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2016年02月27日
白隠さん
長野県の飯山に正受庵という小さなお寺がある。妙心寺派の寺だが、江戸時代に白隠さんがしばらく逗留され、正受老人に就いて修行、托鉢中に大悟したという因縁でつとに有名である。この正受庵の場所は長野県の飯山という所で、豪雪地帯である。つい先日、NHKの「小さな旅」という番組で、真冬の集落での生活ぶりが放映された。なるほどこれは雪深い!お年寄りが集まってせっせと藁細工をしていた。こういう場所で、お檀家も余りないお寺のために、維持管理もままならず、最近までご住職が居られたのだが亡くなったため、今は無住状態。そこで今回の250年遠諱に、宗派でお金を出し合い傷んだところを修理することになった。我こそはと、どなたか申し出て、こういう大切なお寺を頑張って守って欲しいものだ。私がまだ小僧をしていた頃、師匠も同じ長野県出身だったので、正受老人と白隠さんの因縁話をよく話してくれた。昔の修行者の本当の姿がそこにはある。お前もこれを見習え!と策励された。ところで私が伊深で修行中、50年前200年遠諱の報恩接心が静岡県の原の松陰寺であり、参加させて貰ったことがある。接了後、他の僧堂の雲水数名と近くの海岸へ行った。すると、そんな深夜に地元の若者が数人で小舟を出して網を打ち魚を捕っていた。それに同乗させて貰い、漁師と一緒に網を引いた。小魚が網の中で躍っている。焚き火を囲んで取れたての魚を頬張り、一升瓶で茶碗酒を飲んだ。暗闇でお互い顔もよく見えない所で、誰とも解らぬ地元の若者達と大いに気勢を上げた。こんなことが無性に懐かしく想い出される。
2016年02月24日
石中に火有り・・・
遙か昔のこと、私が伊深の僧堂で知客(しか)役を仰せつかって居た頃、老師がやって来て、「この竹篦(しっぺい)の字を小刀を使って彫りなさい」と言われた。それはいつも室内で問答の時握って居られる物で、雲水の良い見解(けんげ)の時は、この棒でビシバシと背中を叩く。その時初めて、「石中に火有り、撃たずんば発せず」と書いてあるのを知った。一字づつは大変小さな文字で、失敗したら大変と思い、結構苦労して彫り上げた。彫り込んだ部分には白い粉を磨り込むと、陰影がはっきりして、我ながら上出来と感じた。老師も、「なかなか良いじゃないか!」と褒めてくれた。そんなことがあってから遙か後、今度は自分が師家になって、室内で竹篦を使い雲水の背中を叩く側になった。ふと当時のことを想い出し、あの言葉は室内に相応しい良い言葉だと思い、今度は自分で書いて自分で彫った。この間、何と50年近くの歳月が流れたのである。
2016年02月23日
書道の稽古
近頃雲水に書道を教えている。お坊さんは何かと筆を持つことが多いので、綺麗な字が書けるというのは仕事柄必要なことである。さて雲水の書いている字を見て驚いた。まるで筆文字になっていない。刷毛で塗っている感じなのだ。こりゃ~根本的に訓練しなければ、とても無理だと感じて、一本の線を引く基礎から始めた。単純に横線1本・縦線1本、左右の点(梅核)、これを繰り返し書かせている。しかしたったこれだけが旨く書けない。三分の二はこの練習に当て、こればかりでは飽きてしまうから、半紙一枚に五字を稽古させている。そもそも習字は雲水の方から言ってきたもので、毎日の告報板の字を見てもお粗末千万で、自分でこれは酷いと感じたようだ。ところが実際始めてみると、成長の速度が速いのに驚かされた。メキメキ上達して、何回かやってみると、結構ましに成ってきた。精々続けて帰るまでには師匠が驚くぐらいに上達させてやりたい。
2016年02月20日
朋遠方より来る
明日の坐禅会「光陽会」参加のために今日から東京より3人やって来た。内一人は2年前から毎月この坐禅会に参加しているベテランの方、もう一人は有名な川上哲治氏のご子息さん、もう一人はスポーツ紙の記者という組み合わせ。前夜祭というのも変な話だが、朋遠方より来たるまた楽しからずやと言うわけで、制間なので気心の知れた割烹で旧交を温めた。記者さん以外は、つい先だって九州の断食道場で一緒だった。遠方からわざわざ来るのだから、まあ、ご苦労さんというわけである。この割烹は夫婦でこじんまりとやって居られるのだが、ノラ猫ちゃんを可愛がって世話するのが趣味で、私の趣味と一致、と言うわけで何かと共通の話題があって、意気投合なのである。ところで我が家の「ノラクロ」もすっからノラを脱して、「ウチネコ」になった。第一人相がすっかり変わった。態度物腰も堂々として、嘗てのように警戒しながらではないから、傍から見ていても気持ちが良い。猫の寿命はどれくらいなのか知らないが、相当以前からお寺に住み着いていたから、クロは最晩年になって、人生の内で一番幸せな時を過ごしている。温かな縁側で丸くなって寝ている姿を見ているとこちらまで幸せな気持ちになる。
2016年02月18日
ともしび会
もう数十年も前、ある信者さんが発願されたもので、ともしび会というのがある。最初は商工会議所の一室を借りて催されていたが、途中からうちの寺の本堂を使うようになった。毎月講師を各方面から招き、約1時間半貴重なお話を聞く会である。年始め第1回は2月から始まり、私が最初に受け持つ。聴衆は全て女性、一般の主婦から会社の経営者など、平均年齢は60歳くらいの集まりである。皆さん長期間、様々な分野の講師の話を聞いてこられたので、耳が肥えている。皺くちゃ婆~さんの集まりか~、なんぞと思っていたらとんだ目に遭う。まっ、その覚悟を持って臨めばど~つことは無いのだが。一夜ずけで、昨日からいろいろ資料をあさり、頭をひねっている。この会の主催者は昔から良~く存じ上げている方なので、会の内情にも詳しい。年々老齢化により会員も減少し会計も苦しい。その割には講師に結構な謝礼を払っている。私も主催社の一員のような立場なので、2月は謝礼無しでやっている。その代わり私は他の講師の話を勝手に聴くことが出るというわけ。是非聞きたいという分野ばかりではないので、適当に取捨選択して拝聴しているが、大変良い勉強に成り、有難い会である。
2016年02月17日
白内障
私の周辺では殆どの者が白内障の手術をして、クリアーに見えるように成り、世界が違ってきたという。私は十数年前から、涙が出ないドライアイ(日頃雲水をいじめているから、血も涙も無い)になり、毎月眼科へ行って目薬を貰い毎日3回目薬をさしている。そのお陰かどうか知らないが、白内障にならず実によく見える。私だけがなんだか流れに乗り遅れたような気して、ぼちぼち白内障にならないのかな~と思ってしまう。病気を欲しているわけでは無いが、何事も人並みが良いと日頃から思っているからだ。先日も友人に会ったら、腰の手術をして、U字形の金属でバッチリ止めているレントゲン写真を見せて貰った。医学も進歩したものだと改めて感じた次第。かく言う私も十数年来の腰痛持ち、毎月整形外科でブスッ!と注射を打って貰い、貼り薬で何とか凌いでいる。ああ成らないように、腰をいたわってやらなければとあためて思った。
2016年02月16日
紅梅
弊寺は昭和20年7月9日の岐阜空襲で全山焼失した。劫火の中本堂、庫裏は勿論樹木も全て灰燼にきした。その後本堂は再建され、庫裏は大垣の信者さんから移築され一応伽藍は調った。それから20数年後、忘れ去られていた黒焦げの根っ子だけの紅梅から一筋の青い芽が伸びた。1本が2本、3本が4本と次々に芽が伸びて、ついに焼ける以前の立派な梅の木に蘇った。爾来毎年真っ赤な花を見事に咲かせている。平成5年、新たに本堂庫裏を再建したとき、この巨大な梅の木を庫裏の正面に移植した。山門をくぐると見上げるばかりの紅梅が聳えている。その紅色の鮮やかなことと言ったらない。毎年多くの人たちが見物にやって来る。易経の中に「窮して変じ、変じて通ず」と言う言葉があるが、紅梅はこの言葉を再現したわけで、まさに生きた教えである。
2016年02月14日
女性能楽師
女性能楽師というと直ぐに白洲正子さんが浮かぶ。彼女はプロだったわけでは無いが、若い頃から数十年も続け、あるときプッツリやめた。理由は女性として越えられない何かを感じられたようだ。知人で学生時代から数十年、づっと能を続けておられる女性がいる。ご自分の家を新築するとき、能の稽古場まで作られたほどだ。又別の友人で、ずっと謡曲を稽古され、還暦を機に、名古屋の能楽堂で能を披露された方も居る。このように私の周辺では謡曲に入れあげる人、能に入れあげる人等々、所謂古典芸能が盛んだ。特に謡曲は沢山の方々がやって居られ、古希の祝い、喜寿の祝い、その他ゴルフのエ-ジシュートの祝宴に至るまで、宴たけなわになると必ず謡曲が披露される。老人の男性十人くらいの朗々たる謡曲はなかなか良いもので、その会がぐっと盛り上がる。さてくだんの女性能楽師、下手な男は側にも寄り付けない雰囲気をお持ちなのだが、昨年秋、市の仕事の関係で20人くらいの団体でイタリヤのフィレンツエへ出掛けた。途中半日ほど一行と別れ、彼女がどうしても見たい絵が在るというので、ガイドさんとマイクロで超田舎へ出かけた。何故彼女がそうもこだわってこの絵を見に行きたいと思われたのかというと、以前絵のグループでイタリヤ各地の絵を見て回ったとき、もっとじっくり見ていたいと思う絵があったのだが、時間の関係で早々に帰ってしまった。そのことがずっと頭に残っていて、今回図らずも近くの都市まで行ったので、別行動を取ってもこのチャンスは逃せないと思われたのである。女性一人きりやるのも心配なので、まっ、私が同行させて頂いたというわけなのだが、その絵の前に佇み、釘ずけになった。巨大な絵で、第二次世界大戦の時は、この絵を守るため村人総出で大きな穴を掘り、埋めて守ったそうだ。中央にマリヤさんが居て、周囲を女性が囲んでいる。崇高なマリヤの顔や姿は、思わず引き込まれた。この絵をもう一度見たいと出掛けたこの女性能楽師のこだわり、執念、これだと感じた。だから何十年もお能を続けてこられたのだ。
2016年02月13日
ダボハゼ
もう20年ほど前から制間になると九州の断食道場へ出掛けている。始めの頃は6日間の空腹に耐えかね、もう二度と来まいと思ったが、近年は大変快適に楽しく過ごせるようになった。長年の経験と言うこともあるが、特に日常的に齋座(昼食)を抜くようになり、空腹慣れしてきたこともある。また親しい友人達と一緒で、同病相憐れむ心境になるからなのかも知れない。また主催者の道場長とも言えべき80歳のおばあちゃんの溌剌として、純な心に触れられるのが魅力なのかも知れない。ともかくまずは飛びついてやってみることである。また一番最初に参加したとき同室だった福岡市内の方と、その後ずっと交流がつづき、無二の親友になった。不思議な縁である。馬が合うのか、時たま喧嘩しながら、ずっと交流が続いている。最初友人にこの道場を紹介して頂き、その話にのったのがそもそも始まりで、何事も好奇心旺盛なのが良い。2年くらい前から通うようになったろうそく温泉も、20数年続いている木曽御岳の滝行も、勧められたのが切っ掛けとなって今なお続いている。何でも直ぐ飛びつく「ダボハゼ」精神、これが良いようだ。
2016年02月04日
断食道場
明日から一週間、九州の断食道場へ行ってくる。20年ほど前、友人から勧められて毎年1回通うようになった。文字通り何も食べずに過ごすのだが、なかなか合理的に出来ていて、完全水断食と違い、甘い酵素の飲み物を日に3回飲みながら、先生の講義を拝聴し、日に2回酵素で暖められたおがくずの中に砂風呂のように潜り込み、大汗かく。ほぼこの繰り返しなのだが、先生の話が実に良いのだ。健康道場だから勿論体の健康についての話が中心だが、内容もさることながら、その先生の魅力的なキャラクターが良い。長年通う私などは断食より先生にお目に掛かるのが楽しみで出掛けるようなものである。ではどう良いのかだが、これは参加して直接会ってみなければ、その良さをお伝えすることは出来ない。何事もそうだが、人間的魅力に勝る説得は無い。今回は参加者7名全て旧知の方々ばかりなので、まっ、同窓会のようなものである。
2016年02月03日
節分追儺会(せつぶんついなえ)
今日は夕方晩開板(ばんかいはん)の木板(もっぱん)が打ち鳴らされ、禅堂では雲水が一斉に坐禅を組む。常住(じょうじゅう)の典座・副随・殿司がそれぞれ、鬼とご案内役と豆撒き係になって、隠寮から書院、本堂、寮舎、禅堂、各東司等々を大声で巡る。まず「ご案内!」と言って障子を勢いよく開け放ち、次ぎに鬼が金棒をドンドンと畳に打ち付ける。間髪を入れず大声で「鬼は外、福は内~!!」と巡る。ある年、隠寮へ登っていきなり障子を思いっ切り開けて、張り裂けんばかりに、「ご案内!」とやったものだから老師はびっくり仰天、度肝を抜かれ、間に髪を入れず、「バカモ~ン!」と怒鳴りつけた。びっくりしたのは鬼!ひっくり返った。まっ、叱りつけた老師も老師だが、ご案内役もバカモンだ。いくら節分行事と言え、隠寮辺はまず老師に、節分会ですから鬼が参りますと、ことわっておいてから、他の所よりは少々やさしくやれば良いのに、もろに一段と元気いっぱい大声を張り上げた。後から事の次第を聞いて大笑いだった。ところで節分で一番気の毒なのは鬼の役目、典座寮がやることになっている。ふんどし一枚になると、皆で赤い絵の具を刷毛で塗りまくる。赤鬼が真っ青になる。寒いったらありゃ~しないのだ。シュロのふんどしを巻き、人参のツノをはじまきでギリギリ縛り付ける。いざ出陣となる。と言うわけでただでさえ力が入るから、初っぱな隠寮でこのようなしだいとなるのである。うちでは数年前から、鬼役の者から、どうか真っ赤な鬼の着ぐるみでやらせて下さいと言う申し出。まっ、これも仕方ないかな~と思い、大分鬼も楽になったそうだ。ところで尼僧堂でも同様に節分豆撒きをするのだが、「やっぱり鬼になる者が居るのかね?」と尋ねたら、「いえ、女の鬼は居ませんから、ただ豆をまくだけです」と言う話。な~るほど!ツノが出ているのは男の鬼だけだな~。
2016年02月01日
解制
今朝はいつもより早く起床して、祝聖のお経、総茶礼、喚鐘と一連の行事が無事終わってほっと一息ついた。これから1ケ月半は交代で雲水は自坊に帰り骨休め、尤も殆ど帰らない者もいる。いずれにしても制中とは違って何となく肩の力が抜け、気分が違うものである。こういうのを数十年も繰り返しやってきたのだが、日常は殆ど変化もなく単調なものだが、こういうちょっとしたことがメリハリになって、不思議にリフレッシュする。以前、姉から借りていた本が埋もれたままになっていたのを、掘り出した。「真珠湾攻撃総隊長の回想、淵田美津雄自叙伝」を一気に読んだ。そもそもこの本は姉の旦那が読んだもので、義理の兄が亡くなってからこっちに廻ってきたものである。読後の感想を言えば、実に良かった!此処には今では殆ど忘れられてしまった大和魂の原点が克明に綴られている。襟を正す思いであった。真珠湾攻撃の総隊長をした人が戦後クリスチャンになって全米各地を布教行脚した記録である。ご一読をお勧めする。