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2017年03月31日
小事と大事
小事は極めて些細な事だから、ついこれを馬鹿にして念を入れることを忘れる。しかし小事も積んで大事となる。世間にも些細なことから次第に悪事がすすみ、ついに悪人となるということがある。反対に小事から進んで次第に善に向かい、始めは些細な事と思っていたことが、一歩一歩進んで、このために一身一家の幸福となるということもある。これらは小が積んで大となるものである。されば小事必ずしも小ではない。ゆえに小事たると大事たるとの区別なく、凡そ事にあたっては同一の態度、同一の思慮をもって、これを処理するようにしたいものである。名を成すは常に窮苦の日にあり、事を敗るは多く得意の時に因す、と古人も言っている。水戸光圀公曰く「小なることは分別せよ、大なることに驚くべからず」とは、真に知言というべきである。
2017年03月29日
大丈夫の試金石
世の中平穏無事を保つのが普通だが、水に波動があるが如く変乱が起こる。これに遭っては如何ともする能わず。しかし逆境は大丈夫の試金石である。神ならぬ身、それに対する特別な秘訣を持つものではない。では如何に対処するのが賢明であるか。第一に自己の本分であると覚悟するのが唯一の策である。足るを知りて分を守り、天命であるから仕方が無いとあきらめるならば、心は平らかになる。若しこの場合人為的と解釈し、人間の力でどうにかなるものと考えるならば、徒に苦労の種を増すばかりか、労して効なき結果となり、ついには逆境に疲れさせられて、後日の策を講ずることも出来なくなってしまう。ゆえに自然的逆境に処するに当たっては、まず天命を安んじ、おもむろに来るべき運命を待ちつつ、たゆまず屈せず勉強するのが良い。
2017年03月28日
外患無き者は亡ぶ
孟子の言葉である。国家でも個人でも健全な発達を遂げるには、常に外国と或いは自分を攻撃する者と争って必ず勝ってみせるという意気込みが無ければならない。周囲に敵がいて苦しめられ、その敵と争って勝つ気概無くして、発達進歩はない。例えば何事も後輩に対して懇篤親切で、引き立て庇護して行こう。こう言う人は信頼を受け、慈母の如く慕われが、はたして真に利益(りやく)に成るかどうか疑問である。これと正反対で、いつも敵国の態度で、揚げ足を取ることに喜びを感じ、少しでも欠点があればガミガミと怒鳴りつけ叱り飛ばし完膚なきまで罵り責め、失策でもしようものなら、つらく当たる。一見残酷な態度で、往々恨みを受け、甚だ人望の乏しい者、このような人は果たして利益にならぬものなのか、とくと熟慮する必要がある。あくまでも庇護してくれると思えば、誰でも至極暢気に構え、綿密な注意を欠き、奮発心は鈍る。これに反してガミガミ責め、揚げ足を取る先輩がいれば、その下の者は寸時も油断せず一挙手一投足にも隙を作らないように心掛け、自然に注意怠らずして身が引き締まる。そう言う人は往々にして、罵り責めるだけでは満足せず、親の名まで引き出し、「一体お前の親からしてよろしくない」などと言う。このような先輩の下にある者は一端失敗すれば、たんに自分が再び世に立たなくなるばかりでなく、親の名まで辱め、一家の恥辱となると思うから、何が何でもと奮発する気概が湧くものである。この孟子の言葉、現下の我が国と中国・韓国との関係に当てはまるような気がしますが、如何が思われますか?
2017年03月27日
言志録
佐藤一齋の言志録に、「初見の時に相すれば人多く違わじ」と言う一説がある。初めて会ったときによくその人を見れば、多くは過(あやま)たぬもので、度々会うようになってからする観察は考え過ぎて、帰って過誤に陥りやすいものである。初めてお会いしたその時に、この方はたいていこんな方だなあと思った感じには、いろいろの理屈や情実が混ざらぬから、至極純な所が、ちゃんと当方の胸の鏡に映る。その偽り飾らぬところが、チャンと見える。たびたび会うようになると、ああでもない、こうであろうなどと、理屈を付けたり、事情に囚われたりして考え過ぎることになるから、かえって人物の観察を過まるものである。この言葉、な~るほどと思った。
断食道場
30年来、九州の断食道場へ通っている。まっ、年一回一週間だが。ある方に進められて始めた。当初はそれほど効果は感じられ無かったが、しばらく続けているうちに、良さが解ってきて、毎年決まった時期に行かないと、どうも調子が悪い。そもそもの切っ掛けは、木曽の御嶽山へ滝行に行くようになって、その仲間から勧められたのが始まりである。何処にどういう縁が転がっているか解らない。当初相部屋になった九州の方と、その後お付きあいが続いて親しくさせて頂いている。この方が無類の親切心溢れる人で、九州へ行ったら、前は素通りできない。最晩年の父上にお目に掛かったことがあるが、その面構えが立派なのに驚かされた。戦後混乱期、数々の武勇伝を伺い、九州男児の底力を思い知らされた。その息子さんだから、根性が座っているのである。ご両親共にお目に掛かって間もなく亡くなられてしまった。で、断食へ行ったときは必ず帰りに家に寄ってお仏壇にお参りさせて頂いている。人の縁とは実に不思議で、最初に同室になって過ごした一週間が、こんなにも深い縁となるとは。世の中には不思議なことがあればあるものだ。
2017年03月23日
櫻の開花
この間天気予報を見ていたら、櫻の開花宣言について面白いことを言っていた。ある視聴者からの質問で、南の鹿児島より北の福岡のほうが、開花が四,五日も早いというのはどういう訳でしょうか?それに答えて、櫻は開花する前に、寒い日が続いてぎゅっと締まると、その反動で温かな日差しに反応し、パッと開くのだそうだ。だから鹿児島地方はず~と温かで、締まる時に締まっていないから、開花が遅れるのだそうだ。人間もギュッと締まるときに締まっていないと、のほほんとして、いつまでもパッと花開かないのである。
2017年03月20日
音楽は人生のスパイス
昨日は岐阜県交響楽団のコンサートに出掛けた。友人がこの代表をしておられ、ほんのちょっぴり支援しているので、いつも入場券を頂く。約1200人ほど入るホールはほぼ満席。楽団員は趣味でやっておられる方々が集まって結成されている、いわば素人集団だが、練習用の専用ホールもあって、定期的に演奏会が開かれている。楽団員の励みと言うことで、数年前にはウイーンのあの有名な楽友協会の黄金フォールを借り切って、演奏会を催した。その為に代表の方のお骨折りは尋常ではなく、地元の区長さんや大使まで動員、ほぼ満席にしての演奏会は大成功で終わった。近年この方の影響で、オペラに興味が湧き、東京や横浜で催されるオペラにはせっせと出掛ける。以前、ワーグナーのニーベルングの指輪全巻のDVDを拝借して十何時間見続けた。これがそもそもはまった切っ掛けで、益々興味が湧いてきた。別に音楽が無くとも人間生きていけるが、豊かな心を保つためには、上質な音楽を聴くことが必要で、それが精神の栄養になるのである。
2017年03月17日
風邪
昨日いつもの通り朝食を摂ったら、直後ムカムカッ!途端にゲホッ!と、食べたものを全て吐きだした。どうも風邪らしい。早速布団に潜り込んで休む。こういう時に限って、いろいろ用事があり、あっちこっちへ連絡、断りを入れる。後はひたすら寝る。どのくらい寝たか、少し体が楽になったので、よろよろ這いだした。殆ど日中は寝っぱなしなのだから、10時間くらいはひたすら寝た。お腹も空いてきたので夕食は氷見うどんを少々、再び寝る。病気になったらともかく寝るのが一番、翌朝調子はどうか?這いだしてみると結構元気になってきたので朝課も出頭した。こういうのも老化現象だと思うが、突如として体調が悪くなるのには参った。一寸先は闇。
2017年03月15日
墨が育つ
先日市内の梅まつり協賛で本堂を一般公開し、土屋禮一先生の龍の絵を見て頂いた。今年は土屋先生・岐阜新聞の杉山名誉会長と私の3人で鼎談した。と言っても主に土屋先生の龍の絵に関するお話が中心で、私達は先生が話しやすくするための相づち役である。その中で「久しぶりに龍を見たら墨が育ってました」と言う言葉は深く心に沁みた。墨には育つと言う言い方があるのだと、初めて知った。前日、私は久しぶりに龍と向き合って、何だか人相(龍相)が変わってきたな~と、ふっと思ったので、先生のこの言葉はストン!と腑に落ちた。墨は一般的日本画に使う鉱物性の岩絵具と違って、生きているのである。これから百年・二百年後、この龍はどう変化し育って行くのか、楽しみである
2017年03月14日
行脚
昨日ひょっこりと二十歳の娘が訪ねて来た。雲水の格好をしている。聞けば昔、尼僧堂にいた者の弟子で、岩手県を出立して、毎日托鉢をしているのだそうだ。昨日から近くの尼寺に住職している者の処へ厄介になっているという。クリクリの丸顔で、屈託無いのが良い。この娘の話では、以前、所持金810円を握って、44日間かかって岩手県から福岡県まで行脚したという。道中の乞食行の様子は、波瀾万丈、面白いと言っては失礼だが、お前よく生きて帰れたな~!と言ってやった。目の前のことだけ一点を見つめて、懸命に生きる姿は、禅に通ずる。この娘が本当に出家して、禅の道にうまく入れれば、きっと良い尼僧が出来上がるだろうな~と思った。この娘を世話をしている尼僧というのは、嘗てうちの尼僧堂で3年ほど修行した。しかし従来の仏教界には入らず、独自の生き方をしている。多くの困っている人たちのために手を差し伸べ、衆生済度の活動をしているのだ。地元からもその活動が認められ、様々な支援を受け、何と一度焼失した建物までも見事再建された。女の一念というが、世俗に埋もれている多くの俗僧の戒めとすべきである。
2017年03月01日
梅まつり
ついこの間、お目出度うございますと新年を迎えたと思ったら、梅の花が満開となり、春うららの3月である。光陰矢の如しと言うが、矢どころではない、弾丸の如しである。毎日、梅林公園を抜けて裏山登りを1時間15分、一汗かいて良い気分である。公園の梅もほぼ満開で、平日でも沢山の人が繰り出して紅白の梅を愛でている。いつもは山を下ったらそのまま見向きもせずに一目散寺に戻るのだが、今は公園を一周して梅を見ながら帰る。例年梅祭りの協賛で、2日間だけ本堂を公開し、龍の絵を見て貰い、ストーブを焚いて温かにして、休憩所として使って貰っている。特に今回はこの龍を描かれた土屋先生がお越しになられ、岐阜新聞の杉山会長さんと不肖未熟者で鼎談をする。上間の間(ま)の正面向きの龍は全国的にも有名で、今年の秋に茨城県の岡倉天心美術館に貸し出すことになっている。土屋先生の話は今までにも何回か拝聴したが、その度に心に沁む。何事もその道を極めて人の話は深い。