にビニールに包んでいる。「折角のバスタオルが汚れてしまったね~」と言うと、「いや、この土のついているのが宝物だ!」と言う。どういうわけ?と問うと、「この土はお釈迦様が悟りを開いたところの土だから、落とさないように大切に持ち帰り、自分が死んだとき、胸の上に載せて貰うのだ」。兄は毎朝日課としてまず神棚にお詣りをし、次ぎに仏壇に般若心経を上げ、それから写経をするのだそうだ。このような日々の積み重ねのなかから、こういう思いも自然に湧いてきたのだろう。「えらい!」。

投稿者 zuiryo : 2015年02月16日 19:07

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