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2015年10月21日
足腰
お寺の日常は畳の生活だから、立ったり座ったりの動作が多い。今まではさほでもなかったが、このところ急に、苦痛になってきた。特に立ち上がるときが大変で、座卓に手をついて、エイ!と気合いを入れたり、側の柱にしがみついて、勢いで立つ。それでも時によろついて、あわや転ぶか、となる。これが毎日何回もなのだから、情けないったらありゃ~しない!私はほぼ毎日運動のために山歩きをしている。良いことにお寺の裏山がハイキングコースになっていて、道も良く整備され、市民の健康ウオークのメッカになっている。そう言う絶好の位置にあるので、雨の日以外はほぼ毎日せっせと歩いて運動している。にもかかわらずこの有様なのだから、我ながら愕然とした。誰でも老齢になれば、あっちこっち悪くなるのは当たり前だが、目の前に突きつけられると、解っちゃいるけどガックリくる。それに頭の方も相当傷んできた。忘れっぽくなったので、直ぐメモを取るようにしている。そのメモを又忘れるというわけで、トホホッ!だ。
2015年10月19日
94歳の大往生
知人で企業家の方が94歳で亡くなられ、お別れの会が催された。ひょんな切っ掛けで二十数年前、月2回の坐禅会を発願され、うちの寺の第二禅堂を使い、爾来今日までずっと続いている。会員の中で、ちょっと不参加が続く人が居ると、必ず参加するように言葉を掛けて居られた。一回約1時間の坐禅中、殆どの人が必ず警策を受けられた。ところがある方で、絶対受けない人が居たのだが、どうして警策を受けないのかと、わざわざ受けるように勧めたり、親身になって座禅会を盛り上げて下さった。80歳半ばを過ぎる頃から、さすがに自宅で奥さんが介護する事ができなくなり、近くの介護施設で過ごされていた。その間、会社を訪ねては、幹部社員を激励し、ずっと信仰を続けて居られた神社とお寺巡りが、唯一の楽しみだった。うちの寺にも、初期の頃は庫裏の前の紅梅が咲きそろう頃、その後は一ヶ月に一度くらいの割合で、お詣りに来られた。自分の今があるのは神仏のお陰、その一念であった。そのお詣りのペースが最近頻繁になり、ほぼ毎日来られるようになった。これは何か感じるところがあって、人生の終末を悟ったのではないかと感じた。それから間もなく亡くなられた。人間も精神が研ぎ澄まされると、生死の極みを悟るのではないかと感じた。
2015年10月16日
尼僧堂
14年前、臨済宗・黄檗宗合同で尼僧のための専門道場が開設された。僧堂には必ず指導者として「師家」が要る。ところが以前京都にあった尼僧堂が閉単してから何十年も経っているので、尼僧さんには一人も師家はいない。誰か男僧の老師に面倒を見て貰うと言うことになって、何とこの私が指名された。それは私が特別優れているからでは無く、たまたま新しく出来た尼僧堂が、うちの近くのお寺で、しかもそのお寺とうちの寺とは昔からご縁があるので指名されたのである。爾来ずっと男僧堂と尼僧堂両方を看ている。開単されてしばらくは、その寺の住職の尼僧さんが堂長となって、雲水の日常は面倒を見ていて呉れたのだが、病気で亡くなり、その後を引き受けてくれた近くの和尚さんも亡くなってしまい、今は又別の和尚さんに面倒を見て貰っている。そんな経過を辿り、現在はだんだん私自身が深く関わっていかなければならなくなった。そこで解ったことがある。男の雲水と女の雲水とでは、全く違う。何処がどう違うのか説明するのはなかなか難しいが、どうも頭の構造、思考回路が違うと言うことである。好き嫌いなどの感情が、ダイレクトに表面に出てくるのだ。何とかならないものかと思うが、どうも同じ人間でも違うのである。これで日々頭を抱えている。同じ屋根の下で一挙手一投足、細かく指導して行くことが出来ないというのも一つの問題である。少し希望が出てきたのは、真面目で一生懸命修行している尼僧が要るので、これが修行をやり上げてくれれば、私の役目は終わる。
2015年10月11日
河原町丸太町
先日所用で京都へ出掛け、帰路偶然河原町丸太町の交差点で信号待ちをした。ふっと見ると、交差点右に河道屋が見えた。途端に遙か数十年前の記憶が蘇ってきた。小僧をしていた頃、市電に乗ってよく三条、四条方面へ遊びに行った。と言ってもゲロピンの小僧生活では、雑踏の中を歩いて、店を覗くだけだったが、それでも気晴らしには成った。帰りは又市電で河原町通りを北に向かい、この河原町丸太町で下りて、次ぎに西に向かう市電で、丸太町御前で降り、徒歩で小僧寺に帰ったものである。その日、そのまま車を進めると、河原町御池、三条、蛸薬師、四条へ向かう。此処は繁華街の真っ只中で道路も混み合い通過するには不向きなのだが、あえてその道を選んで京都東インターへ向かった。案の定渋滞に巻き込まれ少し走っては止まりの繰り返しだったが、左右の雑踏を横目で見ながら、懐かしさで堪らなくなった。私の青春時代は小僧生活に縛られて、殆ど庭掃除の毎日だったが、ほんのわずかな自由が、何にも代えがたく、嬉しかった。偶然通った道で、図らずもこんな記憶が蘇り、何だか得したような気分になった。