2016年03月11日
遠諱(おんき)
今年は我々の宗祖臨済禅師の1150年諱にあたる。記念の大接心と法要が催された。50年前の、1100年諱も今回同様に、報恩大接心と法要が催され、私は当時伊深の正眼僧堂で修行中で丁度3年が経過したときだった。仲間20人ほどで参加した。その時誰かが写真を撮ってくれたようで、今回一緒だった先輩が複写して持ってきてくれた。見た瞬間、50年前のことが走馬燈のように頭の中を駆け巡った。懐かしいのなんのって、涙が出るほどだった。何人かは既に他界してしまった。それぞれ顔が若いこと、私自身も少年の顔で、50年の歳月を実感した。何より有り難いのは、50年後再びこのご遠諱に参加することが出来たことである。健康だったこと、修行の世界から離れず居たこと、感謝感謝である。岐阜の瑞龍寺にやって来て34年が過ぎた。この間、開山悟渓国師の500年遠諱、僧堂創建隠山禅師の200年諱、妙心開山無相大師の650年諱、それと今回の大会と法要と、重要な節目には幾度も巡り会えた。お坊さんとしてこんな幸せなことは無い。
投稿者 zuiryo : 2016年03月11日 05:16