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2016年07月28日
一音成仏
尺八の方で言う言葉で、一音によって仏になるとは、一つの音の中に宇宙の様相を見極める音の在り方を示していると言うことである。尺八は指使いも吹き方も難しく、微妙な音程を重視し、暗い押さえたような音である。何故か日本古来の楽器は音が出にくいように、鳴りにくいように進化する。能管は中国の龍笛が起源だが、竹の舌のような異物を入れて調律を意図的に壊している。西洋や中国では楽器はより正確な音程が出せるように進化し、論理的に音楽を作っていく。ところが日本では音が曖昧だから論理的な音楽は出来ない。その代わり曖昧さや音の出にくさを逆に利用して、一つの音に複雑微妙な味わいを付け、それを評価する。一つの音の中にすべてを込める。琵琶でも同様で、機能化の過程で捨てていった雑音を、積極的に音楽表現として使う。「美しいノイズ」という。それが出せるような装置を琵琶は持っている。それを「さわり」という。弦の先端が楽器本体と接する部分に溝を掘り、弦が振動するときに微妙に本体にさわって、ビ~ンというノイズ音を発するような仕掛けがある。邦楽ではさわりが高く評価され、「さわりが取れたら一人前」と言われる。雑音を高く評価し、一つの音を重要視し、そこに世界全体を聴くと言うような聞き方、ここから一音成仏という言葉が生まれて来たのである。
投稿者 zuiryo : 2016年07月28日 09:33