2020年12月02日
血も涙もない眼
ドライアイになって、もう二十年以上にも成るが,依然として,血も涙もない眼が続いている。今日もその治療のための目薬をもらいに医者へ行ってきた。私はそうも非人情な人間ではないと思うが、事実はそうなのである。言われてみれば確かにそう言う一面もあるような気がする。ようするに「冷たい」のだ。勿論修行にいちいち人情を挟んでいては成り立たない。冷たいほど良い。だから心身共に立派な禅僧になっているというわけである。人情をかけるのは一時は良いように見えるが、ぐるっと一回りすると、それは良くないと言うことが解ってくる。独善的で、独りよがり、身勝手が師家のトレードマークである。人間は結局自力でしか生きてゆけないのだから。これが真理だが、こればっかりだと血も涙もない冷たい世界になる。そこでいささか人情が必要になってくる。問題はその人情のかけ方である。無闇矢鱈人情を掛ければ良いというわけではない。非人情も時には人情になる。要は時と場合を見て的確に判断することである。しかし人に理解されない場合が多い。で、どうするかだが、まっ、結局年月を待つと言うことになる。正しく理解された時は、大抵その人は死んでこの世には居ない。人生って結局そう言うものなのだろう。
投稿者 zuiryo : 2020年12月02日 12:07