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2016年06月28日
風の電話
以前、NHKで放送されたのでご覧になった方もあると思いますが、岩手県のある方が、突然癌で親を亡くし悲嘆に暮れている親戚の者の姿に忍びず、使い古しの電話ボックスを譲り受け、屋敷内の畑の隅っこに設置した。昔の黒電話を置いて、勿論線など繋がっていないのだが、その中で亡き父親と電話で話をして貰うと言うことを考えた。誠にユニークな発想である。この「風の電話」は心で話すのである。静に目を閉じ、耳を澄まし、風の音、波の音、小鳥のさえずりが、あなたの想いを伝えてくれる。空に居る想う人と静に対話するための電話である。設置して間もなく、東日本大震災があって、多くの方がこの電話を利用するようになった。少しでも心を慰めて貰うために、まわりに花を植え、現在は休憩所まで設えた。最初にこれを思い付いた佐々木老人の、何と深い心根だろうか。生活に必要な住まいや食べ物などが行き渡るようになっても、なお愛する家族を失った心の闇は消えない。その心を少しでも癒やすことが出来たらと考えて作られたこの「風の電話」、何と素晴らしいことではないか。
2016年06月27日
整頓が苦手
私は小さい頃から身の回りを整理整頓することが出来ず、後であれは何処へ行ったか・・・、で大混乱をきたす。74歳になった今日でもなお、三つ子の魂百まで、その悪い性癖は直らず、我ながら嫌になっている。反対に兄は小さい頃から実に几帳面で、いつ見ても机の前は縦横キッチリ整頓されていた。3年前何十年ぶりかで一緒にインド仏蹟巡拝旅行をして、1週間ほど相部屋で過ごしたが、あの几帳面さは少しも揺るぎなく、トランクの中はいつ見ても縦横ぴしっと整っていて、改めて筋金入りに感心させられた。同じ兄弟でもこうも違うのかと思うほど、私のは初日からついに最終日までぐっちゃぐちゃ。我ながら呆れかえった。今日も30年近くシリーズで書いていたのを整理しようと始めたが、ついに断念。頭の中がパンク、隠侍にやって貰うことにした。じ~と考えた、どうして私はこうなんだ!次ぎに又考えた。もう余命幾ばくも無いこの年で、この悪癖が直るわけがない。ジタバタしてもしょうが無いと完全に諦めて、以後は全部人にやって貰おうと固く心に決めた。
2016年06月25日
30年の空間
印度北西部にあるエローラをご覧になったことがあるだろうか。私はもう40年以上も前、インド仏蹟巡拝の折り,アジャンタ洞窟と一緒に見た。此処は巨大な岩山を地下に向かって削り出し掘り出して、高さ三十メートルはある巨大な寺院を造り出してしまったのである。もとはただの岩山である。その精緻な造形にはただ唖然とするばかりで、本当に人間が造り出したものなのだろうかと思った。今何故そんな昔の話を持ち出したのかというと、ある本を読んでいたら、作曲家の芥川也寸志がこのエローラ寺院群を見て、その衝撃を音楽化して,エローラ交響曲として発表していると書いてあった。てっぺんから地下室を掘るようにして、建物として残さなければならないものを残しながら掘っていく。此処の何でも無い空間というのは、30年かかって取り除いた空間なのである。つまりその巨大な建物はもともとあったものなのである。ピラミッドやバチカンでも、確かにでかいと思うが、そのプラスのでかさには限度がある。しかしこのエローラは全てマイナスだから、止まるところがない。だから大きさがどんどん大地に続き宇宙に続いていくような,自分がドンドン小さくなって、すいこまれていくような大きさを感じる。ガンとやられて、ずっと日が暮れるまで坐って,丸一日いろいろなことを考えた。一生懸命プラスして何かをつくって良しとしていたが、そっくり裏側が残っていたのではないか云々・・・・。早速エローラ交響曲のCDを買い聴いてみた。もう一度機会があったら,この目でエローラを見直したいと思った。
EU離脱か残留か
結果はご存知の通り、離脱派が勝利して決着がついた。途端に円が一時99円台まで上昇、輸出企業が大打撃だそうである。投票当日ロンドンのポールに,お前はどっちに投票するんだ?と尋ねると、離脱派ですとはっきり言っていた。これから投票所へ行ってきます・・・。バカバカバカ!と言ったら、難民がドドットやって来て、雇用は失われ,イギリスの尊厳も失われ、良いところは何もない!と断言していた。結果はご存知の通り離脱派の勝利で決着した。遠く離れた日本ではイギリスの実情は実感できないので、これが日本にとって都合が良いのか悪いのかという判断でものを言うことになり、現地の人間の思いとかけ離れるのだろう。いずれにしてもこうなったわけだが、それがどういう形で我々の生活に影響を受けるのだろうか注目したい。
2016年06月24日
相続大難
伝統を継承していくことはなかなか難しい。我々宗門においても、格式のある寺を、次世代の者に相応の力で護持してもらうことは、困難を極める大問題である。相応しい後継者を育てたか、育てられなかったのかで、その人間の軽重が問われる。一代だけでは駄目だ。これは本人の責任とも言えるが,良き縁に巡り会えたか会えなかったかということもある。では良い縁に恵まれるのにはどうしたら良いのだろうか?これが解れば苦労はしない。宗門を見渡すと,不思議に良い人材に恵まれる羨ましい限りの人も居れば、私のようにぜ~んぜん駄目という者もいる。この差は矢張り「徳」だろうかと思う。そう考えていくと、なるほど、私にはその徳がないんだと、認めざるを得ない。くやしいな~!
2016年06月18日
ござるとくんせい
この表題、一体何だ?と思われるでしょうか。五猿と燻製ではありません。岐阜弁です。いずれも丁寧な言い方の時、こう言うのです。・・・一生懸命やってござる、・・・それ貸してくんせい、などと使う。私も岐阜での生活は合計で四十数年になるので、言葉遣いもすっかり岐阜弁になった。一口に岐阜弁といっても美濃地方と飛騨地方ではまるで違う。僧堂修行時代、大遠鉢で飛騨の山奥のお寺に泊めて頂いたことがある。3月彼岸の頃で、奥飛騨ではまだ雪が降り、手足はかじかんで、脳天まで寒さが突き抜けるようだった。大きな炉が切ってあり、薪がめらめら燃えて、鉄瓶から湯気が立ち上っていた。お庫裏さんが心の籠もった郷土料理を振る舞ってくれた。いろりを囲んで食後いろいろな話をして下さった。その時の飛騨弁の美しい響きは今でも忘れない。何と情のこもった言葉なんだろうと思った。方言は郷土の宝である。この、・・・ござるなども、そばで聞いていると、ほのぼのとした温かさが伝わって来て、岐阜は良いところだな~と思う。
2016年06月16日
木目込み人形
今日姉から、金襴の袈裟を着けたお坊さんが白い犬に手を差し伸べている木目込み人形が送られてきた。姉は昔からこの木目込み人形作りが得意で、他には何にも取り柄はないが、これだけは旨いもんだな~といつも感心していた。この度、亡くなった亭主の法要を勤めてやった、その感謝のしるしというわけである。きちんとガラスのケース入りで、なかなかのもの。特に気に入ったのは真っ白な子犬(耳が黒いのがたまに傷だが)まあそれは良いとして、お坊さんの手の先と子犬の鼻の頭がぴったり合っていて、6年前に死んだ愛犬ハチを彷彿とさせる。こう言う心の籠もったプレゼントが何より嬉しい。
2016年06月14日
もがく清田・・・
プロ野球のロッテに清田選手がいる。別に親戚でも知り合いでもないが、もともと清田という姓が少ない上、プロ野球の選手で大活躍しているとなると開闢以来の(少々オーバーだが)できごとである。と言うわけで以前から秘かに応援していた。ところが今季はまるで低迷、2割1分7厘とパリーグで一番尻っぺた、去年の活躍は何処へ行ってしまったのか。そんな折り、今日の夕刊を見てビックリポン!毎日新聞にでかでかと「もがく清田、復調へ光・・」、フォーム修正で、いきなり3安打、復調のきざし。嬉しいのなんのって、我が子の活躍を見る親のような気持ちになった。努力してもなお、不振におちいりもがき苦しむのが勝負の世界、このように這い上がる姿を見ると、我がことのように嬉しくなる。それに比べて、我々修行の世界はどうなんだろうか、改めて襟を正す気持ちになった。
2016年06月12日
メシアン、鳥のカタログ
知人で工場の敷地内に小規模の音楽堂を作り定期的に演奏会を開いている方が居られる。所謂メセナで、いつもご招待頂き素晴らしい演奏を聴かせて貰っている。様々な分野で、バイオリン・ピアノ・フルート・チエロ等々、いろいろである。あるときピアニストの児玉桃さんがメシアンの鳥のカタログというのを演奏された。所謂現代音楽で、次々にコトリの映像が写し出されると、めちゃめちゃなピアノの音が飛びだした。旋律無視、何なんだこれは?さっぱり良さも解らず聞いているのが苦痛になるほどだった。やっぱり現代音楽なんてだめだ~!で終わった。それから何年経っただろうか、今、武満徹・音楽創造への旅を読んでいたら、このメシアンのことが出てきた。武満徹はメシアンについて、「あの官能的な音ですね。音の響きの色彩の豊かさ、これこそ自分が探し求めていた音だと思った。感覚的に自分にぴったりだったんです。ものすごく悩んでいろいろ模索していたけど、それがメシアンを聴いたとたん、今まで閉じられていたドアがぱっと開かれた感じです。実に豊かな色彩なんです」。音に色彩があるなんて初めて聞いた。それではもう一度このメシアンの鳥のカタログを聴いてみようと思い、通販で早速取り寄せ、再度この苦痛に挑戦してみることにした。2,3日うちには届くだろうから、今度は根性入れて聴いてみる。結果のご報告は又後日。
2016年06月11日
電話機
お寺は部屋が幾つにも広範囲に分かれているので、親機から12部屋に枝分かれしている。そのくらい無いと外から電話があったときスムーズに用が足せない。そう言う工事はいつもお願いしている電気屋さんに任せて、こちらの方は使い勝手を主体に考えている。そこへ電話がかかってきて、あなたの所の受話器をパナソニックからNTTにこの際変更しないと、後々厄介なことになりますと言ってきた。天下のNTTがそう言うのだから、理由はよく解らないが、そうするかと思い、来て貰った。しかし電話のやり取りで少し引っかかるところがあったので、出入りの業者に間に入って貰った。な~にそんなことはまるで無く、今慌てて交換する必要は無いと解った。インチキ業者ではないのだろうが、世の中油断も隙もあったもんじゃ~ない!
2016年06月09日
ハスキーボイス
大遠鉢から帰ってきて参禅を聞いたら、猛烈なハスキーボイスになっている者がいた。私も声帯は極めて弱く、大声を上げたら途端にハスキーになってしまう。酷いと声帯にポリープが出来て手術しなければならない場合もある。私は30年ほど前、偈頌(げじゅ)を大声で唱えたらハスキーボイス、耳鼻咽喉科へ行ったらポリープ、直ぐ手術となった。と言う苦い経験もあったので、岐阜一番の名医に見せにやると、まあそんなに心配は無く、なるべく無言の行でやっていれば治るでしょうと言うことで一安心。喋るな・お経を詠むな・と言い渡す。間の悪いことに殿司なので、治るまでの間は別の者が代行。一言も喋れないというのも結構ストレスの溜まるもので、この雲水にとっては無言修行である。
寺の会計
私が雲水の時は僧堂会計は副司(ふうす)に成れば自動的にやらなければならなかった。と言っても、主たるお金の出入りは托鉢金のみ、檀家も殆ど無く、その他の収入も殆ど無い会計は単純で、誰でも出来る程度だった。寺の会計とはそのものと認識してこの寺にやって来て、驚いた。まるで違う。資産管理や土地管理など専門家に依頼し、会計士さんに全て管理して貰っている。年一度は法類さんや総代さん全員に決算報告して了承を得る。その間の日々の出入りは私が直接会計簿に記入して、3ケ月に1回会計士さんに間違いが無いか点検して貰っている。ずっと三十年以上これをやってきて、近頃悩みが出てきた。先日もある銀行の預金通帳が見当たらない。困り果て部屋中探し回っても出てこない。大いに悩んだすえ、じ~と沈思黙考、此処は無用に慌てふためいても駄目だと観念し、部屋で坐禅を組んだ。物事は単純に考えた方が良いと思い、もう一度全てをひっくり返したら、何とごく当たり前の所からぽろっと出てきた。それから又悩んだ。老化!だ。悲しくなってきた。
2016年06月08日
ペンタトニック
余り聞いたことのない表題で、何じゃそれは?と思われるかも知れませんが、所謂日本音楽の基調を成す5音音階のことである。我々が音楽というと、一貫して西洋音楽で、子供の時からドレミファソラシドで教育されてきた。言ってみればこれは、西洋絵画の油絵世界みたいなものである。一つの限られた空間の中に、人工的な空間を作り出す。自然の中に自然とは対立した人工的な空間を作り出すわけである。これはヨーロッパ世界の音楽のあり方で、違う世界には違う音楽のあり方がある。どっちが良いと言う話ではなく、自分自身の感性を考えてみると、音楽で自分を表現するとなったとき、それではどうも物足りないものを感じる。自分の根底にある感覚と、ヨーロッパとのずれを感じる。やはり日本人にはヨーロッパ人とは違う音に対する感じ方があると思う・・・。以上は目下読書中の、「武満徹・音楽創造への旅」立花隆著の一部である。私が今猛烈に入れ込んでいる作曲家の全てが書かれている。
大遠鉢
6月は1日から恒例の静岡鉢である。おもに会下(えか)のお寺に泊めて頂きながら一週間托鉢をする。毎日終日托鉢だから結構重労働だが、外の空気に触れ、お世話頂くお寺ではご馳走を頂き、僧堂とは違った日々が楽しみなのである。私も雲水時代は春秋の彼岸中10日間三人一組で何度も出掛けた。いろいろ思い出があって、今でも楽しく想い出す。春彼岸、飛騨組で高山に出掛け、当てにしていたお寺にいきなり断られ、粉雪の舞う夕暮れの市中をさまよい歩いた。引き手の責任で、何処かに泊まらなければこの寒さ、野宿というわけにも行かない。結局最初断られたお寺に再びお願いに行く羽目になり、何とか泊めて頂いた。当時は当日いきなり投宿をお願いすることになっていたために、こう言うことになってしまった。考えてみればこのやり方は随分無茶なことで、頼まれる方の身に成れば、迷惑千万である。今ではそんなことはない。予めお願いをする。ふっと、遙か昔のことが次々に思い起こされ、懐かしさで一杯になった。
2016年06月07日
障子張り替え
参禅室の障子が大分古びて、見苦しくなってきた。この部屋は本来茶室として建てられたものなので、障子も専門家にして貰うのが良いのだが、今回は雲水にやらせることにした。濡れ縁から直接雨風にさらされる構造なので、どうしても傷みやすく、度々張り替えることになる。昨日どんなふうにやってるかな~?と覗いてみたら、ビックリポン!書院の一番上等な部屋に全て広げて、作業をしているではないか。これには驚いた!経験が無いのだ。軒下に持っていき、横一列に立てかけ一斉にホースで水をかけ、ちょっと間を置いて紙をはがす。タワシでごしごし桟を洗い流して、しばらくそのまま放っておく。それからはお天気と相談で、からっと晴れ上がった日和りに、一斉に紙を貼る。今回は紙屋の専門店に行き上等な和紙を買ってきたので、失敗したら大変、とまあこう言う段取りをコーチしたというわけ。
2016年06月05日
無私のひと
穀田屋十三郎・中根東里・大田垣蓮月。以上三人の人たちに共通しているものは、無私の人生を歩んだと言うことである。毎月1回弊寺で催される「ともしび会」で名古屋大学塩村教授の岩瀬文庫講義を拝聴した折り、大田垣蓮月の尺牘の解説があった。このときは難解な文字を追いかける方に気を取られ、肝心な蓮月尼の生涯は余り記憶に残らなかったが、その後ある本を読んでいたら、過酷な人生の中で無私に生きた素晴らしい人だと言うことが解った。確かに尺牘も流れる様な筆運び、気品に満ちた書体などからもうかがうことができる。現代社会は経済至上主義、GDP競争だが、嘗て日本には冒頭取り上げた人たちのように、深い哲学があった。こわいのは、隣の国より貧しくなることではない。本当にこわいのは本来日本人が持っていたきちんとした確信が失われることである。地球上のどの国より、落とした財布が戻ってくる、ほんの小さな事のように思えるが、何よりも大切なことではないだろうか。
2016年06月01日
人間ドック
私はもう20年以上前から年一回必ず人間ドックに入ることにしている。最初の頃は知人と一緒に受診していたが、その方は2,3回して、もうこんなのは止めだ!と言って、以後一切やらずに、間もなく米寿を迎えられるのだが、健康そのものピンシャンしている。一方ずっと根気よく続けている私の方は、あっちこっちガタがきて、検査の結果はいつも黄色信号。知人の言う通りで、やってもやらなくとも健康な人は健康で、具合の悪い者は要注意を指摘されてはビクビクしている有様である。人間死ぬときは死ぬので、こんなの止めようがない。そう達観できれば良いのだが、生来小心者の私は、今年も又ドック入りというわけである。これだけ経験豊かになると、胃の内視鏡検査などは慣れっこになって、軽い麻酔をかけられると直ぐにすやすや寝てしまい、検査が済んで看護婦さんに肩を揺すられて目覚めるという次第。明日は直腸の内視鏡検査、これは眠ってられない。カメラが腸の中を蠢くと場所によって痛いのなんのって、もうひたすら早く終わるのを念ずるばかりである。