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2015年05月10日

わが立つ杣(そま)

また人様の引用で恐縮だが、杣とは滑り落ちそうな山の斜面にある、ほんの少し平らになった場所を指す。修行僧や登山の人たちが、ほんのひととき安心して休める所で、昔は木こりを杣人と言っていた。この「杣」という言葉を用いて、最澄は比叡山に延暦寺を建立したとき、歌を詠んだ。「アノクタラサンミャクサンボダイ(難しい漢字なので略す)の仏たち 我が立つ杣に冥加あらせ給え」。自らが立つ杣に、仏の恵みをお願いします、と最澄は祈った。山の斜面に見つけた、つかのまの安心できる小さな場所を、自分が立ちうる場所という意味に重ねたのである。人生は長く、平坦ではない。山あり谷ありである。そのなかで、やっとつかのま、安心できる小さな場所を見つけた。そのことに感謝し、神仏のお恵みがありますようにと、祈ったのである。「おほけなく憂き世の民におほふかな 我が立つ杣に墨染めの袖」(我が身に過ぎることですが、この世の人々を思うのです、つかのまの安心できる小さな場所を見つけ、そのことに感謝し、神仏のお恵みがありますようにと」。天台座主慈円は出家することで、自分の立ちうる場所を見つけたのです。人生の中で自分が立ちうる立場は、そうどこにでもあるわけではない。だからようやく得たとき感謝の思いでこのように詠んだのである。

投稿者 zuiryo : 2015年05月10日 09:40

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