« 2021年03月 | メイン | 2021年05月 »

2021年04月28日

遙か昔のこと

今日は朝からしとしと雨が降り続き、ソヨとも風も吹かず、物音ひとつせず、そんな部屋から向かいの山の木々をボ~ッと眺めていると、ふっと遙か昔のことを思い出した。僧堂雲水時代、矢鱈トゲトゲした男がいた。一事が万事しかも終日、周囲をそのトゲで刺しまくっていた。意気軒昂、鼻から熱い息を吹きあげ、ご本人はいたって満足のようだった。しかし周りのものは堪ったものでは無い。しかもそれを修行に絡め、ギャ~ギャ~喋りまくるから、益々手に負えぬ。だから彼の下でやる者は次々脱走していった。まっ、言い方は悪いが一種の精神病である。僧堂は上下の関係が徹底しているから、下位の者は黙って従うだけで、ひたすら耐え忍ぶことになる。確かに修行という点から見れば、彼は素晴らしい人と言う事になる。未熟者がスカタンをやってギャ~ギャ~言われるのは仕方の無いことではあるが、それがあまりにも激しすぎるのだ。身をもって指導してゆく、などという考えはみじんも無い。鵜の目鷹の目であら探しをして、めざとく見つければしてやったりと、朝から晩までギャ~ギャ~叱りっぱなしなのだ。これでは下の者は堪ったものでは無い。結果、脱走と為った。当時の師匠も同様だった。障子がビリビリ震えるぐらい仮名切り声を張り上げて、怒鳴りあげていた。あれから40数年が経った。今改めて振り返ると、修行とは言え何処か間違っていたと思う。一言も発せず黙々として教えてゆくこと、これが禅の教育だと思っている。

投稿者 zuiryo : 13:46 | コメント (0)

2021年04月27日

気にしない!

最近物忘れが酷くなった。たった今、さっきのことを、もう忘れている。こりゃ~やばい。さりとて改善の方策は無い!ガ~ン!まっ、年相応と言えなくも無いと思って、余り気にしないようにしている。しかし、近くに聞く相手も居ないから、日常いろいろ支障をきたす。対処法として、兎も角メモをとりまくっている。ところがそのメモがどこかへ行ってしまうのだ!再びガ~ン!もうこうなると手の施しようが無い。こう言うのは余り過度に気にするとノイローゼになるから、その為に日常いろいろ不都合が生じても、まっ、いいか!でやり過ごすことにしている。だから責任の掛かるような事柄は徐々に古手の雲水に任せることにした。私も間もなく八十才だから、頭がトロくなるのは当たり前、気にしない!気にしない!

投稿者 zuiryo : 10:47 | コメント (0)

2021年04月25日

ワクチン摂種

コロナのワクチン摂取についてのお知らせパンフがどどっときた。書類が多すぎて私のドタマはすでにパニック。どうすりゃ~良いんだ!万事かくの如きなのだが、友人に相談するのが良いと思い直し相談すると、方法を教えてくれた。その教えに従い即実行、無事に手続きは完了、安堵した。私の場合相談する良き友人がいるから良いようなもの、それも無く、ひとりぽっちだったら、大困りだったろうなあ~。万事この調子だから、これからもややこしい書類が来る度に、あっちこっちで聞きまくる事になる。政府も高齢者には、書類を理解する能力なしと最初から踏んで対処してくれないものかな~。てな具合に考えるが、実際にはそんなことは出来ないのだろうね~。そもそも、独居老人がいけないのだから。しかし日本国中全員にワクチン摂取、考えただけでも頭がボ~ッとなってきた。

投稿者 zuiryo : 11:17 | コメント (0)

2021年04月24日

タマ

タマは元々野良猫なのだが、どこからかやってきて、濡れ縁にいつも居るように為った。餌も定期的にあげ、その内小寒く為ってきたので、布製の猫小屋を買ってやると、喜んで棲みついた。名前が無かったので、漫画サザエさん家の飼い猫の名前が「タマ」なので、勝手にタマと呼ぶようにした。本人も餌は呉れるし温かな小屋はるし、すっかり此処が気に入っている。時々お礼の印に山でネズミを捕まえ、くわえて部屋まで届けてくれる。ご厚意は有り難いが私はネズミは喰わないので、ゴミ箱に捨てさせて貰う。その後いろいろなことがあって、今は縁の下の布小屋がすっかり気に入って、餌だけ食べに来て、一寸くつろいで、さっさとお気に入りの布小屋に引き上げる。撫でてやると、ごろんと横になり、喉をゴロゴロ鳴らして喜ぶ。大分年をとって、来た頃のようにじゃれることは無くなってしまったが、矢張何時までも可愛いさに変わりは無く、タマ!長生きするんだよ!といつも声を掛けている。

投稿者 zuiryo : 13:36 | コメント (0)

2021年04月23日

改名

在家から出家した雲水の一人が、弁護士に依頼し改名が漸く成った。今日は弁護士さんのところへ行って正式に認められた書類を頂き、その足で郷里の役場に届け出て、そこで改名が完了となる。私も在家出身だったから、嘗て鎌倉で初めて寺の住職に為ったとき、法務局へ届出を出す際、僧名を戸籍名にする手続きをとった。調度知り合いの弁護士さんが居たので、万事お任せし、難なく改名出来た。一般的には、愈々僧堂掛搭と言うとき、戸籍名「保男」を僧堂雲水にふさわしい名前に改めるのだが、師匠は全く無頓着で、戸籍名「保男」のまま、僧堂掛搭した。まっ、僧堂は全て音読みだから、「ほなん」で、耳で聞いているうちは全く問題無い。しかし漢字を目で見ると、どう見ても「やすお」である。格好悪いったらありゃ~しない。こいつはどうせ僧堂修行なんか碌に続けられなくなって、直ぐに還俗するだろうから、俗名のままの方が良いと判断したのだろう。しかし、10年20年と修行を続けたので、良い意味で目論見は外れ、その後自分勝手に「男」の音読みの「なん」を生かして、「南」と改め、後にそれが私の戸籍名になった。考えようによっては師匠の親切とも言えるわけである。確かにうちの雲水でも、在家から出家して、立派な僧名を頂きながら、結果、たちまち還俗という例がいくらでもいる。所詮名前なんぞどうでも良いわけだ。本人がどれだけ修行を頑張ったか、其処が一番肝心なところだ。

投稿者 zuiryo : 09:17 | コメント (0)

2021年04月22日

般若会再開

例年なら4月第2月曜日から始まる般若会は、コロナの様子見をしているうちにどんどん月日が経ち、漸くここへ来て、万全の対策を講じながら、第1回を4月26日に開催することに決めた。このコロナ、いつまで続くのか解らない。完全収束を待っていたら、何年先になるかも知れない。そこでやや急ぎすぎかな?とも思ったが、万全の対策のもとでやれば、さほど長時間でもないので、差し支えないだろうと判断し、係の方とも話し、近々第一回目を開催することにした。参加者の方々も待ち望んでおられるだろうし、こちらも始めたくてしょうが無い。止めた~!となると、途端に怠ける。怠惰に過ごす日々からは何も生まれない。我々の日々の修行もこの通りで、自分で自分に鞭打たなければ、ハイ!それま~で~よ~だ。毎回新しい話を考えなければならないのは相当負担は大きいが、崖っぷちに佇んで、背水の陣を敷く、この気概が無ければ、禅の修行は出来ないのだ。

投稿者 zuiryo : 11:13 | コメント (0)

2021年04月20日

講座

講座は大接心中毎日、その外の時は2・7・5・10にする。ただし日中は作務や信者さんへのお経詠みがあったりで、思うように時間が取れないので、晩開板後にしている。こうすればきちんと講座ができる。私の仕えた二人の老師は講座が嫌いで、なるべくさぼろうとした。雲水の時これに腹が立っていたので、今度は自分が提唱する側になったときは、決してさぼらず、決められた日はこのように時間配分を考えて必ず実行している。反面教師だ。つまり講座は講本にしたがって話すわけだが、お坊さんとしてまた修行者としての自分の矜恃を披瀝する場だと思うからである。雲水は何を目的に道場で修行するかと言えば、自分が仕える老師の修行者としての境地を自分に取り込むためである。その為の大切な機会を師家の勝手でさぼるなどもっての外である。

投稿者 zuiryo : 19:38 | コメント (0)

2021年04月19日

師家の資質

僧堂の師家というのは孤独なものだ。雲水なら同僚の者がいて、お互い励まし合い、頑張ると言う事がある。またその反対で、単が一つでも上なら嵩に掛かっていじめ抜かれることもある。いずれにしても緊張感を持って、そこで生き抜くために頑張る。しかし師家の場合は孤独である。雲水と違って、いじめ抜かれることは無いが、見えない敵と戦ってゆかなければならない。見えない敵?そりゃ一体何だね、と問われそうだが、数限りなくある。まっ、その中味は人によっても違うと思うが、日々試行錯誤しながら一歩一歩進めてゆく。そこで問題なのは師家の資質である。私が嘗てお目に掛かった人で、この方はそもそも師家になるべきでは無いな~と思ったことがある。何も師家になるばかりが能ではない。お坊さんとしていくらでも生き方はあるのだから。これは本人にとっても不幸なことであり、周囲の人たちにも大いに迷惑となる。自分を知って、そこから進むべき道を見つけてゆく、結局これに尽きる。

投稿者 zuiryo : 19:42 | コメント (0)

2021年04月18日

新緑が目にしみる

隠寮の庭一面、新緑の楓が目に染みるようだ。どんな綺麗な花よりも美しい。活き活きした生命の息吹を感じる。場所が建物の一番奥、山に沿ってあるので、外部の人の眼には全く触れない。この美しい庭を毎日眺め楽しんでいるのは私一人だけ、勿体ないような気がする。同じ緑でも、滴るような緑は、ある一定の時期までで、やがて色あせて普通の緑になってしまう。当山住職の軒号は「滴翠」と称するのだが、誰が考えたのか知らないが、何とぴったりした軒号だといつも思う。雨が降った後の緑は特に絶品で、この美しい景色を眺めるのは私一人、贅沢なものだ。

投稿者 zuiryo : 09:29 | コメント (0)

2021年04月15日

3時半、晩課のため・・・

3時半に本堂へノコノコ行くと、静まりかえっている。どうした?4時からの間違いだった。机の前には大接心時間割が置いてある。見ちゃ~いないのだ!すごすご引き返した。ま~兎も角、最近はこれに似たようなことをよくしでかす。一口に老化と言うことなのだろうが、まっこれくらいのことなら良いが、万事にトンチンカンだ。私の机にはソニー製で、写真が次々に変わって映し出される装置が置いてある。何というものかよく分からないが、相当以前購入したもので、愛犬ハチが死んで、小さいときから撮りためた写真を見たいために買ったものである。自動的に次々に写真が変わるので便利で良い。頭の老化はすでに繰返し書いてきた。またかよ~っ!だが、とかく老人は過去の事柄を飽きずに繰返し思い出す。余り前がないので、必然的に頭が過去に向かう。人間こうして死んでゆく。トホッ!

投稿者 zuiryo : 15:48 | コメント (0)

入制大接心

恒例の大接心が始まった。私もこの寺に来て、38年も経った。その間幾たび大接心を繰りかえしたことか。まっ、慣れっこになったと言うと、少々語弊があるが、その時期、その時期で、雲水も変わり、私自身も年をとったりで、味わいは違う。しかし僧堂ではこの大接心をやっているときが一番充実していて気分が良い。特に私は講座が一番好きだ。講座台に乗って喋っていると、遙か昔、私が雲水だった頃を思い出し、当時の老師が目に浮かび、懐かしさでいっぱいになる。こう言うのも自分が講座台に上って、初めて解る心境である。いつも未熟だった自分を思い出す。誰でもその立場になってみなければ本当のところは解らないと言うが、その通りだ。私自身を振り返り、更に向上を目指して一歩一歩真っ向前進である。

投稿者 zuiryo : 13:49 | コメント (0)

二人の老師

私は逸外・耕月両老師にそれぞれ10年づつ就いて修行させて貰った。お二人は似たような境遇で、幼少の頃より小僧修行を積まれた苦労人で、私のような、のほほんと育ったものには到底解らない人生を歩まれた。だから万事に筋金入りで、大変厳しかった。個性もきつく、アクの強い方々だった。そう言うお二人の元で修行させて貰ったので、良い勉強になった。多分これからの時代ではああいうタイプは出てこないだろう。人生でどういう人に巡り会えるかは重要なことだ。未熟な自分を鍛え、小突き回して、踏んだり蹴ったりして貰えるのは何より有り難いことである。たとえはふさわしくないかも知れないが、餅つきでもペッタンペッタン、徹底的に撞いた餅はきめ細かく柔らかで美味しいじゃ無いですか。

投稿者 zuiryo : 10:59 | コメント (0)

2021年04月14日

遠方よりお礼参り来山

午前、山梨より先日の葬儀のお礼に三人の和尚さんがやって来た。出掛けたこちらも大変だったが、そのお礼参りに来た三人の和尚さん達も同様大変だ。遠路、運転を代わりばんこしながらやって来たことだろう。お互い遠方、ご苦労様だった。うちの場合は隠侍さんが一人で運転し続けたのだから、過酷なことだった。私が途中代わってやりたいところだが、数年前老化を心配して、思い切って免許返納したので、代わるわけにもいかず、しんどい思いをさせてしまった。もう少し交通の便利な処なら、電車も考えられるのだが、車以外には無いという地域だったので、仕方なくこういうことになった。ところで亡くなった和尚の寺は、後継者はおらず、奥さん一人っきりになってしまったので、車の運転が出来なければあの地域で生活することは出来ない。多分寺を離れ、郷里の横浜方面へ転住することになるのだろう。あそこに落ち着くまでいろいろ苦労してきたから、思い一入だろう。これから以降は多分訪れることも無くなるだろうが、様々なことがあった。本当に人生いろいろだな~!

投稿者 zuiryo : 13:58 | コメント (0)

2021年04月13日

楓の新緑

隠寮の庭は全面、楓に覆われている。背後に山を控え、その楓の新緑の美しさは格別だ。東西横に広がる庭だが、みずみずしい新緑は他に例えようがない。毎日その庭を眺めながら、一人楽しんでいる。いずれはこの緑もみずみずしさは失われ、普通の緑になってしまうのだが、相当の期間したたる緑を楽しめる。まさに「眼福」である。ところで山梨方面へ葬儀に出掛けたと言ったが、その疲れが未だに残っている。芯疲れである。丁度焼き芋で、まっこの辺で良いかな~ッと焚き火から引っ張り出してガブリとやると、芯がガリッとするようなもんだ。今日は朝からシトシト雨が降って、久しぶりに大地を潤し、山も庭も皆喜んでいる。

投稿者 zuiryo : 09:35 | コメント (0)

2021年04月12日

葬儀疲れ

9日~10日、山梨の山奥のお寺の葬儀に出掛け、その疲れが今頃になってドドッ!と出てきた。どうも年を経ると疲れも時間差があるようだ。午前中から調子がイマイチ。こう言うときには横になって休むのが良い。と言うことで、しばらく横になって休んだら少し元気が出てきた。亡くなった和尚は誠に義理堅く,毎年車で数時間も掛けて問候にやって来た。自分でこうして延々車で出掛けて初めてその大変さが解った。良くもこれを毎年繰返し、やって来たものだ。ところで帰ってきて、寝るときに肩を覆うものがなくなった。万事ぼ~っ!としているこの頃だから、泊めてもらった旅館にでも忘れてきたのだろうと諦めていたら、車の中から出てきましたと言うではないか。これだからね~ッ!やんなっちゃう!つらつら思うに、老齢化すると、ことごとくこの有様だから、もう人間としては賞味期限切れと言うことだ。さりとて生きている限りは、このお役目を果たさなければならぬ。辛いところだ。

投稿者 zuiryo : 09:23 | コメント (0)

2021年04月11日

クロ亡きあと

スッカリ居るのが当たり前だったクロ亡き後、どうも何かが抜け落ちているような気分で落ち着かない。では代わりの猫を・・・と思っても、簡単ではない。たかが猫の子一匹といえども、難しいものだ。勿論タマは相変わらず部屋に居るのだが、はっきり言って「可愛くない。万事どこかでクロと比べてしまうのだ。まっ慌てることはない。そのうち自然にどこからか可愛い猫がやって来る。

投稿者 zuiryo : 16:47 | コメント (0)

般若会再開

本来なら四月二週目、月曜日から般若会が催されるのだが、コロナの影響で、密はできるだけ避けた方が良いだろうと考え、躊躇していた。しかしそれなりの配慮をすれば開催出来るのでは無いかと考え直し、思い切って四月第4週から再開することにした。このコロナ、まだまだ延々と続くようで、これでは般若会そのものが、なくなってしまうおそれがある。強行再開には賛否あるだろうが、兎も角これが私の出した結論である。コロナなんかに負けて堪るか!である。僧堂修行も同様で、コロナだから止めておこうなんて事には成らない。尤も大人数の僧堂では大半の雲水を一時暫暇させて、収束を待つという方法をとったところもあるようだが,その点うちは常に密じゃないから心配は無い。人少も良いことがあるものだ。

投稿者 zuiryo : 10:42 | コメント (0)

2021年04月10日

会下(えか)の葬儀

山梨県の山奥のお寺へ葬儀に出掛けた。ここを訪れるのは十数年ぶりである。この寺の住職は嘗て鎌倉の僧堂、その後うちの僧堂で修行していた者で、また彼の父親に遙か昔、私が出家するときに相談に乗って頂いたこともあり、更に私の兄とこの者の兄と高校時代の友人でもあった。いろいろ因縁浅からぬ間柄である。以前より心臓に病気を持っており、そのために東京の名医にも定期的に診断して貰っていたのだが、突然の発作で、あっという間に死んでしまった。うちで修行している頃は、幾つも武勇伝が残っており、それでいて憎めない、独特の「人徳」を持っていた。なんとも不思議な男だった。あまりにも突然の死で呆気にとられた。かっての僧堂の同僚も何人か、遠路お焼香に来ていた。棺を覆って初めてその人の価値を知ると言うが、全くその通りで、良いところばかりが心に甦ってくる。本当に惜しい男を失った。

投稿者 zuiryo : 19:17 | コメント (0)

2021年04月08日

中庭の大木切り倒す

相当以前、中庭に日よけの木を植えた。これが大きくなって、機能的には申し分ないのだが、完成された庭に後から木を植え、それが年月を経るうち、ズンズン大きくなって、日除けには良くなったのだが、スギゴケがびっしり生えた庭にはなんとも違和感である。ついに決断、朝から掛かって夕方漸く切り倒しスッキリした。何事もそうだが、最初に作庭した人の意図を曲げて、後から勝手に木を植えると、庭が台無しになるというわけ。大汗かいた雲水には申し訳なかったが、お陰で本来の苔庭になり、目出度し目出度し!

投稿者 zuiryo : 15:34 | コメント (0)

2021年04月07日

クロ死す

午前9時、今日はクロをお医者さんへ連れて行きますので一緒に出掛けますかと言うので、丁度暇だし出かけた。この犬猫病院の奥さんは山内寺院の娘さんで、幼稚園の頃から仲良しの子だったので、久しぶりに顔でも見に行くか~っ、で、出かけた。治療は直ぐに済んで帰り、部屋に戻って間もなく、クロが死にましたと言うではないか、エエ~ッ!びっくり仰天、潤ソの部屋に行ってみると、既に息絶えていた。全く信じられないことだ。まっ、以前より相当弱っていたので、それなりに覚悟はしていたものの、あまりにも突然なことで、信じられなかった。近くの葬儀屋へ行き猫用の棺桶を買ってきて、中に納め、白菊で埋め尽くした。本堂でクロの為に二人でお経を上げた。部屋の前の庭の隅に墓穴を掘り、埋葬。まっ、お寺は葬儀に馴れているとは言え、この段取りの良さには我ながら驚いた。人生、一寸先は闇というが、本当にそうだな~!いやいやクロばかりではない、我が身も同じ事である。話は変わるが、私の弟子分の和尚がバタッと亡くなった。以前より心臓に欠陥を抱えていたので、それなりの覚悟はしていたが、あまりにも突然なことで、これまた驚かされた。愛猫クロと一緒にしては失礼に当たるが、どちらも身近なことで、人生こう言うこともあるのだな~っ。

投稿者 zuiryo : 14:35 | コメント (0)

2021年04月06日

開講

15日の入制に先立ち、開講・大般若祈祷会が行なわれた。ずっと以前は15日の入制に会わせてやっていたのだが、出頭寺院の和尚さん方への呈茶・出齋等々で、雲水は大忙し。既に早朝より入制大接心に入っているのだが、実際にはこれらの行事が全て終了してからになる。これでは本末転倒で、肝心要の雲水の修行が疎かになると考え、相当以前から入制行事と切り離す事に改めた。実際このように切り離してから、実にスムースに入制大接心に入れるようになった。今回はコロナウイルスの関係で外部の人たちはお招きしなかったので、内々だけで済ませ、少々盛り上がりは欠けたが、恒例行事は無事済んだ。外はどんより曇って、いかにも小寒い感じがする。桜の季節で春爛漫なのだが、まるで冬のようだ。

投稿者 zuiryo : 16:15 | コメント (0)

2021年04月04日

知人の死

毎朝の諸行事が終わってほっと一息ついた頃、電話があって、知人の死を知った。驚いた!彼は以前より心臓に欠陥があって、定期的に診察して貰っていることは知っていた。相当注意をしていたのだろうが、場所が場所だけに、防ぎようが無かったということだろう。私より少し若かったから、七十才半ばだと思う。年に1回、夏に挨拶にやって来る。その折り建長寺派内のことなどいろいろ聞き、話しに花を咲かせた。近年はこれが唯一の交流であった。山梨の山奥から延々何時間もかけ、わざわざ挨拶にやって来るのだから、恐縮この上ないことで、もう大変だから郵送で結構ですよと、何度か申し上げたが、律儀に毎年やって来た。人柄のいい男で、ちょっとひょうきんな処もあり、仲間内からも大変好かれていた。どうもいい男ほど先に死ぬ。遙か昔のことだが、わたしは彼の父親に、お坊さんになるとき、手ほどきをして貰った。そう言うご縁から、後年、彼がうちの道場にやって来て、私の指導を受ける身になった。思えば不思議この上ない縁である。まだ70代半ばだろう。惜しい男を亡くした。

投稿者 zuiryo : 09:52 | コメント (0)

2021年04月03日

水彩画

私の勉強机の前の壁に10年くらい前に描いた水彩画が掛けてある。当時はよく岐阜の山奥へ絵の先生と一緒にスケッチに出かけた。白鳥町二日町と書いてある。向かいの山は真っ白に雪を頂き、右側は大きな川(長良川上流)、左は畑が広がり、正面の高い山は雪で覆われ真っ白、このとき外は相当な寒さだったが、ご親切な方が二階建ての部屋を特別に貸してくれた。中はーブで温かく、大きなガラス窓越しに見える雄大な景色をスケッチした。こう言う恵まれた条件でのスケッチはまれなことで、大抵は寒さに震えながらとなる。今回はご厚意に恵まれ良い条件の下で描くことが出来た。まっ、私の絵の中では上出来で、だから部屋にこうしてづ~と飾っているというわけである。絵を眺めていると、もう10年以上前のことだが、その時の様子がはっきり甦ってくる。絵は下手っぴ~でも、二時間くらい掛かって描いたものだから、いまだにその時のことが鮮やかに甦ってくる。

投稿者 zuiryo : 18:29 | コメント (0)

万事シブチンで・・

副司さんの話では、近頃お寺の会計は酷く逼迫しているようである。一体何時からそうなったのか、聞いてみると、1年くらい前に遡って、あの件、この件等々で、結果超貧乏になった。まっ、確かに言われてみれば、不用意に多額の寄付をしてしまったり、思わぬ土砂崩れが発生し、その修復工事に多額な費用が出たりと、まとまって大きな金額の支出が発生した。結果気がついてみれば超貧乏になっていたといわけである。出ていったものは取り返すわけにはいかないので、これからは緊縮でゆくと決めた。お寺の場合は商売で稼ぐのと違って、ほぼ元手いらずで、丸々入ってくるので、万事に脇が甘いのだ。長年の甘さがここへ来て一気に出た。これがもし商売屋さんだったらもうとっくに倒産である。いずれにしても一つ一つよくよく財布の中身と相談しながら、シブチンでやってゆこう。

投稿者 zuiryo : 09:19 | コメント (0)

2021年04月01日

除夜の鐘の見直し

十二月の行事を今から考えるなんて、余程暇なんだね~っ!と言われそうだが、私の頭はいつもグルグル回っていて、8ヶ月後のことだろうと、何だろうと、思い立ったときにすぐ役位の者に考えを言っておく。さて、近年うちの寺の除夜の鐘を参詣人に撞かせることが評判になって、31日夜は長蛇の列が出来る。多くの人に喜んでもらえるのはそれ自体は悪いことではないが、ボンボン焚き火をしたり、甘酒を温めて飲んで貰ったり、鐘を撞くところには一人指導役が張り付くわで、僧堂中大忙しになる。連日年末大掃除が続き、ヘトヘトになっている雲水にはかなりの負担である。そこで今年からこれを見直し、外の方々には一切撞かせず、雲水が一人で百八つ撞く本来の姿に改めることにした。ある信者さんで、お寺には大変力になって下さる方が、除夜の一大イベントとして、この方法を考えられた。まっ、それは悪いことではないが、僧堂の雲水の側から見れば有り難迷惑である。そこで、この際、従来のやり方を改め、本来の姿に戻し、殿司が一人で撞くことにする。物事はちょっと油断すると変な方向に行ってしまうものである。。

投稿者 zuiryo : 13:49 | コメント (0)