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2021年12月30日
歳末大掃除
平生の四九日では手の回らないところを、この年末掃除で徹底的に磨きまくる。浴槽をピッカピカに磨き上げたり、台所のステンレスもピッカピカにする。ピカピカ光るのを見ていると、これぞ歳末大掃除!を実感する。これらはすべて隠侍さんがやってくれる。私は部屋で色々溜まった事務的な処理をする。歳末ギリギリに来るお歳暮の礼状書きも結構な仕事である。と言うわけで私は体を使っての仕事はしないで、デスクワ~クってわけ。久し振りに千葉の知人から、年末挨拶を兼ねて電話が来た。一年ぶりくらいである。関東方面の大学の先生をしている中国の方で、平生は殆ど音信不通だから、先方もこの際、電話して直接近況伺いを兼ねたのだろう。元気そうで、溌剌とした声が聞けて良かった。兎も角歳末は大忙しだ。フッと雲水修行していた頃の事が甦った。
2021年12月29日
山内、閑棲和尚葬儀
今日は午前10時から山内寺院和尚の葬儀があり出かけた。この方は晩年、長らく腎臓を病んで徐々に弱られ、ついに亡くなった。大変寡黙な方で、晩年は愛犬を連れて何時も散歩されていた。ご子息さんが住職を継がれ、悠々自適の楽隠居だった。若い頃は唯一の趣味がパチンコで、せっせと通っていた。その後、お庫裡さんを亡くされ、また御本人は人工透析を続けておられたりで、ややお気の毒な晩年だったが、何時も飄々としていていた。兎角口喧しい老人になって若い者から嫌われる人が居るものだが、私もこの方のように、まるで空気のような存在で、老後を過ごしたいものだと思った。
2021年12月25日
苦あれば楽あり
長年続いた座禅会、「般若会」が今年を最後に一応終了することになった。30数年続いたのだが、惜しまれながら会を閉じた。私の老齢化である。続けて続けられないことも無いのだが、私の意欲がなくなったのである。毎回の話も年々惰性に流れ、会員の方々には申し訳ないばっかりである。何事も潮時というのがる。区切りを付ける潮時だったのである。途端に気持ちがすっと楽になった。私にとっては良い修行の場であった。元来人の前で喋るのが苦手で、避けて通りたいというのが本音、そう言う私が毎月2回、ほぼ同じ人たちに向かって手を変え品を変えて話し続けるのは、難行苦行であった。その苦しみから漸く解放された。嬉しいったらありゃ~しない!スカッと晴れ渡った青空を見上げているような気分である。じゃ~今まではどうだったのと言われれば、重た~い空気に包まれて、ドヨンとした、今にも雨が降リ出す寸前のような感じ。これが一気に解決したのである。苦あれば楽あり、全くその通りである。
2021年12月20日
会下寺院の葬儀
今日は伊深の先輩の葬儀に出かけてきた。亡くなられた和尚さんは伊深の開山忌には毎年必ず出頭されていた。一端僧堂を離れると、殆どの者は顔を見せること無く終わってしまうものだが、この和尚さんは必ず毎年出頭されていた。こんな人は数少ない。近年は体力が衰え、また一方お弟子さんが伊深出身なので、開山忌のお参りも親子でバトンタッチであった。こう言うのを宗盟心が篤いと言う。こんな例は決して他では見られない。そう言う心構えはちゃんと弟子に伝わっている。地味な話だが、尊いことである。だからどうなの、言われては返す言葉も無いが、私はこういう人こそ本当の禅僧だと思っている。だから弟子達も実にキチンとしている。万言に勝る教えを肌を通して子供達に伝わっているのだ。この様子を目の当たりに見ることが出来たのは、本当に幸せな事だった。
2021年12月18日
朧八半ば
15日から始まった臘八も今日が中日、愈々後半戦である。今冬は毎日晴れで、冷たい風が吹き抜ける事も、雪が舞う事もなく、比較的静かで温暖である。伊深では臘八は1月15日からで、さすが大寒の頃ともなると、晴れても小雪がチラチラ舞うというのが当り前で、北風も身を切るような冷たさだった。それに比べれば、まだまだ緩いな~と言う感じである。まっ、寒けりゃ~良い接心が出来るというわけでも無いが、あの冷たさが骨の髄まで染み込んだ者には、イマイチピリッとこないと言うのが実感。思えば私も随分長いこと僧堂の接心を繰りかえしてきたもんだ。一時期鎌倉の寺に住職をしたが、その間も毎月接心には一週間、出かけて参加していた。私の修行人生は、二十歳から始まって今年79歳になるから、ざっと59年簡になる。私のような鈍才は、継続は力なりでやらなければとても追いついて行けない。この間大病もせず、孜孜ゴツゴツとやって来たのが唯一の取り柄である。
2021年12月15日
臘八大接心
今朝、午前3時から臘八大接心が始まった。1年間の総決算とも言うべきもので、雲水時代はこれが年明け1月15日からだった。一番寒さの厳しい時期て、手がしびれて、痛くて堪らなかった思い出がある。寒さもまだ12月ではさほどでもない。たった1ケ月の違いだが、さすが大寒の頃は冷え込み方が全然違う。ましてや山間部で、芯の底からジ~ンと痺れるような冷たさだった。今となっては遠い過去の思い出になってしまった。当時のことをふっと思い、この程度の冷たさなんかへでも無いな~などとほざいている。人間一度は究極の寒さや厳しさを味わって置くと良い。これを晩年になって、十年も二十年も続けてやる気はしないが、若い盛りに、一度は経験しておくのは良いことだ。私は幸い、今でもこうして僧堂で雲水と一緒に修行をする処で住むことになって、折に触れて、若かったときのことが、鮮やかに甦ってくる。何時までも忘れずに、思い返しては、良い経験を積ませて貰ったな~と、心の底から感謝している。
2021年12月13日
温泉へ
今日、何時もお目にかかる方がいないので、電話したら、何と下呂へ行き、温泉に浸かっていると言うではないか。何と優雅な!こっちは間もなく参禅の時間、開け放った障子から木枯らしがひゅ~ひゅ~、エラい違いやな~。まっ、人様のことは脇に置いて、僧堂では臘八大接心、根性入れ替えて臨まないと、ぺちゃんこになる。人にはそれぞれ生き方があるので、単純に良い悪いは言えないが、どうも私には今の生き方がピタッとくる感じである。カラスはカ~カ~、雀はチュンチュン、である。カラスもカ~カ~ばっかり鳴いていないで、たまにはホ~ホケキョと鳴いてみ~ッ!と言われても、「カ~カカッカッカッ~」になるだけだ。自分に与えられた生き方をひたすら邁進するのが一番である。
2021年12月12日
お歳暮の礼状書き
毎年お事ながら、連日送られてくるお歳暮の礼状書きに大忙しである。正直言えば、このお歳暮も有り難迷惑なのだが、いつまでも私のことを忘れずに、ご丁寧なお歳暮を頂くと、有り難さで一杯になる。せめてのお返しと思い、新年の干支の色紙を礼状と共にお送りしている。遙か昔のことだが、同様に歳末次々に贈られてくるお歳暮の礼状を副司に丸投げしている方があったが、確かに厄介で有り難迷惑には違いないが、しかし何年経っても忘れずに、こうして志を送って下さる方に対して、失礼の無いようにしなければ罰が当たる。やっぱり私が当時思ったように、後年その方は罰が当たった。何処かで神様はちゃんと見ておられるのだと、改めて思う。何事もそれぞれ深い意味が込められている。そのことを決して忘れては成らないのだ。
2021年12月07日
あっという間に一週間
12月に入った途端、急に毎日が早くなってきたような気がする。今年もあと三週間余りで終わる。そう思ったら急に気忙しくなってきた。こう言うのも気分の問題なのだろうが、不思議にそう思う。まっ、僧堂の場合は、世間の師走と違って、15日から臘八も控えており、その後の年末掃除、そう言う一連の行事を滞りなく行なって、漸く新年となる。もうこのパタ~ンを何十年もやって来ているので、どうっつ事はないのだが、今年1年を振り、色々な事が甦ってくる。臍を噛むような思いになるのが多いが、気持ちの上で一区切り付けてから、新年を迎えたい。同時に自分の老化を思う。このペースで落ち込んでいったら、末はどうなるのか大いに心配である。老いれば誰でも通って行く道なのだろうが、周りに迷惑掛けずに、スッと逝きたいものだ。
2021年12月01日
早や12月
ついこの間新年を迎えたと思っていたら、早くも今日は12月である。月日は百代の過客にして行き交う人もまた旅人なりで、矢のように過ぎ去る。ボ~ッとしていたら、何もせぬうちにたちまちあの世行きである。紅顔の美少年も白髪の老翁となる。人間の一生など、あっという間の出来事で、気がついたときは土の中。しかし反面、人間の一生は相当長いとも言える。一瞬で終わるなら悪いことをしても瞬間で消え去るわけだが、決してそんな事はない。悪事は幾代も語り継がれ、増幅する。もう取り返しはつかない。真っ白な布に泥が染み込んだら、後でいくら洗っても汚れは染み込んで落ちないのと同じ。次々に消えて無くなるのなら、こんな良いことはないが、そうはいかないのだ。