2015年05月27日
僧堂規矩
伝統的な僧堂では、それぞれ独特の規矩(きく)がある。一概に他の者が善し悪しを言うことは出来ない。長い年月培われてきて、結果そうなったのだから。13年前、近くに新たに出来た尼僧の僧堂を看るようになった。と言っても接点は朝晩の喚鐘と講座に、こちらに出向いてくるのを、世話するだけである。尼僧堂の中でどのような規矩を立ててやっているかは、係の和尚さんに任せている。しかし最初お世話して頂いた尼僧さんは癌で急死され、その後近くの大変面倒見の良い和尚さんにお世話頂いた。しかしその方も癌で亡くなられてしまった。そこでまた次の和尚さんにお世話を頼み、今に至っている。最近ちょっと気になり、どのような規矩を立ててやっているのか詳しく調べてみると、修行の本質から全くはずれた、枝葉末節に中心が移ってしまっているのを知り唖然とした。単なる烏合の衆で、トップになった雲水が勝手な規則を、あたかも正道であるが如くに規矩としていたのである。これを知ったからには、徹底的に基本から教育をし直し、新たな規矩を作ろうと決心した。ここ1ケ月間、ずっと掛かり切りでやっている。そもそも尼僧堂が開単されたときは、宗務総長さんから、参禅だけ看て頂ければ充分ですからと言われて引き受けたのだが、とんでもないことだった。企業でも創業者の苦労は並大抵ではないと聞くが、全くその通りである。まあ、そういうお役目を頂いたのだから、有り難いと思ってやっている。
投稿者 zuiryo : 2015年05月27日 20:31