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2015年11月28日
三国志
知人で宮城谷昌光著「三国志全13巻」を読破された人が居る。「なかなか面白かったですよ。読んでみますか?」と言われ、うっかり「はい!」と言ってしまったところ、翌日紙袋にどさっと入ったのが、運び込まれた。実はもう四十年くらい前に、三国志を矢張り友人に勧められて読み始め、読んでいるうちに登場人物の多さと地名の複雑さに、頭が大混乱をおこし、拝借した手前途中で断念するわけにも行かず、必死になって読み終えたことがある。ちょっと間があくと何処まで話が進んでいたかも解らなくなる。そう言う過去の悪夢が頭をよぎったが、「ハイ!」と言ってしまった限り、今度も読破する意外に無いと腹を決めた。そこで今回はよそ事は一切放下して、取り憑かれたようになって読んだ。単行本13巻、ともかく読了した。感想をひとこと、前回よりは固めて読んだ分、私の頭の中で物語が一応繋がったが、戦に次ぐ戦の物語、一気に何万人虐殺とか、放たれた矢が雨のように降り注ぐとか、人を欺いて一気に首をはねるとか、スケールの大きい話の連続で、息つく暇も無い。読み終わってがっくり疲れてしまった。劉備元徳とか関羽、張飛など、三国志演義に登場する英雄などは殆ど書かれて居らず、実はこれは虚構の小説なのだそうだが、史実に依った歴史物語で、読んで血湧き肉踊ると言うのは一切無かった。しかしこういう場面がある。楊震が推挙して昌吧の令になった王密が訪ねて来て、懐から黄金十斤を出して王震の前に置いた。これを退けようとした王震に「暮夜のことです。誰も知りません「と言った。楊震は表情を硬くして、「天知る。地知る。我知る。子(なんじ)知る。」と云った。どんな密事でも天が知り地が知り当事者が知っている。これが悪事なら露見しないことがあろうか。この「四知」の逸話、実に深い話である。
2015年11月22日
書道家
先日、ある人の紹介で女性の書道家が訪ねて来た。筆一本で生計を立てていると言うので、その頑張りに頭が下がった。総じて書家に限らず画家や音楽家など芸術で身を立てて行くことは容易なことではない。努力の割には恵まれないというのが実感である。じっとお話を伺っているうちに、この方は人間として「徳」を持っているのだな~と感じた。不思議な縁に恵まれ次々に仕事が舞い込んで、それで何とか暮らしが出来ているらしい。綱渡り人生と言えなくも無いが、本人はそんなふうには思わず、「・・・本当に有り難いことです!」と感謝で暮らしている。東日本大震災の現地にも駆けつけて、被災し落ち込んでいる方一人一人に逢い、苦しい胸の内をひたすら聞き続け、その人のイメージに合った「こころ」と言う字を書いて差し上げるボランティアを続けているという。自分に出来ることは何か?と考え、これを思いついたと言う。大変喜ばれ、少しはお役に立てたと感じたそうだ。こういう方だから、次々、不思議に支援者が現れて、そのお陰で生きて行けるのだろう。ものごと、まずは自分の身を守ることから始まる人が多いなか、身を捨てるところから始まる生き方をしている。あの年でそう簡単にできることではない。
2015年11月21日
おしゃべり
先日知人夫妻と新幹線ひかりに乗って、私の座席を一回転させ、相向かいになりお喋りに興じた。あたり憚らず大声で喋っていたわけでも無かったのだが、車掌さんにうるさいとクレームがつきましたのでと、注意されてしまった。座席を再び一回転させ、おしゃべりを止め、じっと聞き耳を立てると、な~るほど!車内は静寂そのものだった。確かにこれだけ静かでは、我々の話がうるさいというのも解るような気がした。飛んだ失礼をしたものだ。しかし旅の道中、車内でお喋りに興じるというのはごく当たり前のことで、昔の列車は皆相向かいシートだったから、長旅などでは他人同士でもお菓子を分け合ったり、「どちらからお越しですか・・・」などというお喋りはごく普通だった。昔の列車は列車そのものがガタンガタンと結構音がした。それに比べ、新幹線の静かなこと、これだから余計うるさいと感じるのだろう。私は特に日常殆ど一人きりで過ごし、お喋りをすることなど無いので、たまに友人に会ったりすると普通以上に喋るのかも知れない。世間知らずだから、うっかり周りへの配慮に欠けるということになるのだろう。
2015年11月19日
出雲大社お詣り
近江の友人夫妻と念願の出雲大社参詣に出かけた。はるか50年前、京都で小僧をしていたとき、真冬一人で出雲へ出掛けたことがある。大社駅からとぼとぼ歩いて行ったように記憶している。お詣りの人も殆ど居らず、ひっそりと静まりかえっていた。砂地の参道を歩くと正面に大きな本殿が現れ、さすが出雲大社だと思った。それにしてもずいぶん殺風景だな~と感じた。尤も真冬の酷寒の時期だったからかも知れない。さて今回半世紀ぶりに訪れその変わりようにビックリポンだった。門前には沢山のお土産店や食堂が軒を連ね、砂地だった参道も綺麗に整えられ、それにもまして人の多いのに驚かされた。あいにくの雨降りでちょっと足下が濡れてしまったが、ボランティアガイドの説明を聞きながら、良いお詣りができた。遷宮で新しくなった本殿の威容も素晴らしかった。友人の娘さんに良い相手が見つかりそうなので、出雲の縁結びの御利益のあやかり、綺麗なお守りを授かっていた。お詣りを済ませ、近くの博物館を見学した。国宝がぞろぞろ展示され、さすが~!だった。宿は皆生(かいけ)温泉で、解禁早々に捕れた大きな蟹を腹一杯食べ大満足の旅だった。
2015年11月04日
信長開府400年
信長と言えば安土城を直ぐイメージするが、安土城以前、まず岐阜城の城主となった。そもそも信長の奥方濃姫は岐阜の人であり、楽市楽座を開き、大いに商業を興し、岐阜を繁栄させた。現在岐阜城の下で、信長館(やかた)発掘調査が続けられている。黄金の瓦が出土したり、庭に作られた滝が発掘されたりしている。いずれは信長館を再現したいという構想らしい。ところで、開府400年を記念して、姉妹都市提携しているイタリヤのフェレンツエから、絵画や彫刻作品を借りて、展覧会を催す計画である。その一行団に加わって(と言っても私はただ賑やかしで参加しただけだが)フェレンツエへ出掛けてきた。有名なウッツエー美術館も、長蛇の列を脇目に裏口入館、素晴らしい絵画を堪能させて貰った。翌日は知人と二人で別行動、2時間半田園風景が果てしなく広がるところを、ある絵を見るために出掛けた。中心に大きくマントを広げたマリヤさんが描かれ、それを中心に沢山の人が周囲を取り巻いている。イタリヤ地方都市の、その絵があることを知らなければ殆ど知られないような美術館である。そこから又30分ほどさらに田園風景の中を走って、元小学校だと言うところに飾られた、この絵の構図も中央にマントを広げたマリヤさんと周囲を取り囲む人々が描かれた絵である。私はどうしてもこの絵を見たいという方に引っ張られるように同行させて頂いたのだが、絵の前に釘付けになった。現地のガイドさんの丁寧な解説で、益々引き込まれた。思わぬ眼福の一日と成った。何事も野次馬根性というのは大切で、こういう思わぬ良い思いも出来たわけである。信長から話が大分それてしまったが、もとを辿ればこの旅行はその信長から始まったわけで、誘って頂いた方に感謝感謝である。