2020年11月11日
馬鹿
人間馬鹿ほど救いようのないものはない。此の一番の責任は本人自身なのだが、そう言う程度の低い頭を持たされて生まれてきたという、生んだ側の責任もある。だから、可哀想だな~と思う。人間誰でも努力次第でどれだけでも成長できるという考え方も成り立つが、それだけでは成り立たない場合もある。たとえは良くないかも知れないが、ブスに生まれた女性の顔みたいなもんだ。いくらお化粧をしても自ずから限界はある。何故こんなことを言うかと言えば、何人も入れ替わり立ち替わり多くの雲水を見てきて、しみじみ思う。可哀想だな~!と。それなりに努力もし、頑張ってやってきても、お坊さんとしての資質に欠けた者は救いようがない。それを救ってゆくのがあなたの仕事じゃないですかと言われると返す言葉はないが、出来ないこともあるのだ。私も僧堂を預かって38年にもなり,いろいろ経験も積ませてもらってきたが、私の指導なんかより数倍も本人の持って生まれたものほど重いものはない。こうなると運命というよりほかはない。修行僧として生涯生ききるというのはそう言う目には見えない本来備わっている資質が大きいのである。
投稿者 zuiryo : 2020年11月11日 11:04