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2021年03月31日
リンちゃん
以前一匹の子猫が寺にやってきた。とても活発な子猫で、首輪をしていたので、すぐにどこかの飼い猫だということが解った。人見知りは全くせず、すぐに馴れて台所辺をはしゃぎ回っていた。警察署へ迷子の猫だと言う事を届け出て、飼い主を待った。数日後お寺から1キロほど離れた所に住むおじいさんがやって来た。再会した瞬間は、そのおじいさん涙をこぼさんばかりの喜びようであった。うちでは首に鈴をつけて歩くたびにリンリン鳴って居たので、「リンちゃん」と呼んでいたのだが、そのリンチャン、まるで喜びもせず、「何しに来たの~!」と言わんばかりの素っ気なさだった。親の心子知らず、と言う言葉があるが、まさにリンちゃんはその通りで、おじいさんに抱っこされて帰って行った。まっ、こう言う例はまれなことで、お寺にやって来る猫は大抵、野良出身で、腹を空かしてヨレヨレに成ってやって来る。餌を与えると喜んでむしゃむしゃ食べ、以後そこいら辺にある段ボール箱に入って棲みつく。一応それぞれに名前をつけて、うちの準飼いネコと成る。台所辺にこういうのが二,三匹棲みついている。都会の寒空、ほっつき歩いても餌など呉れる人はどこにも居ない。うちは野良猫の駆け込み寺なのだ。
2021年03月30日
金婚式
親しくしている友人夫婦が金婚式を祝ったそうだ。それはそれはお目出度うございますと申し上げた。結婚50年と言えば相当な長さである。さぞかし波瀾万丈、様々なことが湧き出て来ただろう。私は結婚していないので、想像することしか出来ないが、感慨無量では無かったかと思う。特に近年はご主人の方はいろいろな病気が出てきて、病との戦いの日々であった。サラリーマンならとっくに定年退職、悠々自適の日々なのだろうが、自営業だからまだまだ現役で頑張らなくては成らない。しかしそれが張り合いになって元気でおれるわけだから、ものは考えようで、幾つになっても仕事があるというのは幸せなことである。私も師家を三十八年間やって来た。我々の場合は始まりが世間一般より遅いので、七十八才になってもまだまだ頑張らなければならない。まっ、食うか食われるかの世間とは違って、ただボ~ッと生きてるだけで良いのだから、何とか務まるのだがね~。
2021年03月29日
雲水習字
作務の進捗状況を見ながら、時々習字の時間を設けている。近頃は専ら草引きが続いたが、一応目途もたったので、今日は皆で習字、勿論私が先生役、長年稽古を積んできたお手本が山ほどあるので、それを使って2時間ほどやった。まっ、お喋り半分、稽古半分という処。書道はやればやるだけのことはある。始めはナメクジ流もだんだん見られるようになってくるから不思議だ。途中のお喋りも良い。特に尼僧堂は日常的に直接現場を見ているわけではないので、お稽古しながらの四方山話で、いろいろなことが聞ける。普段はそう言う機会もないが、書道しながらだと、比較的良い雰囲気で自然に話が出来るのだ。私も瑞龍寺に来てから字が余りにもへタッピーだったので、丁度近くに高名な書道家がおられ、すぐに稽古をつけて貰い、爾来三十数年経った。先生が高齢に成られ引退されたので、以後は自力でぼつぼつやっている。と言うようなわけで、今度は私が雲水の先生になって稽古をつけている。
2021年03月26日
ただ一人のために
現在、世間一般は勿論のこと宗門でも、なるべく沢山人を集めて,多くの人々に説いてゆくのを良しとする。百人より三百人、三百人より五百人と、多く人を集めれば集めるほど、大盛況ですな~となり、評判も上がる。歌舞伎役者やコンサートならそれで良いが、そのパターンを宗門の中まで持ち込むのは如何がなものかと思う。本来、禅はたった一人のために説くものだ。ところがあらゆる分野でマスメディアが主流をなし、我々宗門もその考えに流されているのではないかと危惧している。他の分野のことは一向に構わないが、こと宗教に関して言えば、一対一で神髄を伝えてゆくものだと思う。特に禅はそう言うものだと思っている。
2021年03月25日
マッサージ
車で1時間ほどの処に弟子が住職している。そこからわざわざ私の体のケア~の為に来て呉れる。全身マッサージなのだが、これが痛いったら痛い!ヒ~ヒ~思わず悲鳴が出る。しかしいくらヒ~ヒ~言っても情け容赦し無い、こっちがのたうち回っても意に介せず、グイグイやる。小1時間、治療が済むと、後は実に爽やかになるから不思議だ!これであの痛みがなければ最高なのだが、痛みと術後の爽やかとは切っても切れない関係のようだ。兎も角遠路私のために、こうしてやって来てくれるのだから、有り難いたらありゃ~しない。持つべきは良き弟子である。
2021年03月24日
僧堂師家
師家とは修行者の指導役である。これには大まか二種類ある。殆ど雲水のやることに任せて、いわば自主性を重んじるやり方と、雲水は所詮ただの小僧っ子、ビシバシ徹底的に管理してゆくやり方である。そのどちらが良いかは一概には言えないが、未熟な雲水に法に適った自主性なんぞないと断言して良い。聞こえは良いが、結局それは指導怠慢・管理放棄である。しかしこれを雲水の方から見れば、こんな結構なことはない。やりたい放題サボりまくっていても、修行歴は同じにつくのだから。つまり一口に僧堂修行と言っても、大きく二種類在って、修行履歴をつけるのが中心で、だからできるだけ楽をして履歴稼ぎをするという手合い。もう一方は履歴なんぞどうでも良い事で、純粋に修行したいから長い年月頑張り、結果自然に履歴がついてくる。同じ雲水修行でもこの違いは実に大きい。師家の立場からすると、純粋に修行のために頑張ってほしいと願うのだが、所詮、志のない者は如何ともし難い。願わくば、最初入門時は志は低くとも、僧堂で修行している内に、そう言う自分を恥じ、純粋に修行のために努力を惜しまない修行者になって欲しい。しかし現実にはなかなかこうはいかない。結局、修行はその人の持って生まれた資質による。資質のないものにはどんな指導もお手上げで、猫にワンと吠えろと言ったって無理。
2021年03月23日
血も涙もない眼
早い話が、ドライアイ。もう何十年間も・・・。その為毎月1回は診察に行かなければならない。診察と言ってもちょっと目を覗いて、それで終わり。目薬を貰って帰る。どうしてそんな血も涙もない眼になってしまったのか?原因はよく分からないそうだ。まっ、冷た~い人間ってこと!言われてみれば確かにそうだ。いちいち人情を掛けていたら,師家なんかとてもじゃないがやってられない。冷たくて当たり前なのだが、眼まで反応しなくても良いじゃないかと思うが・・・。心身一如ってわけ。放って置いても一向構わないのだが、眼球の表面が傷むので、涙の代わりに目薬をさし続けなければならない。何とも厄介な眼なのだ。自業自得ってわけだ。
2021年03月22日
把針灸治
今日は把針灸治で、終日のんびり休息。午前中いつもの内科医へ行って毎月1回の診察。薬を処方して貰い帰る。もうこのパターンが30年くらい続いている。悪くも成らないが良くも成らない。多分一生ものだろう。まだ月1回で済むから良い。近年は免許返納したから、いちいち隠侍に運転して貰わなければならないのが少々厄介。帰ると1ケ月分の薬を種分けして袋に詰める。全部で7,8種類になるから、間違えないように慎重にやる。まっ、これが毎月の私の仕事。全ての袋分けが完了してほっと一息、さてこれから勉強少々。お日さんが照り、風もなく誠に穏やかな日和である。僧堂中静まりかえって、猫の子一匹通らない。相い向かいの山の木々もそよとも揺れず、まるで時間が止まっているようだ。今日は夕方知人がテレビに出演するので見逃さないように、時計を気にしながらである。
2021年03月20日
思惑違い
こちらの思うところと受け取る相手方の思うところが食い違うことがある。思惑違いである。しばらく話をしている内に、あ~っ、こっちの思うところとちょっと違うな~と解る。しかし、だからといって、食い違っていますよ!などと遠慮会釈なく相手方に言えるかというと、なかなかそうは言えない。まっ、やがて時が経てば解ってくるので、そうガタガタ言うこともないが、往々にしてこう言う食い違いはある。それは言外にある意思をお互い探ろうと努めるからだ。良い意味で、相手方の心を察しようとする、優しさからなのである。そう言う相手方の心根が解ると、かえってこちらが酷く恐縮する羽目になる。人間お互いに相手を思いやる優しさこそ尊いのだ。
久しぶりの訪問
以前はかなりの頻度で訪問していた処へ、思い立って久しぶりに出かけた。随分長い間ご無沙汰した。今回は特別用事があったわけではないが、何だか急に行きたくなった。あの広々とした景観や、たたずまいなど、昔と変わらず、不思議に癒やされる。何の変哲もない雑談で、しばらく過ごした。新たに喫茶店が作られていて、そこで美味しいコーヒーを頂き、広々とした庭を眺めた。良い気分だった。僧堂生活はほぼ同じ事の繰返しなので、たまにはこう言う気分転換で気が晴れる。後になって思ったが、先方は何事ぞ?と思われたかも知れない。いろいろな建物や庭なども少しづつ新たになっていて、私にとっては良い気分転換になったが、こういうことも人様に迷惑を掛けることになるので、当分は止めとかなければな~とも思った。
2021年03月16日
老いの教科書
不老不死の薬は、遙か昔から求められ、加齢に伴う老化研究は今なお活発に行なわれている。老化の仕組み・老化に対抗する為の研究など、老いを防ぐための最新研究は日進月歩の様相を呈している。さてこの世の全てのものは年月を重ねるに従って全身の能力は低下する。これが「老い」である。全ての生物はこの老いから逃れることは出来ない。しかし近年、老化現象の仕組みが明らかになり、老化を防ぐ仕組みが徐々に解明されてきた。中でも重要な人体の司令塔、「脳」の仕組みの解明である。日々トロくなるドタマと戦いながら、学者先生!頑張って!と心底念じている次第である。
2021年03月15日
毎月、耳鼻咽喉科
毎月1回耳鼻咽喉科へ診察に行かなければならない。喉をあ~んと開けて診て貰い、耳の中をちょっと診て貰うだけなのだが,これをやらないと保険適用に支障を来すらしい。どういう規則なのかよく分からないが、兎も角診察を受けなければならない。私は毎日夜寝る時は、機械的に空気を送り込む装置をつけるのだが、この機械の保険適用には毎月1回、この診察が条件なのである。ならば自分でこの機械を買って使ったら良いじゃ~無いかと思うのだが、どうもそれではいけないらしい。と言うわけでこの毎月1回診療はもう十数年続いているというわけ。肉体とは何と厄介なものだ。更に何年かに1回は一晩止まりで入院、体中装置をつけて、呼吸の具合を記録し、検査する。これも条件に入っている。しかし聞いてみると、世の中には私同様な人がごまんと居るらしいのだ。これまたびっくりだ!
2021年03月12日
門標を総門脇に移動?
瑞雲院がやってぃて、瑞龍寺の門標を総門脇に移動したらどうかと言ってきた。消防車が入るのに邪魔に成るからだという。馬鹿も休み休み言え!その方がむしろより邪魔に成る。一体何を考えているのか?消防署に電話して、お寺の状況を見て貰い、何処か改善する余地はないかとお尋ねした。結論は全くなし!だった。そんな人のことを心配する暇があったら、もっと自分の身の周りを心配しろ。話は変わるが、このところ左肩がやたら凝る。今日も鍼灸へ行ってきた。近くにこう言う名医がいるのはとても有り難い。まっ、肩こりは1回や2回ですっと治るというようなものではないが、大分楽になった。とかく肩こり頭痛を誘発するような事柄が多いので、鍼灸の名医が近くに居るというのは本当に有り難い。
山内寺院出火
先日夕方山内寺院より出火、庫裡の離れが半焼したところで鎮火、大事に到らず済んだ。うちのお寺は公道より長い参道があって、左右に計6ヶ寺が建っている。その突き当たりに本坊があるのだが、参道も消防車が一台でギチギチで、消火活動も難しく、今後どうするかの相談に皆でやってきた。この敷地そのものを変えることは不可能で、ではどうするかである。なかなか難しい問題だ。今回の火事を良い教訓にして今後の対策を皆で考えようというわけである。参道突き当たりに乗用車20台ぐらいの駐車スペースがあるので、消防車は一端そこまで来て貰い、そこからホースを引っ張って消火に当たる、まっ、このあたりが妥当なところかな~と思う。それにしても次々にやって来る消防車をここまで誘導する係がいる。特に夜などでは初めての者には解りにくい。それやこれや、今回の火事を教訓にして、今後の対策を話しあおうというわけである。
2021年03月11日
終日ボ~ッ
何だか良く理由は分からないのだが、このところ終日ボ~ッとしていることが多い。そう不真面目に過ごしているわけでもないのだが、ふっと気がつくとボ~ッ。何か体の中からエネルギーが出てこないのだ。老化もあるのかも知れない。また目前にやらなければならない大きな問題もないからかも知れない。尻に火がついて、追立てられないと力が湧いてこないようだ。勿論ただボ~ッとしているわけではない。それなりに色々やっては居るのだが、ガチッ!と響いてこないのだ。一番の理由は老いて万事に、まっ良いか~っ、になったことであろう。年がら年中、尻に火がついたように追立てられるのもシンドイが、もう少しパリッとしなければいかんな~。
2021年03月08日
肩こり
以前から特に左肩がやたら凝る。しばらく忘れていたのだが数日前頃からやたら凝り出した。以前より通っていた鍼灸院へ、久しぶりに出かけた。此処の鍼は効果抜群である。と言っても1回や2回で治るわけではない。しばらく毎日通おうと思っている。午前中に出かけて治療して貰うのだが、夕方頃にはもう痛み出す。この繰り返しだが、やがて治ってくる。友人もこの鍼灸院へ行っている。今日はばったり会った。お互い老人になると、同じような悩みが出てきて、鍼灸友達となる。肩こりも問題だが、頭の老化も大いに問題だ。既に再三書いているように。しかし頭に鍼を打っても駄目で、こっちは頭を大いに使って、中から血の巡りをよくする事が肝心。他力本願は通じない。
2021年03月07日
日々退化
つらつら思うに、私は日々退化に向かい、だだ走りしている。余り刺激的な事柄がないと言うのが一因である。決まった時間に起きて朝の勤行に始まり、坐禅、喚鐘、雑巾掛け、粥座等々、一連の行事は毎朝のこと、これら全て終わってほっと一息つく。これで午前の仕事は終わり。人によっては信者さんが引きも切らず訪れ・・・、てなことに成るのだろうが、私のところには猫の子一匹訪れない。大抵は自室で読書となる。嘗て私が僧堂で仕えた老師は、千客万来で、人の来ないときは自分で客を呼び込んでいたほど。自分が師家に成っておもうのは、ああいう気持ちは全く理解できない。人は様々だから、どちらが良いとか悪いとかではないが、そもそも、世俗の人と話をしても、面白くも何ともないじゃ~ないか!と思うのだがね~。
2021年03月06日
健康法
だんだん、年をとってくるとあっちこっち痛んでくる。私の場合は肩がコリコリ、鍼灸へ言って針をブスブス打って貰うのだが、直後は良いものの、やがて元通り痛くなる。だから毎日行くことになる。それは良いとしても、少しは痛みが和らぐとか、軽くなるのなら良いのだが、まるっきり元の木阿弥になる。まっ、それだけしぶといと言う事なのだろう。これも全て老化で、死ぬまでこれを背負って行かねばならないわけだから、たいてやない!かくの如く年寄りの愚痴の連続で、読む方も憂鬱になるだろうから、これくらいで止めておこう。これだから年寄りは嫌われるわけだ!
肩痛
慢性的に肩が痛い。さほど肩が凝るような作業をしているわけではないのだが、特に左肩が凝る。近くに良い鍼灸院があるので、そこへ出かけては鍼を打って貰う。なかなかの名医で、評判も高く、時間帯によっては混む。今日は運良くすいていたので待たずにやってもらった。この肩こり、遙か昔から在って、数多くの人が悩まされているが、治す薬もなく、鍼灸師に頼るしかない。小さい頃良く母から、肩をたたいてと言われ、いやいややった。あ~っ気持ち良い!と褒められながら、トントン肩たたきをしたことを思い出す。今となっては涙が出るほど懐かしい思い出である。何でもっと親切に叩いてやらなかったのかな~と、臍を噛む思いになる。
2021年03月05日
煩わしいことは万事御免
どなたもそうなのかも知れないが、だんだん老化してくると、兎も角煩わしいことは御免被りたい。小難しい書類を見ただけでも、拒否反応で、そこから先へは進めなくなる。これでは既に法人の代表役員の資格ゼロなのだ。だったらさっさと止めりゃ~良いじゃないか!となるわけだが、これがそう簡単には行かない。そう言う間に挟まって、葛藤の日々である。いつからこう言うドタマになってしまったのかはっきりした自覚はないのだが、結果こう言う現在なのだ。まっ、我々の仕事は世間の方々と違って、ピンシャンしてるより少しヨロヨロした方が、何となく貫禄があって、見栄えは良い。見映えだけで世の中済むならこんな良いことはないが、それでは済まないから厄介なのだ。交代する奴がいないなら、このヨロヨロを何とか持ちこたえて行くより仕方がない。兎も角最近はこう言う弱音を吐く文章がやたら多くなって、お前は馬鹿か!と言いたくなる。
2021年03月04日
悪のプロ
刑務所で服役中のものの精神的ケア~係を教誨師という。人生経験豊富な人で、そう言う犯罪者の更生に一肌脱ごうという奇特な方々である。うちのお寺の役員をしておられる和尚さんでこの教誨師を永年勤めておられた方が居た。その方が、生真面目で見所のある男だと太鼓判を押した服役者がいて、是非出家して僧侶となって、これからの人生は自分があやめた人たちの供養をして生きたいと言うので、自分が責任者になって、この男の願いを叶えるべく、奔走された。間もなくして本人を僧堂に連れてきた。60才をゆうに超えたくらいの小柄な男だった。見るからに実直そうで、この男なら本心からそうだと思い受け入れることにした。僧堂入門後の様子は生真面目でコツコツ、服役中の訓練で仕込まれたのか何事でも器用で、こんな便利な男はなかった。しばらくすると体の調子が悪いというので、こちらで費用を持ってやり病院へ通わせた。しかし年月を経るうちに、愈々本性が現れ出た。病院へ通うというのも全て暇を得たいという方便で嘘っぱちだった。この男の仲介役を負った教誨師の和尚さんが、癌で亡くなるやいなや、チャンスとみて忽然と出奔した。それから僧堂時代に仲間だった和尚のところへ訪ね回っては、嘘で塗り固めて様な話を言葉巧みにしては、百万単位で金をせびり、一通り行き尽くしたとみるや、忽然として姿をくらました。これがこの男の正体だったのだ。たかられた連中の話を総合すると、実に言葉巧みに哀れさを装い、嘘で塗り固めた話しをしていたらしい。つまり筋金入りの悪だったのだ。まっ、我々のような僧堂修行が専門の者など、赤子の首をひねるようなものだったのだ。世の中には「悪のプロ」が居ると言う事を初めて知った。
2021年03月03日
また頭がボ~ッ
以前にも書いたが、この頭がボ~ッは依然として続いていて、今までは点だったが、この頃は面になってきた。つまり起きている間中、ボ~ッ、なのである。これでは私も愈々お仕舞いだ!これからづ~っとこのドタマ抱えて生き続けなければならない。目の前真っ暗。しかしこういう風だと自覚できているうちはまだましで、やがてその自覚も失せ、このボ~ッも本格化し、起きたら寝るまで続くのだろう。そう思ったら更に本格的にぞ~ッとしてきた。
2021年03月01日
出家の志
今日、本堂での法要の後何かちょっとお話を・・と言われているので、さて短いお話を何か・・・と考えているうちに、遙か数十年前、私がまだ十代の頃、出家のきっかけになる事柄を思い出し、ああ、これでも話してみるかと思った。それは高校一年生の頃、中間テストも無事に済んで、学校からの帰り道、友人から、上映中の映画「親鸞」を見に行かないかと誘われたことがあった。特別行きたいわけでもなかったが、折角誘ってくれたので、お付き合いのつもりで見に行くことにした。上映3時間ぐらいの長編だったが、その中の一場面を今でも克明に覚えている。それは親鸞が出家して間もない十代の頃、比叡山で修行中のことである。当時は何百人もの修行僧が居て、典座(てんぞ)と言って、食事当番役である。それもベテランの修行僧の中に混ざって、下っ端の下っ端役で、もっぱら水くみ役である。雪が降りしきる中、素足に草履を履き、両手に手桶を持って、遙か下の小川から水を汲んでは運ぶ。当時何百人もの修行僧が居たわけだから、まかないのために必要な水の量も半端ではない。何回目かの繰返しのうち、典座の土間に入った瞬間、思わず蹴躓いて、両手の桶をひっくり返してしまった。辺り一面水浸し、高単の修行僧が怒ることと言ったらない、いきなり蹴躓いている親鸞の頭を泥だらけの草履で踏みつけた。思わずギャ~ッ!悲鳴を上げた。この時の場面が私の胸に焼き付き、映画を見終わってからもずっと残った。後年、私は自ら志を立て出家、禅僧修行の道に入った。人間何が機縁になるか解らない。この場面が私の修行への道を、背中から押し続けてくれたのである。