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2021年10月31日

国政選挙

午前中、雲水に車に乗せて貰って、選挙の投票に行ってきた。本当は辞めておこうと想っていたのだが、皆行くというので、ついでに車に乗せて貰った。投票所は閑散としていていた。此の区は毎度有力者が出て、絶対的支持を得ているので、ほぼ当選は決まったようなもので、全然面白くない。矢張選挙は、鍔迫り合いをするから良いので、でなかったら、投票する気も起こらぬ。とは言うものの、投票は国民の大切な権利だから、疎かにしてはいけない。てなことを思い、渋々出掛け貴重な一票を投じてきたというわけ。ところで今日は矢鱈良い日和で、居室はまるで温室のよう、これじゃあ、馬鹿になる。それなら裏山でも歩いて一汗流すか!と張り切ったが、草臥れるから辞めておこう、となって、結果ドタ~ッ!で、お仕舞い。根本から伸びきっているので、これじゃ~駄目だ。尤も80才目前の爺だから、まっ、こんなもんだ!

 

投稿者 zuiryo : 14:08 | コメント (0)

2021年10月30日

烏合の衆

規律も統制もない単なる群衆を烏合の衆という。僧堂も管理者がボ~ッとしていれば、たちまち烏合の衆となる。まっ、人のことを悪口言うのは余り褒められたことではないが、そう言う例を目の当たりにしたことがある。つまりそう言うリ~ダーは、そもそもそう言う地位に就くべきではないのだ。もしこれが世間の経営者なら、企業はたちまち倒産して消滅するが、寺院の場合は様々な保護を受けているお陰で、何とかやって行けてしまう。看板に偽りありだ。しかしこう言う中味のことは外からは窺い知れないから、何十年もそんな出鱈目が罷り通ってしまう。罰当たりも良いところだ。当事者達はのほほんと、これで何処が悪いんだよ~ってなもんだ。開いた口が塞がらぬ。他からの批判のないことを良いことにして、胡座をかいているのである。人には能力差があるので、結果こうなってしまったのだろうが、そもそもそう言う輩は指導者になるべきではない。にもかかわらず成ってしまった、此処が一番の問題である。そう言う采配を振るった人がいるのだろうが、その人が一番悪い。更に言えばその地位に就いてから、本人の精進努力が足らない。これは当事者の罪である。様々他人の悪口を書き連ねたが、まっ過ぎ去ってしまったことは仕方がない。そういうことにならないようにしてゆかなければならぬ。それは私の責任である。

投稿者 zuiryo : 10:40 | コメント (0)

2021年10月29日

開講

今日は開講、普通なら山内始め近隣の会下和尚がやって来て、午前中初の講座・引き続き大般若祈祷、その後会食となる。しかしコロナ下、外からの参加はすべてなし、内輪の雲水のみで行なう。少々寂しいが、これも仕方がない。兎も角今日から冬期の本格的修行の始まりで、制間気分と決別である。朝から良い天気で、入制日和である。行事としては内々でこじんまりで、やや寂しい感じはするが、別にお祭り気分の行事ではないので、雲水個々が冬期修行をどれだけ頑張るか、決意の日でもある。ふっと雲水時代のことを想いだした。いよいよ入制だな~っ!と、特別な緊張感がみなぎり、背筋がピンと伸びるような気分だった。雲水はいつも溌剌としていなければならぬ。その大きな節目の行事なのである。

投稿者 zuiryo : 10:03 | コメント (0)

2021年10月28日

年寄り臭い

人間老齢化すると、周囲もそれと共に老齢化するので、どうも辛気くさい話ばかりになって困る。そう言っている自分がそもそも爺で、存在そのものが辛気くさいのだから、人のことなど言えない。まっこれらすべてを含めて、これが老化ということなのだ。私の場合は僧堂にいるので周囲は若い雲水ばかりだから、ヨボヨボなんかしてられない。お陰で気持ちだけは若さを保っている。日常の話でも、これから世の中に出て、大いに働こうと思っている雲水なので、私もそれにつられて、若い気持ちでいられる。とは言うものの、私も80才に手の届く年齢になってしまった。世俗なら、もうとっくにお払い箱だ。宗教界は骨董品に似た体質で、古びると何となく価値があるように思われる。それを良いことにして、矢鱈幾つになっても頑張る人がいる。実際は中味も古びて、余り使い物には成らないのだが。人のことを言ってる場合じゃない。お前さんもそうだ!

投稿者 zuiryo : 10:04 | コメント (0)

2021年10月27日

一陣の風

このところお互いあっちが痛いの、こっちが痒いのと、典型的老化現象に悩まされている話ばかりである。まっ、年相応と言う事なのだろうが、知人友人は老人ばかりに成ってきた。尤も私の周囲には若い雲水がいて、いつもそういうのを相手にしているのだが、雲水は専ら修行のことだけで、個人的なことなど話題にすることはない。ついこの間まで元気いっぱいだった人が大病に冒され、闘病生活を余儀なくされている話などを聞くと、明日は我が身だと感じガックリくる。一世代前なら、私の年齢を聞けば、まっボツボツ人生終末期を思うのが普通のことだった。ところが近年やたら寿命が延びてきたので、いま死んだら、ま~っ、お早い!となる。早かろうが遅かろうが、人間いずれは死ぬので、いつ死んでもそれがその人の寿命と言うことである。当り前のことをたいそうに言うようだが、人間は欲の塊だから、そう素直には思えないのが正直なところである。一陣の風がス~ッと通り過ぎるように、死にたいものである。

投稿者 zuiryo : 10:50 | コメント (0)

2021年10月20日

トロ頭、深刻なり

既に何回かトロくなったドタマについては書いてきたが、最近それが相当深刻な状況を呈してきたのだ。さりとてこれを治す方法も無く、お手上げである。まっ、大らかに考えれば、年相応と言えなくもないが、私より更に老齢の大先輩方が、シャキシャキして、活躍されている姿を見るに付けても、トホホッである。最近はどうも此の手の話が多くなり、益々ガックリくる。それなら書くのも思うのも止めれば良いじゃないかとなるのだが、そうならないからなお困る。トロイトロイ!の連発銃だ。話は変わるが今日午前中、車で1時間ほど離れたところに住職している弟子が、全身マッサ~ジのために、やって来てくれた。強烈揉みで、ヒ~ヒ~悲鳴を上げるのだが、情け容赦無く揉みまくるのだ。後はスッキリ!誠に気持ちが良い!来るだけでも容易なことじゃないのに、私のことを気に掛けて、やって来てくれる。本当に有り難いことである。

投稿者 zuiryo : 16:10 | コメント (0)

2021年10月17日

朋遠方より来たる

表題の如くなので、平生は殆ど使わない部屋を皆で大掃除した。ピッカピカに磨き上げて、ドント来いてな具合で、待ち構え、小さなチリ一つ落っこちていないように目を光らせて点検した。さてボツボツ駅まで迎えに行こうかと、今や遅しと身構えていたら、日程表を改めてみたら来週の話しだった。ガックリきた。愈々私の頭もパ~ッ!急に全身から力が抜けた。同時に頭のトロサに唖然とした。いつから私の頭はこうなっちゃったのだ!良くある話しと言えなくもないが、近頃こういうことが頻繁に起きるのだ!誰でも老いればこう成るのかも知れないが、目の前真っ暗。トホッホッ!である。

投稿者 zuiryo : 13:32 | コメント (0)

2021年10月16日

大掃除

近々友人が泊まり掛けでやって来るので、皆で内外大掃除をした。こう言う事でも無かったら殆ど使わない部屋なので閉めっきりである。そこで空気の入れ換えをしたり、雑巾掛けは勿論のこと、ガラス磨きをしたりで大忙しであった。まっ、たまにこういうことで部屋を使わないと、建物のためにも良くないので良い機会であった。部屋を綺麗さっぱりにして、改めて眺めると、なかなか良い感じである。ついでに私の部屋の洗面所付近も整理整頓して貰った。出てくるわ出てくるわ、どうでも良いようなものが山ほど出て来た。これらもすべて処分しスッキリしたのなんのって、気持ちが良いったらありゃ~しない。時々こうして人がやってきて呉れると、ほったらかしの所が綺麗になって良いもんだ。

投稿者 zuiryo : 20:58 | コメント (0)

坐終会終了

40年前私がこの寺にやって来たときに既にあった座禅会と、その後信者さんからの要望で立ち上げた座禅会と、二つの座禅会をそれぞれ月2回開催で続けてきた。と言うことは毎週座禅会を開いてきたと言う事である。しかし今回二つとも閉じることにした。理由は色々あるが、負担になってきたのである。勿論開催し続けるのが一番良いのだが、僧堂は本来、雲水が修行する道場で、本来の修行に影響が出てくるようなのは止めたほうが良い。参加者の方々からは残念至極と言われたが、これも仕方の無いことである。私は坐禅の後、話しをすることから解放されて、こんな嬉しいことはない。参加者からはそれが楽しみなんですと言われるが、話しをし続けなければならないこっちの身にも成ってくれ。まさに地獄の責め苦であった。良くもこの地獄に耐え続けてきたもんだと、自分を褒めてやりたいくらいだ。これも一つには老齢化の影響だと感じている。既に80才、耄碌爺に成り果てたのである。今まで良くも頑張ってやり続けてきたもんだ。始めあれば必ず終わりありだ。

投稿者 zuiryo : 11:03 | コメント (0)

2021年10月12日

コロナ禍

知人で或る大きな組織を抱えておられる人がいる。コロナ禍、定期的な会合も出来ず、大弱りだという。確かに、しばしば会って、交流しながら成り立っている会だから、これがなくなると手足をもぎ取られたようなもので、組織の維持に腐心されている。うちのようなお寺でも、法事などめっきり減って、目下緊縮財政で、何とか乗り切っていると言う状態である。世の中皆こういう風で、じっと、息をひそめて、早い回復を願っている。尤も良いこともある。外出が減って、うちに居ることが多いので、コツコツ勉強するのには誠に良い。何事も良いように解釈して前向きに生きなくっちゃ~。

投稿者 zuiryo : 19:17 | コメント (0)

2021年10月09日

着物展

友人の友達で、着物作家がいて、関市で展覧会が催されているので、見に行ってきた。折角の展覧会なのに、見に来ている人は我々三人のみであった。私は着物については全く知識は無いが、どれも素晴らしい作品で、圧倒された。これほどのものなのに、だ~れも見学者はいないのだ。作家はどれだけ精魂込めて一つ一つ作ったか知れないのに、その感心のなさに悲しくなった。勿論私もたまたま友人が誘ってくれたので見ることが出来たのだが、そうでなかったら、目にする機会はなかった。持つべきは良き友人である。人の縁の有り難さをしみじみ感じた。世の中にはこういう風に、一般には殆ど知られず、しかし精魂を込めて、コツコツ努力して作り続けている人がいるのだ。これを目の当たりにして、我々の修行も丁度同じだな~と思った。この何十年に及ぶ努力の積み重ねが尊いのだ。


投稿者 zuiryo : 16:30 | コメント (0)

2021年10月08日

単細胞人間

体中何処かに異変はないか調べて貰った。全て異常なしのお墨付きを頂き安堵の胸をなで下ろした。80才目前の爺いでは、何があっても不思議ではない。転ばぬ先の杖、毎年1回は体中を点検して貰っている。かつての同級生で、もう何人も他界した。思うに、大体優秀な奴ほど早く死ぬ。その理屈で行けば、私なんぞはまだまだ相当長生き出来ると確信している。とは言うものの、そこはそれ心の弱~い人間だから、内心ビクビクしているのだ。すべて異常はありません!と、お医者さんのお墨付きを頂けば、鬼に金棒、体中からもりもりと自信が湧いてくる。つまり、単純なのだ。しかし安心くらい素晴らしいものはない!人間いろいろで、非常に密度の濃い心を持った人もいれば、私のようにスカスカ人間もいる。だから混ぜ合わさって、程よい人間関係ができるのだろうね~っ。

投稿者 zuiryo : 14:53 | コメント (0)

2021年10月05日

開山宿忌

午後4時から開山毎歳宿忌で、普通なら山内はじめ何人か出頭するので、バタバタ忙しいのだが、今年はコロナで僧堂のみだから、境内シ~ンと静まりかえっている。一寸も開山忌の雰囲気ではない。こう言う開山忌も初めての経験である。支度する方は楽ちんで良いが、何だか、いつもとは違う、変な感じである。私も此処へやって来て、40年近くになるが、矢張開山忌は境内中、バタバタと活気のあるのが良い。尤も、ものは考えようで、だ~れも来ないのも、それはそれで良いが。近年は私自身、足下もヨロついて、万事に覚束なく、もう賞味期限切れだな~っ!と思うこの頃だが、頑張れるうちは頑張らなくっちゃね~っ。僧堂は様々な行事をきっちり毎年恒例でやるので、同じ事の繰返しでも、行なうこっちが衰えてくるので、否応なく老化を実感させられる。まっ、例年の如くできるのは何より有り難いことである。

投稿者 zuiryo : 14:42 | コメント (0)

2021年10月02日

トロイ頭になっちゃった

近年、酷くトロイ頭になっちゃった。日常ついて回る問題だから、嫌でも応でも、感じながらの日々はとても辛いものである。と言っても此処から逃げ出すわけにも行かず、あ~あ~!とため息つきながら、やり過ごす以外にはない。トロイトロイと連発銃だが、本当にそうなのだ。で、考えた。こんな辛気くさい言葉ばかり吐いていると一層辛気くささが増すばかりだから、金輪際止めにしよう。今後一切トロイのトの字も言わない。と言うわけで、今後、「ト」は禁句にすることにしたと。

投稿者 zuiryo : 21:03 | コメント (0)

胃カメラ

まっ、年も年なので、一応心配して、年1回は、胃カメラで調べて貰っている。セ~フ、何事もなくほっと安堵す。もうこの年なのでいつ死んでも良いようなものだが、執着心が付きまとって、恥ずかしながら、この耄碌爺になっても、猶食らいついて、生きたいと思うのだ。と言うわけで、いつもと少々違うリズムの一日なので、無理をせずに温和しく家で過ごした。ところで野良ネコの「しゅうゆう」ちゃん、漸く傷も癒えたので、外出禁止令を解いてやった。早速喜んで何処かへ行っちゃった。帰ってこや~しない。まっそれが幸せならそれで良いんだ!お互い生きるだけでも「たいていや」ないのだから。

投稿者 zuiryo : 03:34 | コメント (0)