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2021年09月12日

知人の死

知人が死んだ。個人的には色々お付合いがあったのだが、さりとて、とても親しく・・と言うほどでもないので、後から知りまして・・・と、わざわざお宅にうかがって、お悔やみを申し上げお経でも読んでと言うことも躊躇され、そのままになっている。こう言うのって、なかなか判断が難しいものである。大変温厚な方で、うちの定例座禅会の会員でもあり、また習字教室にもせっせと通われ、お稽古中のお喋りでも、多趣味な様子が窺われた。それで押しつけがましいところなど毛の先ほどもない、人間としての品性の良さが伝わってくるような方だった。大体こう言う方から先に死んで、あの野郎、トットト死にゃ~がれ!というような者は何時までもピンシャンしている。こんな事を言うと、ジャ~、俺は何時までも元気だから、人から恨み倒されているのかよ~っ!、と心配になるが、そういうわけじゃ~ない。兎角良い人ほど、惜しまれつつ早死にするものだということである。こう考えると人の一生は実にはかない。飯の上端(うわば)の湯気のようなもの、と良く言われるが、本当にその通りである。私だって、何時死ぬか解らない。明日かも知れないのだ。だから、悔いない人生を一日一日しっかり生きようと改めて思った次第。

投稿者 zuiryo : 2021年09月12日 10:23

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