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2015年09月27日
異文化に接する
9月にロンドンの友人にベルギーとオランダへ連れて行って貰った。ベルギーが嘗て貿易で繁栄した名残の超美しい建築や素晴らしい絵画の数々。オランダではフェルメールの牛乳を注ぐ女やレンブラントの夜警、ゴッホ美術館では5階の建物にゴッホの名作が沢山、アムステルダム中央駅裏の運河沿いに並ぶ「飾り窓」等々、短期間だったが目を見張るようなことの連続だった。アムステルダムから電車で2時間、地方都市にある離宮も見に行った。ロンドンの友人の友人で、超高級なアンティーク商、ものすごい立派な家なのでびっくり、骨董品もレベルが高い物で,香港で開かれる市に出す品を梱包していた。彼に案内された教会は、こんな田舎で?と言っては失礼だが、これがまた素晴らしい!夕食は繁華街の一角、レストランが道の両側に並ぶなかの一軒でご馳走してくれた。日の長い北欧でもさすが夜のとばりにつつまれる頃である。寒くて厚手のコートに襟巻き,頭は特に毛糸の帽子をかぶって、わざわざ店の外で食べた。上にはテントが張ってあるものの、つめたい風が容赦なく吹き抜ける。上に電気のストーブが幾つもあってそれなりに暖房されているが、寒い!店の中にもテーブルが用意されているが何処の店も外でぶるぶる震えながら食べる。これって何んなんだろう?帰りは電車に滑り込みセーフ、ハアハア息を切らして乗り込んだが切符は買ってない。あちらは改札がないから乗れるのだ。直ぐに車掌さんが切符の検察に来た。つい最近規則が変わって、切符を持たずに乗った場合3倍の罰金が科せられると、隣に座っていたお嬢さんが教えてくれた。進退窮まる!そうしたらいぶかる車掌さんに一生懸命事情を説明して援護射撃をしてくれた。お陰で正規料金でOK。頭をペコペコ下げまくって、その娘さんにサンキュー、サンキューを連発した。足も頭もへとへとになってアムステルダムのホテルに戻った。部屋はイマイチだがやたら料理は旨い宿で、思いっ切り飲んで食べ、バタンキュー。
2015年09月26日
真空管アンプ
オーディオに凝る人はあまた居るが、中でも真空管アンプに凝り固まる人も沢山いるようだ。私も音楽を聴くことが好きなので、市場で一般的に売られているもので、少し良いものを買って聴いている。たまたま音楽の話が出た折り、自家製の真空管アンプを差し上げますので、これで是非聞いてみて下さいと言われた。彼は以前から暇を見ては秋葉原へ出掛けたり、同じ趣味の仲間から融通して貰ったりしながら、せっせと真空管アンプを作って居ると聞いていた。一般的なオーディオとは全く音質が違うのだそうだ。滝行仲間でもあり、親しくさせて頂いているのだが、そんな貴重なものを頂くのは申しわけないことと思い躊躇ったのだが、ある日お寺にやって来てセットしてくれた。このアンプ石の上に組み立てられていて、周囲は木製になっている。持ち上げるとものすごく重たいので驚いた。スピーカーはボーズ製のを別の方から頂いた。いろいろな人のご好意の塊のようなものが出来上がり早速聴いてみると、な~るほど!確かに違う!お金で買ったのでは無く沢山の友人の思いが籠もっているのだから、よけい心に染みる。
2015年09月25日
有料トイレ
日本では駅のトイレは無料に決まっているが、ヨーロッパではだいたい有料が普通。しかも無料の日本のトイレのほうがはるかに清潔で使用感が良い。日本円で数十円だから金額は大したことではないが、いちいち小銭の銅貨を用意するのが厄介千万で、ましてや発車ギリギリ大慌てで駅構内を走り回る。日本ほどトイレそのもの数が少ないのだ。日本でもかつて汚いものの象徴だった駅トイレが、今のように水洗式で綺麗になったのは最近のことである。電車の中のトイレも日本のほうがはるかに綺麗で良い。新幹線の場合はウオッシュレットになり、最近は飛行機のトイレもウオッシュレットになった。今まで汚いくさいの象徴だったトイレが、どんどん進化して、便利で快適で無料なのは、世界中で日本だけなのだということを知っただけでも海外旅行をする価値がある。トイレの汚いので有名なのが中国である。これには本当にまいった。びろうな話ばかりで恐縮だが、これって、旅では結構重要な部分である。
2015年09月24日
車麩
昨日テレビを見ていたら,車麩の話があった。途端に60年以上も昔のことを想い出した。うちには台所仕事をするばあやさんが居た。生まれたときから我が家に住み着いていたので、他人とはとても思えず,しかも我々に一番口うるさく小言を言うので、子供の嫌われ者だった。とわ言うものの、商売で忙しい母に代わって身の回りの世話は一手に引き受けていたので、ぶうぶう文句を言いながらもこのばあやが好きだった。新潟の山奥の人で、小学生の頃は夏、里帰りをするときは一緒について行って、大いに山家の生活を楽しんだ。帰りの土産は必ず車麩だった。帰ってから毎日この車麩がおかずに出た。今から思うと勿体ない話だが、子供の私は余り好きでは無かった。それでも毎日出るおかずだったから文句を言いながら食べた。このばあやもとっくに亡くなった。何十年もの歳月が過ぎて、時折この車麩を食べることがある。実は大変高価な物で、味わいも深く、おなじ麩でもこんな美味し物があるかと思うほどである。ばあやが生きている間に,このことを言ってやったらどれだけ喜んだか知れない。そう思ったら思わず涙が出てきた。墓に布団も着せられずである。このような臍を噛む思いを幾度も重ねて、少しづつ人間らしくなっていくのである。
2015年09月23日
文化の違い
海外へ旅行して一番感ずるのは文化の違いである。旅行と言っても、団体で添乗員がすべて面倒を見てくれる場合はさほど感じないが、一人で旅をすると、ええっ!どうして?などと言うことがいくらでもある。その度に腹を立てたり、こんな嫌な思いをするなら止めておけば良かったなどと思う。旅の計画を立てているときが一番楽しいので、出掛けてみるとそう楽しいことばかりではない。しかし旅はそういうことを全てひっくるめて旅なのであって、それが嫌ならじっと何処へも行かずにしている方が良い。もう20年以上も前から、ロンドンにいる友人の處へ3,4年に一度の割合で出掛ける。9月中頃から10日間行ってきた。ハムステッドの森の中に迷い込んで2時間半さまよい歩いたり、わずか3,40分で着くはずの家まで、大渋滞に巻き込まれ2時間もブラックキャブに閉じ込められたり、一人っきり、サンドウイッチとジュースだけの夕食など、こうした非日常を心から楽しめるようになった。つまりこういうことをしたいためにわざわざ遠くロンドンまでやって来たのだ。しかしここに至るまで実に20年を要した。一口に文化の違いと言うが、このぎくしゃくしたところを楽しめるようになるためには、相当修行がいる。まさに旅とはこの心境を得るためにあるのだ。
2015年09月22日
22年目の滝行
20日~21日、二日間、御嶽山3合目の新滝に入ってきた。大爆発の後だったので、どうなったのか心配したが、滝には全く影響は無かった。今年は雨が多いので水量豊富で、激しい滝だった。仲間6人、入れ替わり立ち替わり気持ちよく入ることができた。平成3年の5月に、初めてこの滝を浴びて以来、ずっと続けてきた。20年経ったとき、一端卒業したのだが,その後心境の変化で、昨年から再び始めた。午後3時半現地の宿に集合、1回目。翌日午前8時、2回目、朝の滝は一段と冷たく、脳天が裂けるのでは無いかと思うほどだった。何事もそうだが、まあこれくらいならと思っている限界を超える快感と醍醐味である。頭の天辺から足のつま先まで、洗い清められたような気分になる。これだから益々止められなく成ってしまい、ついに「滝病」となる。以前は脳天から血がしたたり落ちたりしたが、だんだん面の皮が厚くなったのか、そんなこともなくなった。宿に戻りわき水を沸かした風呂に入るときが一番極楽である。この世にこんな心地良いことがあるのかと思う。健康なら80歳までこの調子で続けたいと思っている。
2015年09月06日
東海庵開山忌
毎年9月6日の開山忌には必ず出頭する。今回は雨模様だったが意外と涼しく,余り汗も出ず助かった。いつもは全身汗まみれ、法衣の上まで汗でシミが出来るほど。今の主事さんのお寺は本堂障壁画が素晴らしいと言う評判だったので、一度是非拝見したいと申し上げると、案内して下さった。それは素晴らしいの一言!保存状態が大変よく、まるでつい最近描かれたように見えるほど。絵についての解説をして頂き、眼福の一時であった。直ぐ相向かいのT寺は、個人的にも大変親しくさせて頂いている寺で、久しぶりにおばあちゃんの顔が見たくなったので寄った。80歳を越えすっかり典型的老女になっていた。足腰が弱って・・・・と嘆いていたが、まだまだお元気そうなので安堵した。もう50年以上のお付き合いなので、遙か昔のことがいろいろ想い出され、良い一時を過ごすことが出来た。
2015年09月05日
あの人に会いたい
NHKの朝の番組に表題のがあって、偶然徳山村の増山たづ子さんが登場した。この村は岐阜県の北西部の山奥の村で、全村が徳山ダムとなって水没した。計画から完成まで何十年もの長い歳月が経過し、ようやく運用されている。しかし年月を経るうちに社会情勢が変化し、それほど水の需要が無くなり、無用の長物と化した。同様の土木工事に長良川河口堰がある。巨大な水の需要を見込んだ名古屋市が、もう要らないと言い出したのだ。河口堰はヘドロが溜まりだし、鮎釣りで有名な川も、今では純粋な天然物は皆無となった。わざわざ稚魚を琵琶湖から大量に買って、放流して育てているという。莫大な費用を掛けた河口堰も結果無用のものになった。冒頭の徳山村の増山たづ子さんは、村がなくなるというので、記録を残すため、日々の村人の生活を何千枚と撮り続けた。その写真が今や大好評で、度々写真展が模様され、山奥のお婆さんが有名人になった。私の絵の先生も,嘗て教員になり、初めての赴任地がこの徳山村だったそうだ。当時高価だった電気炊飯器を父親が大枚はたいて贈ってくれた。行ってみると徳山村にはまだ電気が通って無かった。大自然の豊かさは今でも忘れられないと言う。放課後子供達と鮎を捕まえに川へ行き、いくらでも手づかみで捕れた。又何処の家にもお風呂が無く、校庭の隅に皆で手製の風呂を作り、子供達を入れてやったそうだ。今でも先生が個展を開催すると、当時の子供達が会いに来る。
2015年09月01日
不眠症
僧堂では凡そ不眠症などと言うのはない。午前3時から起きて終日動き回るのだから,常に睡眠不足で、ちょっとじっとしていると直ぐこっくり。これは現役の雲水の話で、私は雲水ほど肉体労働をするわけでもない。さらに老齢化による不眠症状で、何かの拍子に寝損なうと、真夜中に目が冴え渡って、午前1時頃から起きてしまう。そういう時は完全に起きあがって、口をすすぎ顔を洗って、机の前に坐り読書をする。今の季節は窓を全開し,虫の声を聞きながら,なかなか良いものだ。日中仕事で忙しく働いている人では,こんなことはやってられないが、私の場合、特に仕事があるわけではないので、暢気に過ごさせて貰っている。強いて言えば、いつも心を清々しい状態に保つのが私の仕事である。身体を使う肉体労働ではなく、心の労働である。