2016年08月07日
狗奴国王墳墓
弥生時代、倭の女王卑弥呼に対抗する一大勢力があった。その地域は何処なのかは諸説有り、その一つに濃尾平野から伊勢湾岸地域ではないかと言う説がある。確かにそれを証明するような遺蹟や墳墓が濃尾一帯に沢山出土している。しかし何せ遠い昔の話で、学者によって諸説入り乱れているらしい。そう言う遺蹟の中の一つに、うちの寺の裏山頂上に狗奴国王の墳墓と言われている場所がある。当時のやり方として埋葬するとき銅鏡をたたき割ったようで、以前、どなたかがその割れた銅鏡を見つけ、現在その銅鏡は栃木県にあるらしい。その他何点か出土品があったと言う。現在は岩山の一角に埋葬したような形状の場所があるだけで、それも言われなければ殆ど解らない。愛知県のある学者さんが狗奴国王の墳墓と言い、市役所もそれを取り上げ、「瑞龍寺山頂遺蹟」としてあっちこっちに看板を立てている。毎日この山の近くを歩いているのだが、墳墓地は非常に登りにくく、険しいところなので、いつもは避けてその下側の歩きやすいところを行っている。ところが昨日に限って道をどう間違えたのか、はっと気がついたら山頂墳墓に向かって登っているではないか。急坂でしんどいったら無い。大汗かいて必死に登った。漸くその場所に辿り着くとえらい立派な看板が立てられ、説明が書いてある。以前この墳墓について現場で直接学者さんから説明する会が催されたことがあるが、改めて見ても、我々一般の者にはそんなたいそうな墳墓にはとても思えない。ここまでは毎日の山歩きに来るのはとても無理。大汗かいたところに一陣の風が吹き抜け、気分は爽快であった。
投稿者 zuiryo : 2016年08月07日 04:51