2017年08月23日
茶道・華道修行
三十数年前、この寺に住職し立ての頃、ある会社の茶道部主催の茶会が催された。茶会の始まりに、まずは和尚さん是非!と言われるままに主席に坐らされた。お茶の飲み方も何一つ知らない山猿の私だったから、酷い失敗の連続で、人に言うのも憚れるほど、惨憺たる様だった。此処に登場するお嬢さんも、察するところ私同様の方で、だから母親から、そのずぼらでがさつな立ち居振る舞いを直すため、お茶やお花をやりなさいと喧しく言われていたそうだ。その方が後年ロシヤ語の通訳に成られ、日ソ交流の一環としてモスクワで大茶会が開かれることになった。この機会に自分も日本が誇る茶道のイロハを身につけようと満を持して同行した。この茶会は大成功を収め、気を良くした家元始め社中の一行は二度目のモスクワ行きを決意した。一度目に同行した通訳者に再び声が掛かったのだが、何と全員が断った。息を飲む優雅な装い、身のこなしなどはお手前の最中だけで、普段は一緒に居るのがいたたまれないほどずぼらガサツこの上ない人種だった。これが通訳した人たちの茶道のお師匠さん達に関する一致した意見だった。エルミタージュ美術館の後期印象派のホールのど真ん中でいきなり、水が飲みたいとだだをこねる等々・・・。あれは日本の誇りじゃなくて恥だわ!と言うのが通訳者達の一致した感想である。以上がある方の書いた文章だが、察するに、たまたまその会に集まった方々の例で、私の知る限りではそんな不作法な茶人は居ない。人も十人十色で、まっ、中にはそう言う非常識な人も居るという話である。
投稿者 zuiryo : 2017年08月23日 03:10