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2022年01月29日
東海庵葬儀へ
27日、日帰りで京都妙心山内、東海庵老師津葬へ出かけて来た。雪丸老師は毎年うちの開山忌には、律儀にご出頭頂き、恐縮至極に思っていた。「古尊宿」という言い方がピッタリはまるような方だった。多分,もうこれからはあのような方は出ないだろうと思う。近頃は矢鱈はしっかい様な手合いばかりで,うんざりさせられるが、そう言う中で雪丸老師は貴重な存在だった。私より三つ四つ上の方だったが、まだまだ生きていて欲しいと心から思った。人間一人出来上がるまでには、様々な道を歩み、その集積の結果が今になっている。ちょいっとやそっとで、そうなるわけではない。貴重な存在を失ったと思っている。老師は独特の風格が漂う感じで、何とも素晴らしい人だった。生まれ変わり死に変わり、なが~い年月を経て、このような境地が生まれ出るのだと思っている。反対に、あの野郎早く死にゃ~がれ!なんつうのはゴマンと居るが、もっと生きていて欲しいな~と心から思えるような人は、そうざらには居ない。雪丸老師はそう思わせる方だった。
2022年01月21日
提唱
僧堂では定期的に決まった日に、雲水一堂に会し本堂で提唱をする。二・七・五・十、である。通常は午前中、約1時間半ほどである。処がこの通り行なわれることは殆ど無い。一つには日中は呪経があったり托鉢があったりというわけである。誰でも講義をするなんぞ好んでやりたいと思う者は居ない。幾らさぼっても雲水から抗議を受けることもないから、それを良いことにしてさぼりまくるのである。しかしこれは重大な違反行為である。学校の先生が授業をさぼって、遊び呆けているのと一緒で、もっての外である。師家が自己規制して、律儀にこれを守る以外には無い。勿論通常日中にこの時間を設けるのはなかなか難しい。それなら夜にやったら良い。方法はいくらでもある。私は雲水修行時代、これで臍を噛む思いをさせられたことがある。だから自分が師家になったら、絶対に規則通りにやると決めた。誰だって提唱なんて好きな奴はいない。自分が一番トップに立ったら俺に文句言う奴は一人も居ないんだ!なんぞと横着構えて、さぼりまくるなんぞ師家の風上にも置けない。私は常にそう思っている。だから自分の思ったとおりに今やっている。
2022年01月20日
無呼吸器新たに交換
睡眠中呼吸が止まってしまう病気になってもう大分年月が経つが、今もなお、呼吸が止まらないように強制的にポンプで空気を送り込む装置を付けて寝ている。平生はセットしてあるので、厄介なことは無いが,泊まりがけでよそへ行くときは,この装置一式持参になるので,相当厄介である。この装置一式、時々業者さんが来て,新しいのに交換してくれる。別に特別新方式に変わるというわけでは無いが、万一睡眠中に止まってしまったら大事になる。と言うことで今日からはピッカピッカの新しい器具になった。
2022年01月18日
新年の集い
今日は知人の会の新年の集いが有って出かけてきた。通常では初めに会としてのセレモニ~が有って、その後、懇親の会でご馳走を頂きながらお喋りに花を咲かせるというパタ~ンだが、このコロナ下、飲み食いは一切無く、セレモニ~等でたちまちのうちに終わった。何だか気が抜けたような会だった。やっぱり大いに飲んでお喋りをして、賑やかな新年会がいいな~!とは言ってもこのご時世では無理な話、しょんぼり帰ってきた。誰が悪いって、「コロナ」だ。その代わり帰ってから色々仕事がはかどったので、悪いことばかりでも無い。何事もものは考えようである。夏末大接心も早くも中日、あっという間に後半戦となる。どうも少々風邪気味なのか、イマイチ胃腸がスッキリしない。本格的風邪にでもなったら目も当てられぬので、一層気を付けよう。
2022年01月17日
睡眠時無呼吸症
この病気になって二,三十年になるが、いまだに毎月1回、診察に行かなければならない。睡眠中呼吸が止まらないように強制的にポンプで空気を送り込む装置一式が、保険適用されるため、毎月1回は診察を受けなければならいのだ。全くやんなっちゃう。診察と言っても殆ど何も無い。先生の前であ~んと口を大きく開けて、それで終わる。しかもこの睡眠時無呼吸症は生涯続くのだ。目の前真っ暗、何と因果な病気に罹ってしまったものだ。しかし、こういう症状を発見したと言うことが,大きな意味のあることで、なぜなら、この状態がづ~っと無自覚のまま何年も過ぎてしまう例が多いのだそうである。まっ、奥さんのある人は、隣でいびきを聞いて、あっ!と気がつき、お医者さんへ行くというパタ~ンなのだそうだが、私のように一人っきりでは、無呼吸状態に気がつく人が居ない。では何故知ったのかだが、あるとき、何時もかかりつけの内科医の診察を受けていたら、無呼吸の疑いありと、偶然見つけてくれた。まさに名医に巡り会えたのである。時々泊まりがけで出かけるという事があるが、これが困る、相当がさ張る機械一式すべて持って行くことになるからだ。まっ、一晩くらいなら専用のマウスピ~スを装着して済ますことも出来るのだが、何と因果な病気に罹ってしまったものだと、我が身の不幸をしみじみ噛み締める。トホッ!
2022年01月15日
今日から夏末大接心
冬期最後の大接心が始まった。昨日降った雪が屋根や北側の隅にまだ積もっている。コンコチコンに冷え切った空気である。まっ、だんだん老化すると、万事に鈍感に成って、寒さも余り感じなくなった。つまりづ~っと寒いのである。特に手が冷たくなって、スムーズに動かない。ものを掴み損ねたり落っことしたりする。することなすことスカタンばっかりだ。もう人間やめたくなる。僧堂でのこの寒さ、もうどれくらいやって来たか知れない。良く、この寒さが良い!なんぞと言うが、近頃はそうかな~と思う。冷たいのが良いなら冷蔵庫の中の野菜や果物達は良い修行して、みんな悟っちゃう。が、そんな事、聞いたこと無い。まっ、それはそれとして、は~やく、来い来い!春!である。
2022年01月14日
大四九忘れて・・
今朝は大四九、寝忘れなのだが、何を勘違いしたのか、通常通りに起きてしまい、すっかり出頭支度を調えてから、間違いに気がついた。既に遅し。まっ折角起きてしまったのだから、この時間を有効活用しようと考え直し、机に向かって事務的な仕事をする。これは老化現象の一つである。反対に、起きなければならないときに間違えて寝過ごしたら、大変だが・・。頭もかくのごとしだが、体も同様に、コチコチ!何だかロボットのような、動き方になった。まっ、それは仕方が無いとしても、問題は思考に柔軟性が無くなってきたことだ。総じて極端に成ってきた。これはまずい!しかし、この問題、そう簡単に解決できそうもない。老いると言う事はこういうことなんだと改めて知った。
2022年01月12日
チャイちゃんの死
夜、チャイちゃんの様子が一寸変だな~と思った途端、触ってみると既に息を引き取っていた。あっという間の出来事だった。チャイちゃんは長いこと野良生活で、最近、廊下の隅に暖かな小屋を置いてやると、夕方にはやって来て、丸くなって寝ていた。今晩もいつものようだったのだが、余りにもあっけなく、驚かされた。うちとしては三匹目の猫の死である。何も苦しまず、まるで寝ているようだった。この寒空の中、何処かで行き倒れになっていたら、可哀想だったが、暖かな小屋の中で静かに息を引き取ったので、一寸救われたような気がした。まるで良い死に場所を見つけに来たような死だった。
税金の話
昨日、個人住民税の特別徴収義務者指定について・・・と言うお知らせの書類が届いた。兎も角住民税を払え、しかもこの書類は再度のお知らせらしい。頭がボ~ッ!早速何時も会計を見て頂いている事務所へ連絡、事情をお話しして、一件落着した。兎も角お役所からこの類いの書類が届くと、もう見ただけでも頭がボ~ッ!として固まってしまい、訳分からない始末である。極端だが、私なんぞはもうこの世で、まともに生きて行けないのかも知れないと、思ってしまう。まっ、事はそう大層な類いのものでは無いようだが、一寸でも難しい書類は見ただけで脳みそが固まってしまう。すかさず、引退!と言う二文字が目の前をチラチラ!極端なのかも知れないが、こう言う我が身の反応を見ただけでも、そろそろお払い箱だな~!である。
2022年01月11日
旧隨
嘗て僧堂で長らく修行し、現在はそれぞれ寺の住職となって活躍している者を旧隨と言う。今日その中の二人にお越し頂き、色々話し合った。まっ、そう大層なことでもないのだが、年月を経るうちに、いろいろな事があり、中には少々問題ありという者も居るので、その扱いをどうするか等である。悪いことは出来ない、悪事千里を行く。狭い宗門の中では、あっという間に広がってしまう。ボ~ッとして暢気に構えているのは本人だけである。それらを踏まえて、今後どうして行くか、自ずから行くべきところへ行くことになるのだろうが、皆で相談しながら決めて行かなければならぬ。そもそもこんな事を話しあわなければならない事自体が情けない。もう一寸前向きな良い話をしたいものだ。
2022年01月10日
穏やかな日和
今年の正月は連日穏やかな日和続きで、良い正月を迎えることは出来た。今日は朝から、強風に吹き飛ばされた落ち葉掃きで、ザザザッ~ッという掃く音が、静まりかえった境内に響き渡っている。こう言う音も冬の風物詩で、掃いてる雲水は大汗かいて大変だろうが、聞いてるこっちは、フムフム、良い感じの音じゃわい!なんて、まるで他人事のように思って冬を味わっている。日の経つのは本当に早いもので、あっという間に十日が過ぎた。うちの場合は年始だからといって、客が引きも切らずなんてことは無い。野良猫のチャイちゃんが、静まりかえった茶室の濡れ縁で、思いっきり体を伸ばして日を浴びている。この姿がうちの正月を象徴しているようなものである。
更新手続き忘れる
ジパング倶楽部更新手続きをしなくっちゃ~!と前々から気にしていたのだが、見事に忘れてしまった。既に更新手続き期間は過ぎてしまい、また新たにやり直さなければならない。相当以前から更新手続きを・・・とお題目のように唱え続けていて、結果この始末である。我ながらぼんくら頭にあきれ返った。これも老化現象の一つと言う事なのだろうが、
2022年01月02日
S師より電話
滅多に電話などしてこなかったM市のS師から、年末に師匠が亡くなり、急に後を継がなければならなくなったと、元気の無い電話があった。このお師匠さんとは、嘗て私が建長寺派に所属していた頃から交流があって、何時もご親切に季節の野菜など土地柄の産物を送って呉れた、大変奇特な方であった。私より年齢も少々若かったのではないかと思うが、急逝には驚かされた。人の一生は飯の上端の湯気のように儚いもの、と言われるが、本当にその通りだと、改めて実感させられる。特に自分の年齢に近い方の訃報に接すると、他人事とは思えない。明日は我が身である。歯が欠けるように周辺からポツリポツリと遷化の知らせが届くと、寒風が吹き抜ける心地になり、寒々としてくる。そう遠からず、今度はこっちからそう言う知らせをすることになるのだろうから。
三ヶ日も瞬く間に過ぎ・・
例年の事ながらお正月は超ヒマ、終日ゴロゴロ、まっ、こう言うのもお正月ならでは、満喫!午前9時から大般若祈祷会、これで行事はすべて終わる。早速正月飾りを撤収、元に戻る。大抵それから伊奈波神社へお参りするのだが、さて今日はどうしようか・・・?年々、ものぐさになった。それはそうだ、80歳になるのだから、当然の事!日常もかくのごとしで、まるで"置物"人生である。嘗て仕えていた師匠は大変活動家で、三が日が終わるやいなや、バネ仕掛けの人形のように外に飛び出し、外出しまくっていた。ああ言う心理は私には全く解らない。静かなお寺の中で過ごすのが一番良いじゃないかと思うのだが。顔がそれぞれ違うように、人様々である。むしろ私などは年々、人嫌いになってきた。孤独を愛す、などと言うと、一寸変に聞こえるかも知れないが、寺でジ~ッと一人静かにしている時が、一番幸せを感じる。
2022年01月01日
謹賀新年
年末年始、バタバタしているうちに、今日は早や二日が過ぎた。午前中二組、年始の客があって、後は静まりかえっていた。まっ、うちではこれが例年のことで、後は静かに部屋で年賀状を見たり、ボ~ッと過ごした。雲水も同様寝正月、年末の慌ただしさから解放されて、のんびり休息である。僧堂中静まりかえっていた。年末慌ただしく過ぎたので、丁度良い具合なのである。一年の計は元旦にありと言うから、ジ~ッと落ち着いて、静かに新年を迎えるのが一番である。嘗て雲水修行の頃は、新年早々、矢鱈来客が多く、天手古舞いした。正月というのは常にこう言うものかと思っていたが、どうもそれは異常なことで、シ~ンと静まりかえっているのが普通なのだ。此処へ来て漸くその普通が解った。私も新年を迎えて80歳になる。超老人である。ボツボツ潮時かな~、ふっと頭をよぎった。