« 2021年07月 | メイン | 2021年09月 »
2021年08月31日
8月も終わり
暑い暑いの連続だった8月も今日で終わり、明日から9月だ!と思っただけでも、酷暑が和らぐような気がしてくる。ただボ~ッとしているうちに、8月は過ぎてしまった。岐阜へやって来て既に38年になるのだが、この暑さには未だに馴れない。やって来た当座、何年かは、酷暑の8月が過ぎて、やれやれ明日からは9月、ほっとして気が緩むのか、原因不明の倦怠感に襲われ、しばらくボ~ッとしていたことがあった。お陰様で、近年は酷暑免疫が身について、何の不都合も起こらずスイスイとやり過ごすことが出来る。何事も経験の積み重ねである。ふっと思い出したのだが、相当以前のこと、毎年8月はロンドンの禅堂へ接心のお世話に出かけていたことがあった。あちらは涼しいのを通り越して小寒いほどで、こう言う夏も嫌だな~っと思った。矢張日本人は汗をタラタラ流すこの蒸し暑さが良いのだ。小さい頃からこれが身についているのだから・・・。以後は有り難く大汗かいて過ごすようになった。
2021年08月30日
葬儀
今日は午前11時50分から檀家の葬儀がある。先方のご希望で極めて小規模で・・・、ということで、雲水と二人で出かける。葬儀場の飾り付けも実にシンプルで、鳴らし物などなく、お参りする方々も身内のみ、ひっそりした葬儀である。これも近頃の流行りで、なるべく周りに迷惑掛けずに身内のみで行なうと言うわけである。普段から周囲とのお付き合いも殆どなく・・・、ということ、今やこれが普通になった。元来、この地方では大々的に行なうド派手な葬儀が当たり前だった。最近のこの家族葬流行りには驚かされる。こう言うのもその時々の風潮のような物があって、今はすべて縮小が大流行というわけである。別にお寺の方はどちらでも良いので、会場を提供する葬儀屋は、もう少し派手にやって貰えないなかな~っと思っているかも知れないが。葬儀に限らず、万事にド派手スタイルはなくなってきた。ところで話は変わるが、近くの公園で、野良猫が集合し、近所の方々が可哀想だというので夕方餌をやっていた。しかしこれが極めて評判が悪くなり、あなた方のような人が居るから野良猫が増えるんだ~!というわけで、野良に餌もやりにくくなった。困ったのは野良猫たちである。或る日を境に、当てにしていた餌を貰えなくなったのだから。通りがかりに、お寺にお出で!と声を掛けたら、声を掛けたネコはやって来ず、隣でそれを聞いたネコがやって来るようになった。爾来毎日やって来て美味しそうに餌を食べ大満足で帰って行く。
2021年08月29日
数十年ぶりの昏鐘
目下制間で雲水の殆どは暫暇中で、極小スタッフ。そこへ更に通夜が入り、そっちに人手を取られ、ついに私が初めて昏鐘を打つ事になった。雲水にどういう段取で打つのか、お経はどうするのか等々、教えて貰い、ドキドキしながら夕方を待っている。雲水の沢山居る僧堂では考えられないような話しだが、だからといって私は別段どうっつ事はない。修行道場なのだから、何でもやらせて貰うのは当たり前のことである。遙か昔、私が小僧だった頃、師匠が話をしてくれたのだが、雲水極小のある僧堂で、昏鐘はいつも其処の道場の老師が撞いておられたそうだ。ふっとその話しを思い出し、あっ、現在のうちがその通りだ。老師と言っても元は雲水、隠寮にふんぞり返っているばかりが能じゃない。一番嫌なのは、「特別な人」のように勘違いして、ふんぞり返って、矢鱈横柄な態度をしたり、上から目線でものを言う、こう言う輩は横っ面張り飛ばしてやりたいと思っている。
2021年08月28日
ふっと、ロンドンを思い出す
どういう風の吹き回しか、今日ふっとロンドンを思い出した。私の外国旅行で一番沢山行った事がある所で、特に友人がロンドン郊外に坐禅堂を持ち、定期的に何人かの会員に坐禅指導をしていたので、毎夏出掛けて行った。何年間か続いたが、その内、何となく消滅してしまった。爾来ロンドンはとんとご無沙汰続きだったが、昨年姪っ子とその子供がロンドンへ行きたいというので連れて行った。何年かぶりだった。丁度泊まったホテルのきわの公園の反対側で、以前泊まっていた宿があり、その時大の仲良しになった宿の茶色の猫、その後どうしているか会いに行ったが、残念ながら既に死んでしまった。近年は親しかった友人とも、何となく疎遠になり、また長時間の飛行機も体に堪える。それやこれやで、とんとご無沙汰である。遠い外国旅行は体力勝負という面もあるので、やむを得ぬ。
日々バカに・・
今は特に制間と言う事もあって、講座などの行事もなく、まっ、暇で良いのだが、余り暇すぎると人間馬鹿になる。それならこの機会に精々堅い本でも読んで、頭の体操をすれば良いのだが、部屋でじっとしていても汗がたらたら流れるような暑さの中では、ドテ~ッと無為に過ごすことが多い。これじゃ~いかん!しかし解っちゃいるけど、シャキッ!とできないこの不甲斐なさ。人によると、来客引きも切らず、或いは出向 、或いは墨蹟書きと、寸暇を惜しんで大活躍という方も居られるようだが、私の処は猫の子一匹やって来ない。空いた時間を有効活用できていなのだ。早い話が、向学心に欠けているわけだ。そう言う自覚があるのなら、何故努力しないのか!となるわけだが、この繰り返しでこう言う馬鹿になっちゃった。目の前の本棚に、「老人力」というA師の本が置いてある。これでも読んで、一寸はパワ~付けるか!と思った途端、まっ、どうでも良いや~!でお仕舞い。
2021年08月23日
オンライン
コロナ禍、知人の主催する会などは、大きな影響を受けているようである。その活動は直接皆が会って話しを聞くという会だからで、この危機にどう対処してゆくかは試練である。結局オンラインで会員組織の維持・普及に努めているようである。組織が大きくなればなるほど大問題で、ご苦労が忍ばれる。うちのようなこじんまりしたところでも、すべての集まりがなくなり、超ヒマになった。それに伴い大幅収入減に見舞われ、会計は逼迫、徹底的に質素倹約に勤め、出すものは舌も出すな!と命じているような次第。だからといってオンライン で・・・と言うわけにもゆかず、ただ静観するのみである。世の中コロナの影響を受けないところは無いのだろうが、早く収束して欲しいと願うのみである。ところでこの雨の降りしきる中、野良猫の「シュウユウ」ちゃんが、餌を求めてやって来た。この猫、野良とは言え、嘗て何処かで飼われていたらしく、そこはかとなく品がある。その後どういうわけか知る由もないが、結果野良になっちゃった。いつもは餌を食べたら直ぐに何処かへ行ってしまうのだが、この激しい雨の中、濡れ縁でうずくまっていた。その濡れ縁もしぶきで濡れてしまうほどなので、ガラス戸の中へ入れてやった。その雨も止んで、お日さんが出て来て、急に蒸し暑くなった。
2021年08月22日
日々の運動
老齢化すると自然に体を動かすことが少なくなる。そこで意識して運動するように心がけなければならぬ。ただ漫然と日を過ごしていると、「置物」になってしまい、はっと気がついたら、寝たきり老人である。私も80才目前となり、愈々老化の門口に佇んでいる。私の師匠は実にまめな人で、常に動き続けておられた。こう言うタイプの方は日常が既に運動になっているようなもので、日々溌剌としているが、私の場合は、訪ねて来るような人も無く、終日ジ~ッとしているだけで、これじゃ~まずいことになる。そこで近くの公園へ出掛けせっせと歩いてみたがどうも膝が痛み出したので止めた。それではと言う事で今度はスポーツジムのプ~ル歩きを続けている。この欠点は、フアフアクラゲのように浮いた居るだけで、運動している~ッ!と言う実感が湧いてこないことである。一寸やってはこれや~駄目だ!の繰返しばかり。要するに私は何かと理屈が多過ぎるのだ。
2021年08月19日
睡眠時無呼吸症
先日一晩入院して、睡眠中の無呼吸状態を計測する検査をした。この検査は通称車検といって、3年に1回くらいの割合で一晩泊まりで検査入院をしなければならない。きょうその結果発表の日で、診察に出掛けた。結果は以前と余り変わらず、1時間あたりの無呼吸・低呼吸回数は正常が5以下なのに、26,7である。ガックリ来た。その外の数値もすべて芳しくなく、これから以降も睡眠時は強制的にポンプで空気を送り込む装置を付けて寝なければならない。厄介といえば厄介な装置だが、もう何年も装着しているので馴れてきて、殆ど邪魔にはならない。それはそれで良いのだが、何処か遠方へ出掛けて一泊というのが困る。装置一式持参になるので、結構な荷物である。だから泊まりがけは出来るだけ避けるようにしている。まっ、物事はすべて慣れで、もう十年以上毎晩装着して寝ているので、外したら却って寝にくい。習慣とは恐ろしいものだ。
2021年08月18日
能力
人間にはそれぞれ器の大きさがあって、努力しても精々その器の分だけで、それ以上には絶対なれない。そんな言い方をされたのでは、これからガンバルゾ~っと思っている人には申し訳ないが、しかしこれは事実だ。故に自分の分際を知るという事である。知って足らざるに気がつき、更に努力をし続けることである。高慢に成ったり、努力を怠れば、与えられた小さな器さえ満たすことが出来ず、安っぽいところで自己満足して恥を天下に晒すことになる。謙虚という言葉があるが、人間、この謙虚さが何より大切である。良い巡り会いに遭遇すれば、その人の持っている以上のものが輝きだして、幸せ街道まっしぐらとなるが、悪に巡り会えばその先は惨憺たる様相を呈することになる。そのどちらも自らが選んだ道であり、後始末は自ら引き受けなければならぬ。そういうことも含めて、その人の能力と言える。
2021年08月16日
盗癖
人のお金を矢鱈盗みたくなる病気がある。始め知らないうちは、バッカな~!そんな人間が居るものか~っ、と思っていたが、被害者になって初めてそう言う精神病があることを知った。世の中には色々変わった人が居るものだが、これなどは大変困った精神病である。まあ、特別生活に困ってやむに止まれず悪いこととは知りながら・・・と言うのなら解るが、お金に異常な執着心を持っていて、現ナマを見ると、はっと気がついたら盗んでいた、と言う一種の精神病である。こう言うのは普通、表面的に表われることがないので、余計始末が悪い。エエッ!あいつが~ッ!というわけである。だから周りの者はよくよくそれを承知しておいて、油断なく対処しないと、やられてしまう。世の中、思いも掛けぬ事柄はあるものだが、この病気はなかなか厄介である。
2021年08月13日
芸術家
まっ、我々の仕事は、朝早く起きるのが唯一の特徴で、後はボ~ッと過ごしていることが多い。忙しく働いておられる世間の方々には、本当に申し訳ないと、いつも心に重たく感じている。知人で日本画家がいる。常に新たな作品を生み続けなければならない。当に崖っ淵に佇んでいるようなもので、その大変さは想像に余り有る。無から有を生み出す苦労で、傍から見ていても、こう言う人生を選んでしまった因果を察し、心からご同情申し上げている。経験を積みその世界で頭角を現すようになれば益々厳しい目に晒されるわけだから、生きている限り、頑張り続けなければならない。だからいつも謙虚で、我が身を振り返り、精進し続ける。でなければ厳しい世間の目に堪えてゆくことは出来ない。大御所などと評判されるようになればなるほど謙虚さは増す。その一方で我々の世界はこの反対で、ちょっと地位が高くなると、本来そんな肩書きは夢幻なのだが、その幻にしがみついて、ふんぞり返っている。見苦しいったらありゃーしない。まっ、人様のことは良いとして、自分だけはそう言う見苦しいことにならないよう、一層精進しようと思っている。
朋遠方より電話
今朝、親しくしている方から、電話を頂いた。近年奥さんを亡くし、独りぽっちに成ってしまい、心機一転、転居された。その転居先が、嘗て高校時代大変お世話になった先生の住んで居られたところで、偶然の事ながら、懐かしくなった。そんな思い出を書き添え手紙を出したので、N師がわざわざ電話を下さったというわけである。勿論私が知っていた頃のその地域と、今では多分全く違ってしまったと思うが、遙か60年も前、岐阜へ旅立つ前日、お訪ねし、お別れの挨拶に出掛けたとき、先生は言下に、「清田は結局、湘南高校に負けたんだな~!」と言われた。普通なら遠いところへしかも全く違う環境の所で、一人生き抜くと言う事は並大抵の事では無いことは重々承知して居られるのだから、体に気を付けて頑張るんだぞ~ぐらいの激励が普通だと思うが・・・、しかし先生から頂いたこのはなむけの言葉は、以後私の苦難を支える杖言葉になった。そう言う懐かしい思い出の籠もったところへ、偶然の事ながら、同じ場所へ転居され、遙か昔を思い出したと言うわけである。
2021年08月12日
キミ、おばあちゃん
嘗て僧堂で修行していた頃、門前の寺のお庫裡さんだった方が、その後いろいろな事情で、現在は娘さんと一緒に暮らして居られる。元気な頃はうちで計画した海外旅行などにも参加されたり、また瑞龍寺で行事があると、必ず出掛けてきて台所のお手伝いや庭掃除などをして下さった。多分もう90才は超えて居られると思うが、律儀にお中元やお歳暮を贈って下さる。頂く度に色紙と一緒に手紙を添えて出して居たのだが、急に声を聞きたくなったので、今日電話してみた。声は以前と少しも変わらず、元気いっぱいなので安堵した。僧堂はこう言う奇特な方々に支えられて成り立っている。本当に有り難いことである。
人を見たら・・・
人を見たら泥棒と思え、などという変な言葉もあるが、普通はそんなことはない。99パーセントほとんどが善良な人たちである。だから世の中もそう言う前提で出来ている。しかし希に盗癖という一種の精神病だと思うが、常識では考えられないような人間もいる。外見上は普通人だから、見極めがたい精神病である。澄まして金品をかすめ取る。人間社会、そう言う特殊な、精神病があるという前提では出来ていないし、更に難しいのは外見では全く解らないと言う事である。まさかあいつが~?しかし本当にそう言う奴がいる。もう何年か前になるが、会計担当の役を与えていた者が、数十万円をかすめ取った事件があった。捜索にやって来た刑事二人が、調べて間もなく、和尚さん、これは内部犯行ですよ!と言うではないか。現場はいかにも外から泥棒が侵入して荒らし回った末、盗んでいったとしか思えないのだが。それを聞いた途端、直ぐに誰がやったのかは解った。しかしこんな事で傷をつけたら、もう一生浮かばれない。その男の人生はすべてパ~!だ。瞬間そう感じて、捜索はもう結構ですお引き取り下さい、と低調に申し上げて、引き上げて貰った。しかしこの判断は結局間違いだったと言う事が解ってきた。その後のこの男の行動を見ていると、矢張あのとき罰すべきだったと思っている。今頃思ってももう遅いのだが、安っぽい同情は却って人を誤らせる。僧堂師家も人の子供を預かって修行させてゆくのが仕事だが、中にはこう言う考えられないような悪もいるわけで、難しいな~!と改めて思った。
2021年08月09日
オリンピックも無事円成
コロナの蔓延等々、色々あったオリンピックだったが、無事円成で何よりだった。個人的にはさして関心も無く、テレビにかじり付いて見ると言うほどでもなく、テレビを付けたらたまたまやっていた競技を、漫然と見てるだけ、まっ折角日本で開催されているのだから、一応見て置こうか~と言う程度。開催当初からコロナの蔓延、すべて無観客開催等々、異例づくめで、関係者はさぞご苦労の多いことだったと思う。兎も角無事円成で何よりだった。無観客では収入はゼロで、この機会に一稼ぎと目論んでいた関連業者もすべてパ~!踏んだり蹴ったりとはこの事だ。史上最悪の開催になってしまった。すべてはコロナのせいで、日本国中で盛り上がるはずが、すべてはパ~。史上最低のオリンピックになってしまった。間が悪かったということである。世の中はいろいろなことが起きるものだが、特にオリンピックを目当てに満を持していた関連業者は、お気の毒と言うほかない。そのお気の毒の額が半端じゃない。国全体としてもものすごい額の投資をして、その見返りなしでは堪ったものではない。世の中、理不尽な事は沢山あるものだが、史上最悪の理不尽だったと言える。
2021年08月08日
休息日
本日は休息日。昨日酷暑の中、終日近くのお寺へ荷担し、ヘロヘロになって帰ってきた。今日は一日骨休めの日である。雲水は若いから過酷な荷担にも耐えられるが、もう私の年齢になると万事無理が利かぬ。骨董品のようなものだから、壊れないようにそっと扱わないと直ぐに駄目になっちゃう。僧堂はこれでしばらくは通常の日々で、13日から信者さんへ棚経に回る。猛暑の中、まっ、この時期、何をするにしても楽なことはない。一方、私はほぼ部屋でじっとしている事が多いので、申し訳ないな~と思う。勿論私も雲水修行時代は、今の雲水同様に、酷暑の中、大汗かいて荷担に出掛けた。つまり卒業したと言うわけ、てな事を思いながら、汗ふきふき部屋籠もりである。
2021年08月07日
荷担
雲水は、今朝3時半に起きて、直ぐに車で30分ほどのお寺へ、盆荷担に出掛けた。沢山のお檀家がある寺で、お施餓鬼に合わせて、お墓参りの方々がドドット押し寄せるらしい。墓地の脇で待機して、「和尚さ~ん、こっちお願いしま~す」と、声を掛けられたら、駆けつけて墓経をよむ。これが次々で、炎天下だから大汗掻く。備え付けのペットボトルの水をがグビグビ飲みながら・・、続く。これがひと当たり終わると本堂施餓鬼会の手伝い。大汗掻いてヘロヘロになって、夕方帰ってきた。本当にご苦労さん!私は雲水時代にこの寺の荷担経験は無いので、話しとして聞くだけだが、相当ハ~ドのようである。熱中症にならないよう、くれぐれも申し渡して置いたが、今年も無事に帰ってきたので、ほっと安堵した。夏場の暑い経験は僧堂時代にいやっ!と言うほどしたので、今ではすっかり怠け者になって、涼しい格好でダラ~ンとして、酷暑をやり過ごしている次第。申し訳ない!
2021年08月05日
朴葉餅(ほうばもち)
今日、知人から朴葉餅を頂いた。この時期のお菓子で、葉を広げると朴葉の香りがほのかに漂い、あ~っ、この季節になったんだな~と思う。柏餅は皆さんどなたでもご存じだろうが、朴の葉で包んだ柏餅のようなもので、この時期になると必ず食べるのである。すっかり忘れていたら知人が持ってきてくれた。ほのかな朴の葉の香りを嗅ぎながら食べると、一層季節を感じる。ところで、この頃、まあ暑いったらありゃ~しない!日中はほとんど脳みそが働かなくなる。ただボ~ッと息してるだけ。それでもお腹はすくので、飯だけはバッチリ食う。故に夏太り!となる。最近は各所の年中行事がこのコロナの影響で、内輪でやりますので・・・、と言うわけで益々暇になった。動かないから悪循環でさらに夏太りに拍車がかかる。
制間放行
恒例の制間、一泊二日の放行も無事済んで、漸く通常に戻った。相変わらず酷暑は続くが、まっ、これはいつものこと、しばらくの辛抱である。それにしてもこの暑さ!目の前の板塀の屋根瓦を見ていると、よくぞとろけずに頑張ってるもんだなあ~と、褒めてやりたいくらいだ。じっとしていても汗がじわ~っと吹き出てくる。早く秋風が吹かないかな~と思うが、まだしばらくは辛抱しなければならない。苦寒と言う言葉があるが、苦暑とは言わない。つまり暑いときはドタ~っと伸びてりゃ~良いって事か。僧堂修行で冬の寒さも辛かったが、この暑さも別な意味でしんどいものだった。万事にやるぞ~っ!なんて気持ちは湧いてこない。まっ良いか~っ、になってしまう。まあそうガタガタ言わなくともやがて秋風が吹いて木枯らしも吹いて、嫌でもビシッとする。それまでの一寸一休みである。
2021年08月02日
バカの壁
バカに生まれたのは本人の責任ではなく、親に問題がある。親には特別問題が無いのにバカなら、全面的に本人の責任である。思うに生れてくるまでに能力の大半はできあがっていて、努力で得られるのはほんのちょっとで、だから自分は何でこうもバカなんだろうと感じたら、親を恨んだ方が良い。こんな事を言われちゃ~親は浮かぶ瀬もなしだが、しかしこれは本当のことだ。だからこのバカの壁を突き破るのは並大抵のことではないのだ。ほとんど不可能と言って良いくらいだ。それでも人間努力を続けさえすれば乗り越えられない壁はないとも言う。まあ確かにそうには違いないが、その努力するというのも才能のうちの一つなのだから、結論から言うと、このバカの壁は破ることは出来ないのである。クドクドお前は一体何を言いたいのだ!と言うことになるが、人間バカに生れたくないな~と言う事だ。つまり、自分はバカだな~!と心に深く思うことが出来る能力を得ることである。
2021年08月01日
8月制間放行
毎年、夏の制間になると、雲水は1泊2日のミニ旅行に出掛ける。当然費用は僧堂持ち、1制中、ご苦労さんという骨休めの旅行である。人少の弊場では、万事に大忙し、猫の手も借りたいくらいで、ボ~ッとなんかしてられない。連日息つく暇も無いという状態である。そこで年1回のご苦労さん会である。以前、私が若かった頃は、1泊2日の登山へ出掛けた。随分周辺の山登りをした。富士山なども何遍登ったか知れない。大半は登り尽くし、その内私が老齢化して、ヘロヘロになって、この登山も自然消滅した。しばらくは個々の2夜3日弁事だったが、近年は車を出して、ミニ慰安旅行に変化した。猫の手も借りたいくらいの忙しさの毎日で、だからせめてものご苦労賃ということで、費用こちら持ちで、神社仏閣を巡る慰安旅行となった。唯一心配は交通事故で、まっ、今までは事故もなく無事に来たので、今回も無事を祈っている。