2021年04月20日
講座
講座は大接心中毎日、その外の時は2・7・5・10にする。ただし日中は作務や信者さんへのお経詠みがあったりで、思うように時間が取れないので、晩開板後にしている。こうすればきちんと講座ができる。私の仕えた二人の老師は講座が嫌いで、なるべくさぼろうとした。雲水の時これに腹が立っていたので、今度は自分が提唱する側になったときは、決してさぼらず、決められた日はこのように時間配分を考えて必ず実行している。反面教師だ。つまり講座は講本にしたがって話すわけだが、お坊さんとしてまた修行者としての自分の矜恃を披瀝する場だと思うからである。雲水は何を目的に道場で修行するかと言えば、自分が仕える老師の修行者としての境地を自分に取り込むためである。その為の大切な機会を師家の勝手でさぼるなどもっての外である。
投稿者 zuiryo : 2021年04月20日 19:38