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2018年11月23日
諦める
人生50年と言われていたが、今では人生の前半に過ぎない。九十、いやひょっとすると、百歳まで生きなければならない。五十歳は人生の折り返し地点である。そのことをまず「諦める」ことが必要である。ここで言う諦めるとは、「明らかに究める」ことで、はっきりと現実を直視する。折に触れて、ああ、自分も歳をとったな~、と自覚することである。その自覚のさいたるものが、視力・聴力・反射神経、その他諸々の身体機能の衰えである。日常生活でちょっとした段差に躓いたり、不注意にコップを落としたり、物忘れが頻発するようになる。気持ちは現役なのに、身体の衰えをはっきり自覚せざるを得ない。ここで大事なのは自らの「老い」をきちんと認めることである。ともすれば老いたことから目をそらそうとする。「歳を取ることイコール悪」だと考える。老いは決して悪ではない。人生の下山期だからこそ、見えてくる心の景色がある。
2018年11月20日
老化
じっとしていることが多いので、自然に足腰が弱ってくる。畳に座っていて、いざ立ち上がろうとすると、ひどくよろける。少し足腰を鍛えなければと、山歩きを毎日したら、途端に膝のお皿がギシギシ痛む。登りはまあ良いとして、下りになると踏ん張りが利かないから、つんのめって全身打撲。これじゃ~身体が幾つあっても、持たないので、止めてプール歩きにした。腰や膝の負担はなくなってすこぶる快調だが、温水プールでもなんとなく風邪引きそう。目はかすむ、歯は抜け、皺はよる、耳は遠くなる、水っぱなは垂れる、頭はとろくなる、いっそ死んだがましかいな~。
2018年11月18日
日記、このところお休みが続きますね
最近は余りこの日記は書かないようにしている。たとえ親子でも人の日記を覗き見するなと言われたものだ。兄弟でもそうなんだから、それを広く一般公開する何ぞ以ての外である。と思って意識的に止めていたら、今日も友人から最近は更新がありませんね~と言われてしまった。そこでひとつ。碧巌録の下見をしていたらこんな一節が出てきた。我々は六根によって世界と繋がっている。耳が聞くから外の世界とつながる。鼻は臭いを嗅ぎ、舌はものを味わい、体は触れて、暑いとか寒いとか、固いとか柔らかいとか、判断していく。この六根によって世界と繋がっている。しかしお悟りはこの六根に収まらないものだ。では何によってつかまえるか。眼耳鼻舌身意の六根でつかめないものを、全ての意識を捨てきった時に、何もないものが何もないものを自覚する。もう一つ、小学生低学年の時こんな体験をした。兄と机を並べて勉強していたとき、教科書の向こう側を一匹のアリが右から左へ通り過ぎた。あっ!アリンコだ!ふっとその瞬間、隣で勉強している「あんちゃん(兄のこと)」はこのことを何も知らないんだな~、これって不思議なことだ!と思ったことがある。しかもそのことを70年近くたった今もなお記憶している。これって不思議なことだと思う。
2018年11月04日
チコちゃんに叱られる
繰り返しで恐縮だが、最近の物忘れの酷いったらない、覚えたそばから忘れてしまう。こんな調子であと何年かしたら、完全に認知症間違いなしである。そうを考えるとシュン!となる。さりとて防ぐ良い方法もなし、愚痴が出るばかりだ。諸先輩に言うと、色々と頭の体操的なことを言われる。私も嘗てはニンテンドウ頭の体操の機械で訓練してみたが、今やそれをどこに仕舞ったのかせえ解らない。まあこんな愚痴は聞かされる方にも嫌がられるので、今や鬱々として一人悩んでいる。チコちゃんに「ぼ~としてんじゃね~よ!」と叱られそうだ。