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2016年07月30日
江戸時代の死生観
どうも現代とは相当違っていたようである。一言で言えば死をいたって気軽なものと見なしていた。欧米人の証言によれば、葬列は陽気な気分がみなぎり、死罪に処せられた女でさえ平然としていた。又火事で焼け出されてもニコニコしていたようだ。それは善し悪しの問題では無く、現代人の我々にはもはや無縁となった心性の問題なのである。これは一つに、当時のライフスタイルがある。17世紀の平均寿命は30歳そこそこ、19世紀に入っても30代後半である。幼児の死亡率の高さは、出生時10人の中、16歳まで生存できるのは5,6人に過ぎなかった。人間いつ死ぬか解らないと言うのが当時の実感だったのである。人は植物が枯死するように従容として死を迎えるというのが普通だった。こんな話が残っている。大阪天満の商人が文政11年、商用で鹿児島へ船で赴く途中、船はボロボロ漕ぎ手も年寄り、船出して間もなく風に煽られ、おまけに船頭慌てて舵を取ったのだが、舵取りを間違えて、あわや転覆寸前、ようよう凌ぐ有様。皆口々に船頭を恨んで罵ったところ、平気な顔で、「もう2寸も傾いていたら今頃は皆水底に居ただろう~」余りのことに乗客は皆笑ったと書いてある。この船頭、命をヘチマの皮とも思わぬ男だったのである。徹底的に明るい虚無感、あっけんからんとした極楽とんぼなのである。勿論江戸時代の人といえども死にたい者などいない。だが生への執着という点で著しく淡泊だったのである。
2016年07月28日
一音成仏
尺八の方で言う言葉で、一音によって仏になるとは、一つの音の中に宇宙の様相を見極める音の在り方を示していると言うことである。尺八は指使いも吹き方も難しく、微妙な音程を重視し、暗い押さえたような音である。何故か日本古来の楽器は音が出にくいように、鳴りにくいように進化する。能管は中国の龍笛が起源だが、竹の舌のような異物を入れて調律を意図的に壊している。西洋や中国では楽器はより正確な音程が出せるように進化し、論理的に音楽を作っていく。ところが日本では音が曖昧だから論理的な音楽は出来ない。その代わり曖昧さや音の出にくさを逆に利用して、一つの音に複雑微妙な味わいを付け、それを評価する。一つの音の中にすべてを込める。琵琶でも同様で、機能化の過程で捨てていった雑音を、積極的に音楽表現として使う。「美しいノイズ」という。それが出せるような装置を琵琶は持っている。それを「さわり」という。弦の先端が楽器本体と接する部分に溝を掘り、弦が振動するときに微妙に本体にさわって、ビ~ンというノイズ音を発するような仕掛けがある。邦楽ではさわりが高く評価され、「さわりが取れたら一人前」と言われる。雑音を高く評価し、一つの音を重要視し、そこに世界全体を聴くと言うような聞き方、ここから一音成仏という言葉が生まれて来たのである。
飛蚊症
数日前から左目の前を蚊が飛んでいるような、どうにも煩わしいことになった。始めは眼の中にゴミでも入ったのかとも思ったが、どうもそうではなさそうな感じである。いつも診て貰っている眼科医に行くと、これは飛蚊症と言って、老齢化現象の一つで、そう心配することは無い。しかし場合によっては眼球の中に危険なこともあるので、瞳孔を開く目薬をして、一度眼球の中を見てみましょう。目薬をして30分ほど待っていると、先生の前に行き検査、「ハイ!右を見て、左を見て、上を見て、下を見て。まっ、心配は要りません、蚊が何匹も出るようになったら、もう一度お出で下さい」と言うことで無罪放免、安堵した。世の中にはいろいろな病気があるものだ。しかし蚊をやっつける処置はしていないので、依然として左目の前を1匹飛んでいるのですこぶる煩わしい。
2016年07月27日
ポケモンGO
何事にも好奇心旺盛な私は、今話題の「ポケモンGO」をやってみたいと思った。まず取得方法が解らない。山内の若い和尚に問うと、余り興味はありませんので解りませんとつれない返事、うちの妹が知ってるかも知れませんので聞いてみます。間もなくメールで教えてくれたが、それが解らないという始末。何でもやって貰うのが良いと思い、知り合いの若い娘さんに操作して貰い、一応ポケモンマークをスマフォにゲット、しかしそこからさらにいろいろややこしい操作があり、先は自力で悪戦苦闘のすえ、ついにこれで良し。ところがそこから先、一体これからどうすりゃ~良いんだ!またまた壁にぶち当たった。よ~く考えた!自分の年を考えろ!キャラクターを捕まえるために町をウロウロする姿を。でも思いませんか?幾つに成っても好奇心旺盛なこの生き方。
2016年07月25日
昔あって、今無くなったもの
数え上げれば沢山あるが、近年凡そ「つつしみ」とか「わきまえ」がなくなった。旧久留米藩士だった老人の話にこんなのがある。在る日孫娘二人が、旧藩主の祝事に招かれ、姉妹は拝領の縮緬の紋付きを着て、行って参りますと挨拶に来た。すると老人は苦々しげに睨み付け、「ふたしなみな奴どもだ」と叱った。傍らで見ていた人が理由を問いただすと、「かようの場合は必ず召された屋敷にて衣装を着くべきものである。これは近隣世間に対する身だしなみというものである。自分の心に諮り、朋輩その他に羨(うらや)まれ、世間に目立ちはせぬかという程合いを考え、これをその身の行うことである」と語ったという。江戸時代の人は日頃からこんな「たしなみ」を気にかけて暮らしていたのである。さぞ息が詰まっただろうと現代人は想像しがちだが、一端幼少時から身につけてしまえば、何と言うことはない。率直で飾り気が無く、しかも無邪気で人なつっこさを尊んだのである。赤子のような純真極まりない人々であったのだ。
2016年07月23日
つつしみ
現代凡そ「つつしみ」とか「わきまえ」というものがなくなった。昔は良かったな~などと言うと、若い連中から、また年寄りはそんなことばっかり言うと非難される。便利で効率的で良い面も沢山あり、日々我々老人も若者同様にこの便利さを享受しているのだが、一方で時間に追われてせかせか日々過ごしているような落ち着きのなさも感ずる。なかでも失われたものの一番は、「つつしみ」と「わきまえ」である。若い娘が電車の通路にしゃがみ込んで平気でパンにかぶり付いているなどは論外だが、凡そ慎みがなくなった。これは天明寛政の頃の話だが、ある僧が木曽山中で馬に乗った。道の険しいところに来ると、馬子は馬の背の荷に肩を入れて「親方、危ない」と言って助ける。度々なので僧がその故を問うと、おのれら親子四人、この馬に助けられて露の命を支えておりますゆえ、馬とは思わず親方と思っていたわっているのです、と答えたと言う。難所にかかると馬子が馬に励ましの言葉をかけ通しだったと記している。こう言う情愛は牛・鳥・犬・猫に到るまで及んだようだ。現代も犬や猫を可愛がる人は多いが、その情愛においてちょっと質が違うのではないかと思う。江戸期の日本人はこの男に限らず、馬を始め全ての動物に対し、自分達家族と同等の一員と見なしていたようである。それは自らに対する「つつしみ」から出ていると言う点が、現代と大いに違うのだと思う。
2016年07月22日
南部風鈴
風鈴は夏の必需品で、軒に吊してリンリンと言う涼しげな音に暑さを凌ぐ。その産地南部鉄で作る風鈴が、近年ばったり売れなくなったそうだ。マンションではうるさいという苦情まであるらしい。うちでは頂いた金属製のとガラス製と二つ吊して風情を楽しんでいる。近頃はスマフォのユーチューブで南部鉄の風鈴の音を聞くと言う話を聞いて、はっはっ~ん!と言うことは深山幽谷の小川のせせらぎ、ヒグラシの声なども聞けるかも知れないと検索すると、あるはあるは、選り取り見取り。新しい発見で世界が広がった。時折恵那の山奥のラジューム鉱泉保養所で、風呂に入り、2回目入浴までの間、小川の畔で坐禅を組む。これが実に気持ち良く、さらさらと流れる小川の響きに何とも癒やされる。それを思い起こし、小川のさらさらとヒグラシの声を部屋で聞きながら、しばしの涼を楽しんでいる。
2016年07月21日
水陸会(すいりくえ)
17日から1週間、毎日午後6時半から本堂中央に施餓鬼棚を飾り、水塔婆に私と各雲水の先祖代々、僧堂の信者さん方先祖代々を供養する行事である。日中の暑さが残って、開け放った本堂へも熱い風が吹き抜け、大汗かきながら水向けをし、金剛経を詠む。この時期恒例の行事で、これが終わると起単留錫、講了を残すのみとなり、いよいよ雨安吾も円成となるのである。瑞龍寺へ来て以来34回目の水陸会である。また話は変わるが、今年で早朝坐禅会が30年の節目を迎えたので、3月に桜を記念植樹した。その印に30周年記念植樹と石に刻んで残すことにした。もうひとつ、13年も前になるのだが、信者さんと数年に分けて四国88カ寺歩き遍路をした。88番札所を無事円成し、徳島の港よりフェリーで和歌山に行き、高野山へお礼詣りした。その時記念に高野槙の小さな苗を買い、お寺の鐘楼脇に植えた。それが無事に育って高さ3メートルくらいになったので、歩き遍路の3人の名前を石に刻んでその高野槙の側らに建てることにした。その原稿を持って近くの石屋さんへお願いに行ってきた。山内のお寺は後ろに墓地があり、しょっちゅう墓石屋さんが出入りしているので、この間石屋の親爺さんに相談して、要領を聞き、今日頼みに行ったというわけである。
2016年07月17日
クロの人生
もう十年以上も前から野良猫「クロ」が隠寮辺に住み着いている。以前はつくばいの下に潜んで、小鳥が水浴びに来ると飛びかかり食っていた。だからクロを見つけ次第石を投げつけ追っ払っていた。ことに我が愛犬「ハチ」とは犬猿(猫)の仲、しかしいくら追っ払っても、余程隠寮辺の居心地が良いらしく、ずっと住み着いていた。やがて月日が経ちハチも亡くなり、ガクッと来ている心の隙を突くようにクロがしばしば近寄ってきた。改めて見ると、クロも存外可愛らしい顔をしている。それからキャットフードを買ってきて与えるようになり、背中を撫でてやると、益々可愛らしくなり、ついには飼い猫のようになってしまった。今では本人もすっかりその気になって、一番涼しいところに陣取ってどて~!と寝転んでいる。しかし最近は急に老化が進んで、黒が焦げ茶になった。顔もお婆さん顔になり、いかにも弱々しい。この調子では余り寿命も長くなさそうだ。よく考えると「クロ」の人生は波瀾万丈であった。せめて最後は「ああ幸せだったな~」とクロが思えるようにしてあげたいと思っている。
2016年07月16日
平和祈願像
梅林公園の山裾に台座を入れると高さ3メートルほどの平和祈願の像が建っている。学徒動員の少女が着物の上にもんぺ、ズックを履いて、背中には防空頭巾に鉄兜、右手をかざし遙か彼方を見つめている。裏側の説明文に依れば、昭和20年8月7日午前10時半、豊川海軍工廠で勤労動員の少女達は、米軍機300余機の空襲を受け、2000余人の尊い命が奪われた。そのうち岐阜出身者は300余人、戦後有志の方々によりこの像が建立された。私が岐阜へやって来て間もなくの頃、山歩きのためにここを通ると、毎日、腰がくの字に曲がったお婆さんが銅像のまわりを掃き清め、花を建て、一心に祈っていた。きっとこの方の娘さんかご姉弟が亡くなって居られるのだと察せられた。その後しばらくここを通らなくなって久しぶりに行ってみると、周囲は鬱蒼と草で覆われ、荒れ放題になっていた。多分あのお婆さんは亡くなられ、関係者の方々も亡くなられたのだろう。そこで私がこれから毎日ここを通って山歩きをし、短いお経をあげようと思った。この方々のお陰で現在の我々があるのだから。私は昭和17年生まれで、小さいながら空襲の恐怖の一端を知っている。この時代のことを決して忘れてはいけないのだ。
2016年07月15日
カラスの襲撃
うちは繁華街に近いと言うことと、裏に鬱蒼とした山が有るので、朝夕カラスが大集合する。とくに本堂の棟などは夕方、森へ帰るときの集合場所になっているのか、横一列、まるで飾りの置物のようである。ところが近年繁華街の柳ヶ瀬では生ゴミ回収業者に依頼し、暗いうちから片付けてしまうので、あてにしていた沢山のカラスは食糧難に陥ってしまった。つい先日も、隠寮の庭に突如として沢山のカラスが集まってぎゃ~ぎゃ~、喧しいったありゃ~しない。雲水に聞いてみると、森に徘徊するリスを襲っては食っているのだという。本堂の前にもよくリスの死骸が見受けられるという。まっ、カラスも生きんがために必死になっているわけで、カラスばかり責めるわけにも行かない。さて人間世界では弱者救済、手厚いケアーが文明度の物差しになっているが、何事も行き過ぎると、その為に他の所にしわ寄せが来て、これも又新たな問題になるという例もある。要はそのバランスである。先日もテレビで報ぜられたのを見ると、抗ガン剤が次々に開発され、高価なものでは1ケ月の注射代が1800万円にもなるという。本人負担は保険により上限が決まっているのでわずかだそうだ。しかしこのまま行ったら保険制度そのものが破綻すると危惧されている。ではどこで線を引くかである。なかなか難しい問題である。医療制度全体のほどよいバランスなのではないかと思う。イギリスは昔から社会保障制度が充実しているので有名だが、例えば医療も全てただだが、実際には猛烈な人で、まともな医療は受けられない。そこで一般的には個人で保険会社・医者と契約して診療を受けている。極端に行けば日本もいずれそうなるのではないかと危惧する。
2016年07月12日
参禅
僧堂は毎日朝晩、参禅がある。これを三十数年間やって来ているが、雲水一人一人の心の内が実に良く見える。師家と雲水の接点は、日常的には殆ど無い。朝の勤行か講座くらいなもので、隠侍は別だが、後の者は顔を見ることさえない。しかし参禅で公案を介してやり取りをすると、相手の全てが丸見えになる。雲水の方は多分そんなことは夢にも思わないだろうが、こちらからはよく見える。何を考えて、どのように修行しているかが見えるのである。それは公案があるからだ。見解(けんげ)を呈するということは、自分の腹の中の真っ正直なところを吐露することになる。一般社会と違って私と雲水の絆はただ修行という一点だけで、世俗のことは一切無い。その絹の糸のような細い繋がりから、その雲水の全てが見えてくる。我が手の平の筋を見るが如しである。雲水は毎日このように丸裸にされているのである。この恐ろしさを知る者は居ない。これが解る雲水なら、もう一人前である。
2016年07月09日
裏山歩き
このところ雨ばかり降っていたので些か運動不足。久しぶりに裏山歩き、梅林公園から稲荷神社、裏山公園経由で下山、たっぷり1時間かけ、新緑の山路を歩いた。梅雨どき湿度が高いせいか猛烈な汗、したたり落ちるなんてもんじゃない、全身ずぶ濡れ状態になった。寺に戻って直ぐにシャワーを浴び、心身共にすっきりした。やはり運動して大汗かくのが一番だ。今日も又朝から雨、雲水達は連日山内寺院のお施餓鬼荷担で、こちらも大汗かいて、奮闘中である。何ヶ月か前、知人のお寺さんから頂いた蓮、ぼつぼつ花が咲きはじめ、これから楽しみになってきた。お地蔵さんとハチの眠るお墓の前である。さぞ喜んでるだろうと思うと、プレゼントして下さった和尚さんに感謝感謝である。
2016年07月02日
捨閉閣抛(しゃへいかくほう)
余り耳慣れない言葉だが、法然上人の考えを簡略にまとめた言葉である。雑行を捨て、閉じ・閣(さしおき)・抛(なげる)ことで、ことごとく捨てて捨てて、もうこれ以上何も捨てられないというところまで捨てることを意味する。これは現代音楽の作曲家武満徹がいたった究極の境地である。この人の考え方の根本を読んでいくと、まるで禅そのもので、よく禅は諸道に通ずというが、全くその通りだと言うことを再認識した。エローラ寺院群を見て、芥川也寸志が釘付けに成ったのも、この捨閉閣抛である。これをもし法然上人がお聞きになったら何とおっしゃるだろうか。で、今年のお中元のお礼色紙にはこの言葉を書いて差し上げることにした。現代の宗門は全くこの反対でしょう。出来るだけ間口は広げオープンなるを良しとし、あらゆる分野にマルチに手を伸ばし、人を押しのけても前に出て、衆生済度という金看板を背負って、雑行に邁進、何処かちょっと違うんじゃないかと思うのだが、或いはこう考える私の方が間違いなのかも知れない。
2016年07月01日
大般若祈祷会
今日は岐阜市内で32℃という暑さ、まいったまいった!部屋ではパンツ1枚生活、それでもたらたら汗が噴き出てくる。今からこんな調子では、8月はどうなるんだ。さて午後2時から地元のロータリークラブの大般若祈祷、これは20数年前、会長になると途端に亡くなり、次の会長もなった途端に又亡くなった。さすがに2年連続で不幸が続くと、次の会長になる人が尻込みをして、なり手がなくなった。そこでうちのお寺にお詣りをして大般若祈祷をし、お祓いをすることになり、爾来ぱたっと不孝はなくなり、目出度し目出度しと言うわけである。それにつけても今日の暑さ!汗が体中から噴き出した。ご存知の通り大般若祈祷は全員大声を張り上げての祈祷なので、まっ、暑さも一瞬吹っ飛ぶというわけである。財布の中に収まるくらいの小さなお守りを差し上げ皆颯爽と帰っていった。