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2022年08月31日
暗~い、話
この所、急激に私の頭は衰え、大変な事になっている。ほぼ認知症である。まっ、自分でこう言ってるうちはまだましで、間もなくその自覚もなくなり、しっちゃかめっちゃか、になって、ついに正真正銘の認知症へと駄々走り、”芯から馬鹿”になるだろう。これは目に見えている。それなら今のうちに、何とか相応の対策を講じたらとなるが、残念ながらそれは無い。もっと医学が進んで、一粒飲めば全て解決なんてことになるのかも知れないが、今の私には間に合わない。こんな絶望的で悲しい話はないので、わざわざ書く必要はないじゃないかと思うが、バカだから書いちゃう。悪循環なのだ。こう言う話を自分でわざわざ持ち出して、ガックリ来ているのだから、始末が悪い。今のところは、まだましで、間もなくその自覚も失せ、芯から馬鹿になって、静かに息を引き取るっつ、パタ~ン。トホッホッ!
2022年08月30日
近頃、碌な事はない
頭がボ~ッとか前後不覚とか、近頃碌な事はない。ヒタヒタと心身の老化が忍び寄ってきた。此処から逃れることは出来ない。全面的降参である。まっ、誰でも年を取れば、こうなるのは目に見えている。解っちゃいるが・・・、依って、目の前真っ暗闇状態なのである。しかし、こんな事ばかり考えていると、鬱になるから、なるべく考えないようにしている。昔ス~ダラ節という歌を植木等が歌ってヒットしたことがあったが、まっ、〽スイスイスイッタラ、スラスラスイスイ~!この調子で軽快に受け流して行こう。どうせ後、生きてもわずかな命、軽~るく生きて、ハイ、さようなら~っ!で終わりたい。
2022年08月29日
前後不覚
親しくしている方と二人で、久し振りに、良く存じ上げている処で一杯やった。話が弾み勢いでグイグイやった。そこまでは大変調子も良かったのだが、途中で私の意識が飛んだ。まるで訳分からないようになって、気がついたら自分の部屋で寝ていた。私も間もなく80歳になるが、矢張体力の衰えなのだろう。そろそろ自分の老齢を意識して行動しようと思った。まっ、気にせず何でも喋られて、嬉しくなって、結果こう言う醜態をさらしたわけだ。内輪の出来事で済んで良かった。人間誰でも毎年必ず年を取って行く。そんな事は解っちゃいるが、解っちゃいるけで止められな~い♪のだ。更に一層注意しようと心に決めた。
2022年08月25日
老化
肉体の老化は年相応で、良くも悪くも、認めざるを得ないが、問題は精神の老化である。これは個々の努力でいくらでも若々しく老いる事は出来る。尤もこれも、余りやり過ぎると、傍から見ていても見苦しい人というのがいるから、難しいものだ。まっ、「自然体」につきる。つまり外観より問題は中味だと言う事である。処がこの中味だが、困ったことに自分自身ではまるで見えない。それじゃ~、どうすりゃ~、良いてんだよ~!となるが、まっ、この辺の話になると、今までどう生きてきたのかが問われることになる。つまり簡単に接ぎ木をするようにはいかないという事である。日々の積み重ねの結果が今なのだから。他人様の事はいくらでも言えるが、我が事になるとまるでメクラになる。これが問題だ。一日に三度顧り見よという言葉があるが、その通り出来る人なんていない。一生顧みたことなんかないという人の方が断然多い。もしくは自分では顧みたと思っているだけの人のいずれかである。我々は日常坐禅を組むが、これを何十年もひたすら続けて行くことが一番大切なのである。
2022年08月22日
頭がパ~ッ!
久しぶりに、この題目でブログを更新する。その後も私のドタマのパ~度は進化し続け、愈々本格派になってきた。もうどこから見ても揺るぎない、立派なパ~ッとなった。何事も進化し続けるには、懸命な努力が要る。日々その努力の結果、目出度く「完パ~ッ!」になったのだ。以前はパ~ッ!にばらつきがあったが、最近は総じて平均値が安定的に推移してきた。間もなく満80歳、ドンピシャリ!嬉しいったらありゃ~しない!いささか自虐的とも思えるが、人間誰でも通る道、無駄な抵抗は止めて、素直にパ~ッ!になる事が大事。私の周りには雲水という子分がいるから、親分ずらして、ふんぞり返ってパ~ッになっている。外じゃ~これは出来まい。師家の特権である。しかしその特権に余りにもふんぞり返リ過ぎると、或る日突然地獄へ真っ逆さまってこともあるので、御用心!御用心!
2022年08月19日
ふっと母を思い出す
日常、折りに触れて、ふっと母を思い出すこと多くなった。それだけ私自身が老齢化して、余命わずかになって来たと言う事なのだろう。母がそっと手を伸ばすとそこに居るような気持ちになる。遠く離れて棲む今では、頻繁にお墓参りに行くことも成らず、こうして心の中で母と会っているわけだ。私自身だって、あと何年生きられるか解らない。日々、繰返し母を思い出すことが、唯一の供養になるのかな~と思っている。思えば雲水修行中、苦境に陥ったときは、心の中の母に励まされて、何とか挫折せず乗り越えることが出来た。これを終生忘れることはない。
酷暑で頭がボ~ッ
このところ私のブログは、暑さで頭がボ~ッ、と言うのが、度々で、改めて読み返してみると、良くも恥ずかしくないものだと、恥ずかしくなった。別に酷暑でなくとも、頭がボ~ッというのは、最近の私のドタマなのだから。まっ、人間八〇を過ぎると大体こんなもので、遙か昔、師匠がその年齢だった頃、度々訳の解らないことを言い出したときは、我々侍者たちは、「・・猊下はドタマがお疲れ遊ばしたので・・」、と、ひそひそ言い合ったものだ。それ見よ!今は何と私がそう言われる身になってしまったのだ。尤も私は猊下では無いので、多少表現は違うだろうが・・・。いずれ皆、踏む道なのである。だからガタガタ言う事はないのだ。と言う事は、後残された道は、墓場へまっしぐらって事。トホッホッ!
2022年08月17日
思うに・・・
最近は余り明るい話題は出てこなくなった。まっ、ものは思いようで、平々凡々の日々こそ、幸せなのだ。老後切羽詰まって、悶々とした日々を送るというのも切ない話だが、人間何処かで、必死になって頑張る日々こそ、幸せなのである。全ては今まで生きてきた結果が今なのだから、これを何処かへ持って行き用はないのだ。そう覚悟を決めて、生きている限りは、グダグダ愚痴を言わずに、頑張って生きるより外に方法はない。そう覚悟を決めて、腹を据えて、矢でも鉄砲でも来や~がれ~!である。
2022年08月13日
暑さで頭がボ~ッ
まっ、正直なところ言えば、別にこの暑さがなくとも、最近は常に頭がボ~ッとしていて、半認知症。解っちゃいるけど、止められない!のである。こんな話ばっかりで、書いているこっちもホトホト滅入るが、読む方々もー、と言っても、私のくだらないブログなど読んどる人は居ない。で、気にしない気にしない、となって、ガタガタ言いながらも、厚かましく書き続けて居るっつ、わけ。満80歳になった。途端に、頭がバカになった。近しい人に言わせると、い~え、ずっと前からです、だと、トホッホッ。最近思うに、こう言うのも、自然の摂理~つうか、旨く出来ていて、万事に無神経になって、周りに迷惑掛けっからかして、本人はボ~ッとしていて、その内静かになってきて、息引き取るっつ、パタ~ン。ついに私も最後のバックストレッチに差し掛かってきた。
2022年08月12日
お盆の棚経
恒例のお盆棚経が始まり、酷暑の中汗まみれになって信者さんのお経詣りが続いている。ご苦労さんの言葉しかない。ふっと、大汗掻いた雲水時代を思い出した。今となってみれば、全て良い思い出ばかりである。これらを若さで乗り越えてきた。僧堂の極めて質素な食事で、良くもあの馬力が出て来たものだ。80過ぎの老人に成った今では、とても考えられない。ふっと、遙か昔のことが、怒濤のように押し寄せてきた。月日は百代の家客にして行き交う人もまた旅人なり・・・で、みんな良い思い出になっている。お盆だからと言う事もないと思うが、昔の様々なことが湧き出すように頭の中を巡った。
2022年08月11日
位牌を持って・・
雛型の位牌を持って、いざ仏壇店へ、と思ったら、今日は休日。ぼ~っと行って、ボ~ッと部屋に戻った。最近は万事かくのごとしで、することなすことスカタンばっかし。老人性認知症かな~?ガックリきた。一方、檀家の盆のお経で、早朝より雲水は出かけ、境内静まりかえっている。そんな空気がヒタヒタと隠寮辺まで押し寄せ、さらに、この暑さも加わって、朝からスカタンばっかり、本当に嫌になっちゃう。まっ、そうイライラしても、良いことは一つもないので、此処はどっしり腰を据えて、手足伸ばして、大あくびをして、天井を眺めた。思うに、この暑さがいけないのだ。くわえて老齢化の影響をもろに受けて、体のネジは緩み、かくのごとくになったのだから、焦ってガタガタしても、良いことは一つもない。自然体で、ゆるゆる行こうと、思い直した。
2022年08月10日
酷暑で頭がボ~ッ
この所、頭がボ~ッ!ばっかりで、外に書くことはね~のかよ~っ!であるが、その通りね~のだ。それならそもそもブログなんか止めろ!である。そう言いながらなおも掲載しているのだから、厚かましいったらありゃ~しない。この恥知らずめ!である。まっ、最初から無視して読まなけりゃ良いんだから、実害はない。でも、ほんの少々でも、フムフム、と思って貰えれば、やった~!なのである。これだから始末が悪いのだ。夏の僧堂は毎日大汗掻いて法衣の上までビッショビショ、そのまま日に干して乾いたらまた翌日使う、この方式の繰りかえしだから、汗のエキスは日々蓄積して、法衣も袈裟も何となく分厚くなってくる。これで一夏やり過ごすと、そこはかとなく貫禄がついてくるから不思議だ。まっ、法衣だけじゃない、それを纏っている雲水も同様で、大汗と格闘した痕跡がそこはかとなく漂い、これもまた良いものなのだ。
2022年08月09日
全身マッサジジ
車で4,50分もかかる遠いところから、わざわざ私のマッサ~ジに来て呉れる弟子がいる。そもそも彼との遭遇も不思議な縁で、それがいまだにズ~ッと続いている。有り難いことである。こう言うのはたんに不思議な縁で、とばかりに片付けられない。そもそもご縁とは考えれば考えるほど不思議に満ちている。問題はその縁を如何につなげて行くかである。ほんのわずかな縁でも深く繋がる縁もあれば、深い縁でも、あっという間に切れてしまうのもある。これって、何なのだろう?それは兎も角、この弟子とは誠に不思議な縁で今なお繋がり続けているのだ。有り難いことである。
2022年08月08日
万事無為
この所、碌なブログを書いていない。脳みそが空っぽになったからである。そこまで解っているなら、辞めときゃ良いのに、そのくせ性懲りもなく猶書き続ける、この馬鹿さ加減。まっ、殆どこのブログの読者はいないという前提で書いている。つまり私自身の脳の活性化のためなのである。何もしないよりなにがしかの刺激には成る。人間何もしなくて良いとなれば限りなく怠け者になる。だから自分にプレッシャ~をかけ続けることが大切。そう思っている。グダグダ、言い訳がましいことで、失礼千万。どうでも良いことである。大体こう言う日記を公開するって~のが間違いの元なのである。まっ、政治家の街頭演説のように聞きたくもない話を拡声器でがなり立てるのに比べれば、ブログをパスすれば良いだけのこと、痛くも痒くもないわけだ。そう思って恥をかなぐり捨てて、性懲りもなく、かくの如くになりにけり。
2022年08月06日
ふっと、母のこと
うだるような暑さの日々、とてもじゃないがやってられない。頭も連動して、ボ~ッとして、思考回路切断、日々馬鹿になって行くのが解る。まっ、これ以上馬鹿度が進まないように、一生懸命支えている。そんな日々の中、ふっと母のことを想い出した。いつもコマネズミのように何事かしていた。長年の習慣のようになっていて、ボ~ッとなんかしている母を見たことがない。働いて働いて、生き引き取る寸前まで働いていた。その血筋なのだから、私も母のように動きづめに動いて、いつも何事かしているのかと言うと、さにあらず。何もせず、ボ~ッとしている事が多い。私は兄弟の中でも一番母の顔に似ていて、小さい頃から、マ~ッ、お母さんそっくりですね~ッ!と言われ続けてきた。にもかかわらず母の良いところは何も継がずに、万事ものぐさで、母の爪の垢でも煎じて飲みたいくらいだ。私も間もなく満80歳になる。余命少なくなってくると、しきりに母の顔が浮かぶ。
2022年08月05日
暑さで頭がボ~ッ!
ただでさえ日頃から頭がボ~ッとしている上に、さらにこの猛烈な蒸し暑さだ。私のドタマはオ~バ~ヒ~ト、正常に働かなくなった。更にネジも緩んでガタガタで、しばらく首から上は外して置きたいくらいである。と言っても外すわけにもいかないから、することなすこと、総じてへんてこりんで、可笑しいのだ。もう人間やめたく成っちゃう。こうなったらジ~ッと引き籠もるのが一番で、「無為」に尽きる。まっ、老齢化もあるのだろうが、人生も愈々終末期を迎えたな~、と言うのが実感。コロリン!と逝きたいものだ。出家して60年になる。60年間ズ~ッと修行で、まっ、この辺でもういいや、バイバイ、さようなら~っ!ホラ見て見よ、こうなっちゃ~お仕舞いだ。
2022年08月04日
昔のことを・・・
近頃、矢鱈昔のことを想い出す。どうしたことだろうか。この暑さとお盆行事も終わって、少々気が抜けたからだろうか?或いは心身共に、老化現象を来したからだろうか、兎も角昔のことを矢鱈想い出す。まっ、さしあたってしなければならないことも無く、要するに、万事に後ろ向きなのだ。しかしこれは防ぎようが無い。くわえて僧堂はほぼ同じ事の繰返しだから、益々これに拍車がかかるってわけ。人によると日々、次々と新しい事がやって来て、刺激がないと、いたたまれないなんて人も居るようだが、私はそう言うのとは真逆で、新しいことは大嫌い、ほぼ同じ事を繰りかえす日々こそ溌剌と生きられる体質なのだ。いろいろ言い訳して恐縮だが、まっ、人生様々だって事よ。昔、やたら、外へ出かけたがる人が居た。用もないのにである。ああ言う神経は全く理解不能、あの野郎何考えて生きてんだよう!であった。読書が大好きで、机の上はいつもこぼれ落ちそうなくらい本が積んである、これが一番こころ安らぐ。
2022年08月03日
絵画見学
市内の某銀行で、知人で日本画家の生徒達の絵画展が催され、友人と見に出かけた。某銀行の一角に十数点、生徒達の絵が掲げられていた。この先生には私も嘗てご指導を頂いていたことがある。近頃はとんと絵を描かなくなってしまった。さすがに素人とは思えないほどの素晴らしい絵が沢山並んでいた。ふっと昔の頃を思いだした。私の絵なんか下手っぴ~の最たるものだが、その最中は下手っぴ~なんぞと思った事はなく、むしろ、傑作だ~ッ!と、得意満面だった。こう言う錯覚が救いで、絵も続けられるのである。何事も経験で、ものの見方が広がる。実際にやってみなければ駄目だ。経験に勝る教えはない。結局大して上手にも成らず、途中半端で終わってしまったが、今から思えが、ものの見方を教えて貰った事に感謝している。
2022年08月01日
ユウコちゃん
歯の毎月定期検診で出かけた。ついでに久しぶりにユウコちゃんの動物病院へも寄ってきた。この病院は日頃、うちの猫ちゃん達もお世話になっている。ユウコちゃんのご主人は大変親切な先生なので、今評判の医院なのだ。相変わらず繁盛しているようで、ひっきりなしに診察に見える。ユウコちゃんも、もうすっかり奥さんが身についている。遙か遙か昔、まだ幼稚園にも行かぬ小さかった頃、連日僧堂へやって来て、当時鬱蒼と茂っていた典座脇の小さな林に、とても可愛がっていた子犬を連れて遊びに来ていた。その子がいまでは、ご主人と一緒に仕事をしている。この医院はうちの猫ちゃん達もしばしばお世話になっている,親切なお医者さんとして評判なのである。もう立派な主婦になったユウコチャンを見ながら、俺も年取るわけだ~ッ!と思った。