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2015年10月19日

94歳の大往生

知人で企業家の方が94歳で亡くなられ、お別れの会が催された。ひょんな切っ掛けで二十数年前、月2回の坐禅会を発願され、うちの寺の第二禅堂を使い、爾来今日までずっと続いている。会員の中で、ちょっと不参加が続く人が居ると、必ず参加するように言葉を掛けて居られた。一回約1時間の坐禅中、殆どの人が必ず警策を受けられた。ところがある方で、絶対受けない人が居たのだが、どうして警策を受けないのかと、わざわざ受けるように勧めたり、親身になって座禅会を盛り上げて下さった。80歳半ばを過ぎる頃から、さすがに自宅で奥さんが介護する事ができなくなり、近くの介護施設で過ごされていた。その間、会社を訪ねては、幹部社員を激励し、ずっと信仰を続けて居られた神社とお寺巡りが、唯一の楽しみだった。うちの寺にも、初期の頃は庫裏の前の紅梅が咲きそろう頃、その後は一ヶ月に一度くらいの割合で、お詣りに来られた。自分の今があるのは神仏のお陰、その一念であった。そのお詣りのペースが最近頻繁になり、ほぼ毎日来られるようになった。これは何か感じるところがあって、人生の終末を悟ったのではないかと感じた。それから間もなく亡くなられた。人間も精神が研ぎ澄まされると、生死の極みを悟るのではないかと感じた。

投稿者 zuiryo : 2015年10月19日 15:37

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