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2016年11月29日
フェイスブック
何事も新しもの好きの私は老齢にも拘わらずフェイスブックに挑戦している。嘗て英会話の個人レッスンを受けていた娘さんが故郷の南アフリカのダーバンに帰った。その時の約束で、一週間に一度はスマフォのラインを使ってお互いの顔を見ながら交信しましょうと言うことになった。しばらくは何回かやってみると、ほぼ地球の裏側なのに彼女の顔が写り、お喋りが出来、しかも無料。ところが時差8時間なので、これがまことに厄介、そのうち面倒くさくなって止めた。次ぎにフェイスブックでやり取りしましょうと言うことになって、先方からはじゃんじゃん写真などが送られてくる。南アフリカの彼女の両親や友人等々、頻繁に送られる。私の誕生日には相当な数の人からお目出度うと言われた。何だか知らないうちに南アフリカの彼女の友だちがじゃんじゃん増えてきた。つい先日、今度は本人の誕生日だという知らせ、お返しにハッピーバースデェーを送ろうと四苦八苦したが、結局送信できず諦めた。こんなややこしいのは分不相応と諦めた。この間親戚の若者がやって来たので、やり方を教えて貰ったが、やっぱり私には駄目だ!諦めた。
2016年11月25日
話し下手
我々の大先輩の方で、大変話が上手で、舌を巻くほど感心させられた経験がある。私のような話し下手の者には神さまの様な人だった。これは私が雲水時代の頃の話で、その後図らずも僧堂師家に成り、そう度々ではないが、人前で話をしなければならなくなった。引き受けてだんだん期日が近づき、重た~い気持ちになる不快感と言ったらない。こんな風だから、やっぱり話は下手で面白くも何ともない。本当はお断りできればこんな有りがたいことはないのだが、いろいろ立場上それも出来ず、悶々とした日々を過ごす。因果な役目を頂いたものだと思う。しかしまた別に見れば、だから一層懸命資料集めをしたり勉強できるという側面もある。人間は怠惰に流れやすいものだから、私などは特にこうでもして追い詰めないと、碌な人間にならないから、仏様の思し召しと思って日々奮闘している。
2016年11月23日
ストックの先っぽ
山歩きにはストックが必需品、自分の背丈に合わせて長さを調節し、特に登りには大いに頼りになる。その先っぽは金属製でとがって居るから、特に岩では滑るから危ないので、必ず固いゴム製のキャップをはめる。ところがこれは、ただ突き刺しているだけだから、歩いているうちに抜け落ちて、気がついたときにはもう遅い。いつも歩く道は決まっているので、以降連日山路を下向いて何処かに落っこちてないか眼を皿にして探したがついに見つからず諦めた。落ち葉で埋まっており、とてもじゃないが見つかるわけがない。それでも執念深く連日眼を皿にして探し続けた。しかし止めた!登山洋品屋へ出掛け買ってきて装着、何のことはない、最初からこうすりゃあ良かったのだ。
2016年11月21日
大遠鉢(おおえんぱつ)
嘗て雲水時代は春秋彼岸中9日間、うちの僧堂では6月と11月に一週間ほど、信者さんや会下(えか)のお寺に泊めて頂きながら連日托鉢をする。終日托鉢で結構疲れるが、僧堂から出て外の空気を思いっ切り吸えるのは何より代えがたい楽しみである。ご厄介になる家では泊めて食事や入浴などの世話をするのだから結構手がかかるが、皆さん雲水の修行を助けるという好意でやって下さる。有りがたいことである。私が雲水時代は、投宿も当日いきなり行って頼み込むというやり方で、頼まれた方は迷惑千万だったと思うが、僧堂の雲水と言うことで、嫌な顔一つせずお世話して下さった。しかし時代も変わって、今では1ケ月前からまず電話で了解を得、後に手紙でお願い状を出すという方式になった。この方が双方安心で良い。以前は泊めて頂く處が見つからなければ神社の軒下で、などと言うことが有った。気候の良いときならいざ知らず、春の彼岸で高山辺などではまだ雪が降っていたので、終日の托鉢で疲れた体に夜の冷え込みは堪えた。しかしこれも修行で、若さと馬力で乗り越えた。懐かしい想い出である。
2016年11月10日
タマは変人
どこからか迷い込んだ野良猫なのだが、可哀想に思い餌をやるとちょくちょく姿を現すように成り、本人もこちらをあてにするようになった。布製の寝床を買ってきてやると、喜んで入って気持ちよさそうに眼を細めている。だんだん寒くなってきたので、古くなった毛糸のマフラーを敷き詰めてやると満足げである。しかし数ヶ月経って、落ち着いてよく観察すると、どうもタマは変人だ。気持ちよさそうに日光浴しているときは、お腹を撫でてやるとうれしがって思いっ切り伸びをするのだが、行動パターンが変!大体これ程親切にしてやっても、凡そ感謝のかけらもなく、側に行くと逃げ回る。お腹を撫でて伸びをして嬉しがっていたことと、結びつかない。呼びかけてもいまだに「にゃん」とも言わない。だからタマがどんな鳴き声なのか聞いたことがない。何とも可愛くない野良猫である。
2016年11月08日
大接心明け
大接心が明けると、不思議に頭の痛いのがすっと治る。午前中いつもお世話になっているお医者さんへ行ってインフルエンザワクチンを打って貰う。今日は激しい運動は控えて下さいと言われたが、いつもの習慣で裏山歩き一時間、汗をかいてスッキリした。どんより曇り空で雨が降ってくるか心配だったが、何とか降られずに済んだ。雲水は把針灸治で終日お休み、皆大接心の疲れをとるためのんびりゴロゴロしていた。ゴロゴロと言えば、ノラ猫の「タマ」も終日ゴロゴロ、大あくびをしていた。胸とお腹をがりがり搔いてやったらのたうち回って喜んだ。昨日までの張り詰めていた僧堂も一変して伸びたうどんのようになった。
2016年11月07日
歯ぎしり
冬期入制で1日から今日まで一週間大接心があった。私の担当の晩参と検単が終わって、ほっと一息ついた。ところで大接心に入って2,3日経つと、途端に原因不明の偏頭痛に襲われ、頭が割れるほど痛むようになった。不思議に終わるとスッと治るのだ。ストレスから来るものと思うのだが、何十年もやってきて今まではそんなことは全くなかった。ストレスというのも考えにくいが、終わると治るのだから矢張りそうなのかも知れない。精神的圧迫感に耐えられなくなって、頭にくるのだろうか。そう言えば参禅に来る雲水の歯がゆいことと言ったらない。歯ぎしりするほどで、2,3日で歯が浮いてくる。参禅の進まないのはわしの知ったことじゃ~ねえや!と思いつつ、やっぱり歯ぎしりしてしまうのである。
2016年11月05日
老人性鬱症
姉は三年前に主人を亡くし独りぽっちになった。娘は二人居るが上の方はちょくちょく顔を出しているようだが下の娘はさっぱり寄りつかない。80歳を超えて体力も徐々に弱り、どうも食欲も無くなり気が滅入ってきたらしい。大体がお喋りな人で、旦那が死んで一人っきりになってしまい、弱鬱症のようだ。私の所にもちょっとしたことでもよく電話をかけてくる。まあそう言う状況なので適当に相づちをうって話を聞いてやる。しかし最近だんだん症状が悪化したらしく、ついに近くの病院で診察を受けたそうだ。早速その結果を私の所へ電話してきた。ここが僧堂でなかったら、呼び寄せても良いが、そんなわけにも行かない。私なども孤独と言えば孤独なもので、話し相手一人居るわけでも無し。しかし人生の大半をずっと一人で生きてきたからこれが当たり前で、凡そ鬱などには縁遠い。むしろ独りぽっちが煩わしくなく、さばさばしていて良い。
2016年11月01日
入制大接心
今朝から冬期の制中となり、早速一週間大接心が始まった。もう何十年も続けてきたことで、別段変わったことはないが、気分が引き締まって良い感じである。そのわりに、私の頭の中は老化する一方で、恒例の行事もまごまごして戸惑う始末、何とも情けなくなってくる。講座が済んで作務着に着替えて裏山歩きに出掛けた。門前のお豆腐屋さんの前を通ると、威勢の良い声で「あっ、老師さん!おはようございます!」と声をかけられた。この豆腐屋さんは岐阜では有名な美味しいお豆腐で、遠くからもわざわざ買いに来る。今日も通りかかったら、ベンツで何処かの人が買いに来ていた。大将は私より一つ下だが、ご夫婦共に老齢化で、将来が案じられる。良い息子さんが居られるので、後をやって貰ったら!と言ったが、いやあ、嫁さんが嫌がりますから・・・・。現在の老夫婦も元はサラリーマンだったが、親が老いてきたので、止めて後を継いだ。それについてきた奥さんも偉いものだが、さりとて我が息子のこととなると、朝は暗いうちに起きて真冬も冷たい水に手を突っ込んでする作業など、今どきの者にはとても無理だという。いつも売れ残るとその超美味しいお豆腐を、雲水さんに・・・・、と持ってきて下さる。有難いお豆腐屋さんだが、さていつまで続くやら。