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2017年11月23日
暫暇
暫暇には文字通りしばらく帰って、授業寺の手伝いをし、すぐに再び僧堂に戻って修行を続けるというのと、永暫と言って、そのまま帰らない二種類がある。近年寺の息子が親の後を継ぐために、その資格を取るというのが目的で、僧堂へやってくるのが多い。そういうのは初めから何年と決めて、その年月が来れば自動的に永暫する。しかし本来は長く修行するつもりで入門したものが、僧堂内での何かトラブルに会い去ってゆくのがある。これなどを見ていると、体裁のいい理由を挙げて、かくかくしかじか止むを得ず下山することになったと言うが、結局それだけの願心しか持っていなかったということである。自分に甘いのである。修行は自己との闘いである。自分に対して厳しい眼を持つことが出来ない者は、まあそれだけの男だということである。言い訳はどれだけでも言える。真実の自己と相対して、一歩も退かないという強い心がなければこの道を歩み続けることは出来ない。在俗の者が出家して、禅僧として生きて行くのはそう簡単な話ではないのだ。簡単に変身して憚らない奴は、この繰り返しで一生を終わる。
投稿者 zuiryo : 2017年11月23日 13:49