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2015年09月24日

車麩

昨日テレビを見ていたら,車麩の話があった。途端に60年以上も昔のことを想い出した。うちには台所仕事をするばあやさんが居た。生まれたときから我が家に住み着いていたので、他人とはとても思えず,しかも我々に一番口うるさく小言を言うので、子供の嫌われ者だった。とわ言うものの、商売で忙しい母に代わって身の回りの世話は一手に引き受けていたので、ぶうぶう文句を言いながらもこのばあやが好きだった。新潟の山奥の人で、小学生の頃は夏、里帰りをするときは一緒について行って、大いに山家の生活を楽しんだ。帰りの土産は必ず車麩だった。帰ってから毎日この車麩がおかずに出た。今から思うと勿体ない話だが、子供の私は余り好きでは無かった。それでも毎日出るおかずだったから文句を言いながら食べた。このばあやもとっくに亡くなった。何十年もの歳月が過ぎて、時折この車麩を食べることがある。実は大変高価な物で、味わいも深く、おなじ麩でもこんな美味し物があるかと思うほどである。ばあやが生きている間に,このことを言ってやったらどれだけ喜んだか知れない。そう思ったら思わず涙が出てきた。墓に布団も着せられずである。このような臍を噛む思いを幾度も重ねて、少しづつ人間らしくなっていくのである。

投稿者 zuiryo : 2015年09月24日 04:40

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