2021年03月01日
出家の志
今日、本堂での法要の後何かちょっとお話を・・と言われているので、さて短いお話を何か・・・と考えているうちに、遙か数十年前、私がまだ十代の頃、出家のきっかけになる事柄を思い出し、ああ、これでも話してみるかと思った。それは高校一年生の頃、中間テストも無事に済んで、学校からの帰り道、友人から、上映中の映画「親鸞」を見に行かないかと誘われたことがあった。特別行きたいわけでもなかったが、折角誘ってくれたので、お付き合いのつもりで見に行くことにした。上映3時間ぐらいの長編だったが、その中の一場面を今でも克明に覚えている。それは親鸞が出家して間もない十代の頃、比叡山で修行中のことである。当時は何百人もの修行僧が居て、典座(てんぞ)と言って、食事当番役である。それもベテランの修行僧の中に混ざって、下っ端の下っ端役で、もっぱら水くみ役である。雪が降りしきる中、素足に草履を履き、両手に手桶を持って、遙か下の小川から水を汲んでは運ぶ。当時何百人もの修行僧が居たわけだから、まかないのために必要な水の量も半端ではない。何回目かの繰返しのうち、典座の土間に入った瞬間、思わず蹴躓いて、両手の桶をひっくり返してしまった。辺り一面水浸し、高単の修行僧が怒ることと言ったらない、いきなり蹴躓いている親鸞の頭を泥だらけの草履で踏みつけた。思わずギャ~ッ!悲鳴を上げた。この時の場面が私の胸に焼き付き、映画を見終わってからもずっと残った。後年、私は自ら志を立て出家、禅僧修行の道に入った。人間何が機縁になるか解らない。この場面が私の修行への道を、背中から押し続けてくれたのである。
投稿者 zuiryo : 2021年03月01日 09:40