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2015年05月28日
月探査
もう遙か昔になるが、まだ私が雲水修行している頃、人類が初めて月面に降り立った。当時一番古手の雲水だったので、老師から特別隠寮に呼ばれて、月面着陸の瞬間をテレビで見た。現在では宇宙に対する関心は月から火星へ移ってしまったが、月面に降り立った宇宙飛行士の話は大変興味をそそられる。ジム・アーウィン飛行士の証言である。「・・・月面は鉛色で粘土細工のよう。クレーターや谷は一つ一つ大きく、日本列島を横にしたぐらいの大きいものはいくらでもある。グランドキャニオンより大きな谷もある。そこには生命のかけらもない。全くの無、荒涼索漠しているが、にもかかわらず、人を打ちのめすような荘厳さ美しさがある。瞬間ここには神がいると感じた。・・・地球は丁度マーブルくらいの大きさで、暗黒の中点たかく、美しく暖かみを持って、生きた物体として見える。手を伸ばせば触れるくらいの近さに感じる。宇宙の暗黒の中の小さな青い宝石、それが地球だ。かくも無力で弱い存在が宇宙の中で生きていること、これこそ神の恩寵だと何の説明も無しに実感できる。神はそこにいると解った・・・」。アーウィン飛行士は、その後NASAをやめて、伝道師になってしまった。我々は月面探査と言うと、先端科学技術の方にばかり目が行きがちだが、宇宙飛行士という人間が深く関わって成り立っている。宇宙飛行士は当にその瞬間神の臨在を感じたのである。月探査とは心の探査でもあったわけである。
2015年05月27日
僧堂規矩
伝統的な僧堂では、それぞれ独特の規矩(きく)がある。一概に他の者が善し悪しを言うことは出来ない。長い年月培われてきて、結果そうなったのだから。13年前、近くに新たに出来た尼僧の僧堂を看るようになった。と言っても接点は朝晩の喚鐘と講座に、こちらに出向いてくるのを、世話するだけである。尼僧堂の中でどのような規矩を立ててやっているかは、係の和尚さんに任せている。しかし最初お世話して頂いた尼僧さんは癌で急死され、その後近くの大変面倒見の良い和尚さんにお世話頂いた。しかしその方も癌で亡くなられてしまった。そこでまた次の和尚さんにお世話を頼み、今に至っている。最近ちょっと気になり、どのような規矩を立ててやっているのか詳しく調べてみると、修行の本質から全くはずれた、枝葉末節に中心が移ってしまっているのを知り唖然とした。単なる烏合の衆で、トップになった雲水が勝手な規則を、あたかも正道であるが如くに規矩としていたのである。これを知ったからには、徹底的に基本から教育をし直し、新たな規矩を作ろうと決心した。ここ1ケ月間、ずっと掛かり切りでやっている。そもそも尼僧堂が開単されたときは、宗務総長さんから、参禅だけ看て頂ければ充分ですからと言われて引き受けたのだが、とんでもないことだった。企業でも創業者の苦労は並大抵ではないと聞くが、全くその通りである。まあ、そういうお役目を頂いたのだから、有り難いと思ってやっている。
2015年05月19日
アルメニア魂
何年か前、僧堂を開単された祖師の二百年諱行事で、八ヶ僧堂合同の報恩大接心を催したことがある。その折り参禅に外人が来たので、お前はどこの国から来たんだと尋ねると、「アメリカから」と言った。「ふ~ん、アメリカ人か」と言うと、「いえ、私はアルメニア人です」と言う。聞くと高校まではアルメニア人だけが通う学校で学び、大学はアメリカの一般大学で学んだのだという。彼の言葉の端々に、自分はアルメニア人なのだという自負が感じられた。参禅が終わってから、一体アルメニアという国はどの辺にあるのか検索してみると、トルコの北側にある小さな国だった。今までも余りニュースで報ぜられることがない国で、その時はそれで終わった。ところが最近ある雑誌を読んでいたら、アルメニアは嘗てトルコとの間で、「メツ・イエゲルン(大惨状)」と呼ぶ、大悲劇があったことを知った。20世紀のジェノサイト、トルコによる大量虐殺である。1915年、アナトリアの東部や東南部にいたアルメニア人のほぼ半数にあたる百五十万人が虐殺されたと言う。実際の死者は五万七千人から二百七万人説まで幅広く、中立的な最近の研究では64万2千人という数字も出ている。これで参禅に来た彼のアルメニア魂の一端が解ったような気がした。日本と韓国中国との歴史認識にも通ずる話である。ここで重要なのは、何時までも過去にとらわれるのではなく、「ふりかえれば未来」として受け入れることである。グルジア人哲学者の言葉、「皆さん、われわれは未来が輝かしいことを知っています。変わり続けるのは過去なのです」。
の東部
2015年05月18日
スポンジ
ある雑誌からの受け売りだが、「小学校くらいまでは勉強しない方が良い。徳島のある無認可の小学校では、6年間どろんこ遊びや魚釣りなど、好きなことばかりやらせる。卒業して中学校へ行くと、一学期は全然駄目、勉強について行けない。しかし二学期三学期になると、みんなクラスのトップになる。つまりこの無認可の小学校では、「スポンジ」を作っていた。彼らにとって勉強なんて珍しいから、ヒューッと入っていく。小学校からお受験と言って塾に通わせるなど愚の骨頂である。あんまり大学まで勉強しない方が会社に入ってから伸びる。勉強ですり切れていないから」。以上のことと少し次元が違うかも知れないが、禅の修行では、ひたすら馬鹿になってドン坐る訓練を強制する。これって、実に理に適っているんだな~と感じた。特に私の場合など、最初から学問は無し、教養は無し、ないないずくめだったから、その後の修行がスポンジの如く吸い込まれていったような気がする。
2015年05月11日
往相と還相(おうそうとげんそう)
浄土教では二種回向(にしゅえこう)と言って、念仏を唱えれば阿弥陀仏のおかげで必ず極楽浄土へ行けるという。これが往相である。だが念仏者は永遠に極楽浄土に留まることは出来ず、極楽の門を出て、苦しむ人を救うために、この世に還らねばならない。これが還相である。この文章を読んで、ふと、はるか55年前のことを想いだした。当時私は京都の寺の小僧だった。その寺には常に市内の大学に通う学生が7,8人下宿していた。18歳の私から見れば下宿の大学生は皆兄貴分で、中でも京大の院生だったKさんは、何かと可愛がってくれた。ある年の年末、恒例の顔見世興行に誘われ、詳しい解説付きで初めて歌舞伎というものを観た。その時帰りの喫茶店で話してくれたのが冒頭の往相と還相の話である。禅僧は修行はしっかりやるが、修行して得たものを、今度は世間の人たちのために還さなければいけない。これが出来ていないように思うから、淸田君は修行して必ず世間に還して下さい。このときの言葉、数十年経っても鮮やかに蘇ってくる。
2015年05月10日
わが立つ杣(そま)
また人様の引用で恐縮だが、杣とは滑り落ちそうな山の斜面にある、ほんの少し平らになった場所を指す。修行僧や登山の人たちが、ほんのひととき安心して休める所で、昔は木こりを杣人と言っていた。この「杣」という言葉を用いて、最澄は比叡山に延暦寺を建立したとき、歌を詠んだ。「アノクタラサンミャクサンボダイ(難しい漢字なので略す)の仏たち 我が立つ杣に冥加あらせ給え」。自らが立つ杣に、仏の恵みをお願いします、と最澄は祈った。山の斜面に見つけた、つかのまの安心できる小さな場所を、自分が立ちうる場所という意味に重ねたのである。人生は長く、平坦ではない。山あり谷ありである。そのなかで、やっとつかのま、安心できる小さな場所を見つけた。そのことに感謝し、神仏のお恵みがありますようにと、祈ったのである。「おほけなく憂き世の民におほふかな 我が立つ杣に墨染めの袖」(我が身に過ぎることですが、この世の人々を思うのです、つかのまの安心できる小さな場所を見つけ、そのことに感謝し、神仏のお恵みがありますようにと」。天台座主慈円は出家することで、自分の立ちうる場所を見つけたのです。人生の中で自分が立ちうる立場は、そうどこにでもあるわけではない。だからようやく得たとき感謝の思いでこのように詠んだのである。
2015年05月09日
よき友は・・・
ある人のエッセーを読んでいたら、「よき友は物くるる友・・・」と吉田兼好は徒然草の中で書いていると言う一文があった。ほかに医者と知恵のある友だそうだ。何だか物をくれる人が一番などと言うと、根性が卑しいようにも思えるが、こういうのは一千年経っても同じ真理である。だからお中元やお歳暮が、何だかんだと言われながらも今日まで続いているわけである。私などもお中元やお歳暮をいろいろな方から頂き、そのお礼状に四苦八苦すると言いながら、ズバリ吉田兼好に心の底をえぐられたような気持ちにる。その他にも、面会に来られる方々は必ずと言って良いほど菓子折を下げてくる。だからこの指摘、ごもっともなのである。まっ、僧堂の場合はいろいろな会が催されたとき、また雲水の茶礼などで使わせて頂くので、事実大変重宝で、有り難い頂き物なのだが、しかしものを貰う時のこの不思議な嬉しさは、一体何なんだろうと自問する。吉田兼好の徒然草が古典として名高いのは、誰が読んでも、ああそうだと、合点がいくことが書かれておるということである。つくづく人間の本性は変わらないものだと感じる。
2015年05月06日
宇宙の話
宇宙のことなど、自分の日常には殆ど直接的には関係ない事柄と思う人が殆どだろう。ほんの少し前までは私もそう思っていた。ところがある本を読んでいくうちに、宇宙を知らずして人間本来を知ることは出来ないと言うことが解ってきた。読み進むうちに、益々宇宙の虜になってきた。かくいう私も、漠然とした興味から、NHKBSでずっと放映されていた、「コズミックフロント」という番組を観ていたが、そのときはむしろ、人類には直接何の関係もないような夢物語の世界を一生追求して、それで飯が食っていける学者は優雅なもんだな~くらいに思っていた。とんでもないことである!そもそも人間は宇宙生成の初めから、この私の肉体に壮大な宇宙の歴史が縫い込められて、切り離すことが出来ない存在なのだと言うことが解った。嘗て莫大なお金を投じて、小さな月の石を持ってきた。大阪万博で、長蛇の列を凌いでわずか数秒観たことがあるが、あれは何だったのかと思っていたが、あそこに込められている意味の大きさを今、ようやく知った。何事も上っ面だけで判断してはいけないのだと言うことを学んだ。
2015年05月03日
観光
南アフリカから知人が三人訪ねて来たので、谷汲山を案内した。丁度新緑真っ盛りの季節で、若葉が目に染みるようだった。車を駐車場に止めて長い参道を歩き出すと直ぐ両側の土産物店を珍しそうにのぞき込み、興味津々、それが日本人の感覚と全く違う。しかし本堂に到着すると、仏教などまるで解らないのに、殆ど違和感なくお詣りをする。本堂下の地獄巡りもやったが、良かったと言う。売店で記念のお守りやグッズもいろいろ買って、殆ど日本人を案内しているのと違いなかった。見事な仏教建築に、素晴らしいと感嘆の声を上げ、何枚も写真を撮っていた。鬱蒼とした大自然に囲まれた雰囲気の良さを感ずるのは、万国共通のものなのかも知れない。三人の中の一人は完全なベジタリアンなので、昼食は予めそういう注文をしておいたが、美味しいと満足げだった。全く違う環境で生活している人たちなのに、意外と思うことは一致していたのに驚かされた。
2015年05月01日
老顔
私も73になったのでぼつぼつ死ぬ準備をしておこうと考えた。まず頂相(ちんそう)を画家に頼もうと思い、知り合いの画商さんに相談すると、うちともご縁のある大変高名な作家にお願いできることになった。そこで資料作りを始めることになり、代々伝わる頂相の中から選んで写真を撮った。昨日はプロの写真家に来て貰い、私の正装した姿を撮って貰った。特に顔の部分は重要であると言うことで、バシャバシャ!撮りまくった。さすが専門家のはカメラ自体も全然違い、即パソコンに取り込み、私も見せて貰った。びっくり仰天!した。私の老いさらばえた老顔がもろに映し出されていた。自分の顔を見るのは朝、顔を洗うときちょっと見るだけで、じっと見つめることなどない。それが今回まともにじっと見てみると、まあ酷いったら酷い、老人顔なのだ。「エエッ!これって私の顔?」と言うと、知人の画商さんは、「そうですよ!この顔です!」だと。唖然としてしばし言葉を失った。嘘偽りなく、もろに73歳の顔なのである。爾来急に歩き方まで勢いがなくなってきた。