2016年06月05日
無私のひと
穀田屋十三郎・中根東里・大田垣蓮月。以上三人の人たちに共通しているものは、無私の人生を歩んだと言うことである。毎月1回弊寺で催される「ともしび会」で名古屋大学塩村教授の岩瀬文庫講義を拝聴した折り、大田垣蓮月の尺牘の解説があった。このときは難解な文字を追いかける方に気を取られ、肝心な蓮月尼の生涯は余り記憶に残らなかったが、その後ある本を読んでいたら、過酷な人生の中で無私に生きた素晴らしい人だと言うことが解った。確かに尺牘も流れる様な筆運び、気品に満ちた書体などからもうかがうことができる。現代社会は経済至上主義、GDP競争だが、嘗て日本には冒頭取り上げた人たちのように、深い哲学があった。こわいのは、隣の国より貧しくなることではない。本当にこわいのは本来日本人が持っていたきちんとした確信が失われることである。地球上のどの国より、落とした財布が戻ってくる、ほんの小さな事のように思えるが、何よりも大切なことではないだろうか。
投稿者 zuiryo : 2016年06月05日 09:52