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2020年04月30日
運動不足
このところ近くの山登りも出来なくなり、運動不足で体重がどんどん増えてきた。何も動かずに空腹だけはいつもの通りなので、もりもり飯を食う。従ってづんづん体重は増える。この悪循環どうにか成らないものか。しかもコロナウイルスはちょっとやそっとでは収束しそうもない。となるとこの状態が暫く続くわけで、この先どうなっちゃうのか!足袋をはくときこはぜを通すにも腹が邪魔に成って旨く屈めない。目の前真っ暗である。喰うのを止めと置こうと思うが、時間になるとやたら腹が減って仕方がない。だからもりもり食っちゃう。その度に腹がモコモコ前へ張り出してくると言うわけなのである。
2020年04月29日
コロナウイルス
ブログでも今まで何度もコロナウイルスについては書いてきたのでまたか!とお思いになるだろうが、しかし恐るべしコロナウイルスである。ある僧堂では流行が危惧されるやいなや、一部の雲水を残し、大半の者を一端自坊へ強制帰錫させたところもあったようだ。思い切った処置であるが、確かにこれも一つの方法である。僧堂を知る方ならどなたでも解るだろうが、集団生活が基本だから、コロナウイルス対策上最も不都合な組織で、また新聞やテレビのない僧堂では世間の情報も入ってこないから、益々危険である。コロナウイルスに対する危機意識の低さである。しかも相当長期間にわたって警戒が必要のようで、この調子で行くと僧堂という組織自体が成り立たなくなる恐れさえある。特に危険なのは、その対処法が、一般的に「甘い」と言うことである。ちょっと買い物に出掛けるにも、マスクは勿論のことゴム手袋、ビニールの頭覆い等々、バッチリ体中の防御を固めて行かなければならない。マスクだけ程度では殆ど役には立たないということである。まるで毒ガスの中に突入である。これ程完璧に防御態勢を敷いても、なお素人の考えには幾つも穴があるのが実体で、もう殆どお手上げ、「人間やめたくなっちゃう!」。さりとてやめるわけにも行かぬ。何とか知恵を絞ってこの危機を乗り越えなければならぬ。
2020年04月26日
書道稽古
瑞龍寺に住職して間もなく、余りに字の下手っぴ~なのに、我ながらあきれ果て、どうしたら良いものか悲嘆に暮れた。その年のお盆に総代さんの家にお邪魔したとき、床の間に素晴らしい書がかけられていたので、この書はどなたの書かれたものですかと伺うと、近所にお住まいの高名な書家の作品だという。爾来その先生の弟子になって稽古すること40年、最近高齢のため引退されるというので、ついに稽古は終了した。これからは先生を離れて自力で書と向き合わなければならぬ。目の前真っ暗闇になった。以後墨蹟を依頼されたら出来るだけお断りしようと思っている。尤もヨレヨレ老人に墨蹟など依頼する人は殆ど居ないので取り越し苦労というものかもしれない。私は40年書家について稽古を積んで、書に対して自分の未熟さに気が付き、恥を知った。私がずっと稽古を積んできて解ったことはこれである。
書道稽古
40年前頃、入寺して間もなくある方から墨蹟を依頼され、書いては見たものの余りの酷さに愕然とした。偶々総代さんのお婆さんが高名な書家に就いてお稽古をされていることが解り、その仲間に入れて貰い爾来40年間稽古を続けてきた。しかし先生も超高齢となり、引退したいという話し。これからは何でも自力でやらなければならなくなった。今までは何から何まで書に関しては先生の手ほどきを受けて、ひたすら真似をしてきた。書道の弟子とは徹底自己否定して、先生の書に寸分違わず真似て書くことに尽きる。いかに真似上手になるかが良い弟子の基準なのである。これでは本人の個性などないではないかと思われるだろうがその通り、書道に個性は無用なのである。さて41年目で孤児となった。これからおまえどうする?初めて師匠の束縛がなくなって自由になる。處が此処で問題なのは、既に私の目が師匠の目になってしまっていることである。鳥籠で長く飼われた小鳥は鳥籠を取り去っても、元の籠の範疇からは出られないというが、その通りである。暫く筆を断とうと思っている。
2020年04月25日
講座
僧堂では古来からの決まりで、制中は2・7・5・10の日が講座日で、午前中の仏性が終わると大鐘を打ち木版三通・法鼓と続き講前大悲呪、その後講座が開かれる。ところが僧堂は午前中意外と誦経先へ行くなどの用事があったり、托鉢に出掛けたり、なかなか規則通りには行かない。いずれも僧堂にとっては大切な事である。そこで一計を案じ、日中は結局いろいろ邪魔されて講座が後回しになるので、講座は晩開版後にすることにした。そうすれば予定通り必ず開くことが出来る。私がこの僧堂に来て以来この方法で、只の一回も休みなく実行している。何故なら修行僧が老師の根幹に触れる大事な機会だからである。僧堂も處によって事情は様々だから、一概にこの方法というわけには行かないだろうが、僧堂修行の重要さの加減から言えば、講座は宗旨に拘わる重要なものだから、僧堂の事情に合わせ、1ケ月12;回の講座日は必ず実行しなければ、雲水に申し訳ない気がする。
2020年04月23日
チャイちゃん無事帰る
昨日四日間ほど逃亡避難していたチャイちゃんがひょいっと無事に帰ってきた。チビちゃんの喜ぶことと言ったらない。体当たりするように飛びついて体中こすりつけ、嬉しさが爆発した。タマに睨まれ追いかけられて遁走したのだが、今時餌を恵んでくれるような人はどこにも居ない。空腹に堪えかねタマの脅威を恐れながらも、他に行く宛てもなし、ついに帰ってきたのである。思えば不憫な・・・・。と言うことで一件落着、ほっと安堵の胸を撫で下ろした。動物の世界もこれでなかなか厳しい。お互い生き延びるために凌ぎを削っているのである。
2020年04月22日
雨安居入制大接心
15日から1週間、入制大接心も昨夜円成し、今日は把針灸治、普段なら弁事を取って、休日となるのだが、コロナウイルス蔓延の最中なので、午前中1,2時間ほど必要最小限の用事を済ませたら直ぐに帰山させることにした。雲水には気の毒だが、これも仕方がない。ところで話は変わるが、半野良猫の「チャイちゃん」が2,3日前から居なくなった。これも図々しいタマが追っ払ったためである。元は自分だって野良だったのを、好意で飼い猫にしてやったのに、その恩を忘れて、後から来たチャイちゃんを攻撃するとは許せない!とまあこう思っているのだが、相手が猫だから話をして説得という具合には行かない。タマの眼をじっと睨み付けてやるのだが、ふん!と言うような顔をして通り過ぎる。
2020年04月21日
いつまで続くコロナ
人が集まる行事はコロナウイルスのために悉く中止になった。お寺でも春の季節はいろいろ行事があるのだが、全て無くなり、やたら閑になった。まっ、それで修行一本になったので、スカッとして僧堂らしくて良い。しかしこれが一体いつまで続くのか、そう思うと少々心配になる。どうも一年や2年では収まりそうではない。これで世の中の動きが一切止まると、大不況時代がやって来ることになる。全国民にお金を配布するそうだが、これもいつまでもやってられないだろうし、国全体が破産する。こう考えるとお先真っ暗、これから先どうなるのだろう?昔、「貧乏人は麦を食え」と言った政治家がいたが、今までの延長線上にこれからの生活もあると考えるのは誤りで、大貧乏時代到来を覚悟しなくては成らない。一寸先は闇が真実なのである。
2020年04月18日
トロクなった頭
今日も夕方、禅堂で雲水と一緒に坐禅を組む時間を間違えて、鳴り物より早く堂内へ入ってしまった。まっ、これくらいの間違えはたいしたことないと言えば言えなくも無いが、私自身の気持ちからすると、ガクッ!とくる。六十年近くも修行を続け、禅堂の作法など日常茶飯事なのにも拘わらず、このていたらくなのである。普通の人には解らない心境であろう。こんな些細な事を一々気に病んでいたら、益々気持ちが暗くなるばかりで駄目だな~と思いつつ、矢張りガクッとくる。こうなったらメモ魔になろうと心に決めて、早速机のメモ帳にバッチリこの件を記録した。近頃のブログはこんな内容のものばかりだな~と思ったら、益々落ち込んだ!
2020年04月14日
猫の気持ち
部屋猫が二匹居る。クロとタマである。二匹とも極めて仲が悪い。元々はクロが居たところへ後からタマが強引に入り込んできた。タマはオスで顔も態度もデカい。クロを撫でてやったらタマも、撫でて~!とすり寄ってくる。何でも平等を要求してくる。日に何度も部屋の周辺に他の猫が入り込まないようにパトロールに余念が無い。木枯らしが吹いて凍えるような寒さにもめげず周辺を見回り、猫の子一匹入れるものかと言う構えである。これにはホトホト感心する。こうも縄張り意識が強いのかな~?クロの方が可愛いので万事クロ中心になるのだが、タマにとってはこれが不満。で、何でも同じようにする。どうも人相(猫相)も何となく悪くなってきた。
2020年04月13日
頭がパ~!
酷いもので、我ながら呆れかえっている。どうしてこんなに頭がパ~になってしまったのか!一般的に老化、と言うことのなのだろうが・・・。頭だけでは無く足元も覚束ない。立ち上がるときは必ずよろける。部屋でもあっちの柱、こっちのふすまなどを掴んで歩く。もう、人間やめたくなっちゃう!とりわけ頭がパ~が一番困っている。僧堂に居れば幾つに成っても、やることはやらなければ成らない。言い訳は出来ぬ。だから今までは、何とか痴呆老人にならずに済んでいたのかも知れない。しかしそれもそろそろ限界にきているようだ。さりとて代わってやってくれる者が居なければ、兎も角続けなければならぬ。トホッホッホッ。
2020年04月11日
非常事態宣言
東京を初め幾つかの大都市を、国が非常事態宣言をした。その後、そこから漏れた都市が先を争うように非常事態を宣言し、ついに岐阜も遅れてなるものかと、今日非常事態宣言をした。大都市に比べればまだまだ事態は深刻では無いような気がするが、転ばぬ先の杖と言うこともある。今朝茶礼の時、評席のものは皆マスクを付けているので、厳重警戒だね!と言ったら、当然です!と一蹴された。このマスク一回使ったら捨てるのだそうで、勿体ないから洗ってまた使ったらと言ったら、何と非常識なことを仰ると、また一蹴されてしまった。コロナウイルスに対する意識が低い!と冷ややかな無言の眼。まっ、私は離れで一人静かに住んでいるから、部屋でじ~としている限りはマスクは要らないよね、と言ったらまあそうですねだと。何日間もじ~と一人、部屋に引き籠もっているのが私の日常だから、これではコロナウイルスに感染するわけが無い。
2020年04月09日
機関銃
84歳になる姉のところへ電話した。数年前連れ合いをなくし爾来独居老人である。直ぐ隣に弟が住んでいるし、近間に兄弟や娘も居る。しかしお互い自分のことで日常は過ぎて、近くに居ても行き来は無いようだ。かく言う私も日常姉のことを思うなど殆ど無かったのだが、ふっと想い出し電話してみた。「機関銃!」。日頃の胸の内を喋りだしたら止まらない。じ~とひたすら聞いてやった。誰でも独居老人になればこういう風になるのは当然のことで、まあこれも姉ちゃん孝行と思ってジ~ッとひたすら聞き続けた。相当長く喋って満足したのか、やや言葉の間隙をついて、すかさず、「じゃ~ね~!」で電話を切った。私も姉ほどでは無いが相当老齢化だが、私は最初から独居生活だから、孤独は当たり前で、孤独慣れしていて、何とも思わない。普通の人にとって独居自体が堪えられないほど特殊状態なのだろうな~と改めて感じた。
2020年04月08日
身体が鈍る
コロナウイルスの影響で、うちの二つの坐禅会は当分休止状態になった。その他例年春の入社時期には、何組か会社の新入社員坐禅研修などが行われ、気忙しい4月なのだが、今年は全て中止。為に静まり返った僧堂になった。まっ、これが普通なので、それはそれで良いのだが、これらの行事は毎年の習慣になっているので、無くなるとなんとなく間が抜ける。ところで近頃の私だが、足腰の弱りようと言ったらない。日常は畳に座ってと言うのが多いのだが、そこから立ち上がるのが一苦労。テーブルにしがみついたり柱にかじりついたり、その度によろけながらである。何ともみっともない。一端立ち上がっても、うっかりバランスを崩そうものなら、ダダダダ~ッ!と、あっちこっちへよろける。これらは全て足腰の弱りから来ている。それなら近くの公園にでも出掛けて、せっせと歩いて足腰を鍛えれば良いと思うだろうが、それが左膝痛で駄目なのである。こうなると結局部屋でジ~ッとしているより仕方が無いのだ。それで益々足腰は弱るという悪循環である。まっ、こんな年寄りの愚痴を聞かされても面白くもなんともないので止めることにしよう。トホホホッ!
2020年04月03日
身体が鈍る
コロナウイルスの影響で、しばしば利用していたスポーツジムが閉鎖され、爾来何も運動が出来ず困っている。では裏山歩きや街中散歩でもしたら良いではないかと思われるかも知れないが、それが出来ないのだ。左膝痛である。プールだから重みが軽減され、ぷかぷか浮いているから歩くことが出来るのだ。早く収束して欲しいと、待ち焦がれている。しかし一方では良い面もある。他にすることが無いので、実に読書ははかどり、猛烈に賢くなってきた。脳みその密度が濃くなってきたのか、近頃頭が重く感じられる。トホッ!それは無いと思うが、長年かかって出来上がった生活のリズムがくずれて居ることは確かだ。友だちもきっと皆困ってるだろうな~、と思っている。