2015年10月16日
尼僧堂
14年前、臨済宗・黄檗宗合同で尼僧のための専門道場が開設された。僧堂には必ず指導者として「師家」が要る。ところが以前京都にあった尼僧堂が閉単してから何十年も経っているので、尼僧さんには一人も師家はいない。誰か男僧の老師に面倒を見て貰うと言うことになって、何とこの私が指名された。それは私が特別優れているからでは無く、たまたま新しく出来た尼僧堂が、うちの近くのお寺で、しかもそのお寺とうちの寺とは昔からご縁があるので指名されたのである。爾来ずっと男僧堂と尼僧堂両方を看ている。開単されてしばらくは、その寺の住職の尼僧さんが堂長となって、雲水の日常は面倒を見ていて呉れたのだが、病気で亡くなり、その後を引き受けてくれた近くの和尚さんも亡くなってしまい、今は又別の和尚さんに面倒を見て貰っている。そんな経過を辿り、現在はだんだん私自身が深く関わっていかなければならなくなった。そこで解ったことがある。男の雲水と女の雲水とでは、全く違う。何処がどう違うのか説明するのはなかなか難しいが、どうも頭の構造、思考回路が違うと言うことである。好き嫌いなどの感情が、ダイレクトに表面に出てくるのだ。何とかならないものかと思うが、どうも同じ人間でも違うのである。これで日々頭を抱えている。同じ屋根の下で一挙手一投足、細かく指導して行くことが出来ないというのも一つの問題である。少し希望が出てきたのは、真面目で一生懸命修行している尼僧が要るので、これが修行をやり上げてくれれば、私の役目は終わる。
投稿者 zuiryo : 2015年10月16日 03:48