2016年02月16日
紅梅
弊寺は昭和20年7月9日の岐阜空襲で全山焼失した。劫火の中本堂、庫裏は勿論樹木も全て灰燼にきした。その後本堂は再建され、庫裏は大垣の信者さんから移築され一応伽藍は調った。それから20数年後、忘れ去られていた黒焦げの根っ子だけの紅梅から一筋の青い芽が伸びた。1本が2本、3本が4本と次々に芽が伸びて、ついに焼ける以前の立派な梅の木に蘇った。爾来毎年真っ赤な花を見事に咲かせている。平成5年、新たに本堂庫裏を再建したとき、この巨大な梅の木を庫裏の正面に移植した。山門をくぐると見上げるばかりの紅梅が聳えている。その紅色の鮮やかなことと言ったらない。毎年多くの人たちが見物にやって来る。易経の中に「窮して変じ、変じて通ず」と言う言葉があるが、紅梅はこの言葉を再現したわけで、まさに生きた教えである。
投稿者 zuiryo : 2016年02月16日 16:11