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2022年10月30日

知人の葬儀へ

一時期毎週絵のご指導を頂いた方が亡くなられ、仲間と一緒に葬儀に出かけた。近年はとんとご無沙汰で、嘗て奥飛騨辺までスケッチ旅行に出掛けた頃を想い出し、無性に懐かしくなった。絵については余り細かなことは一切仰られず、自由に描かせて頂いた。我々の幼稚な絵でも、楽しく、のんびりした雰囲気で、良い思い出ばかりが残っている。遺影を見ながら、昔のことをいろいろ想い出した。何事でも人柄が大きく影響するものである。長年教師をされていたので、その豊富な経験が生かされ、万事に懐の深さが忍ばれるような方だった。そのお陰で、我々の稚拙極まりない絵でも、めげずに続けることが出来たのである。人の出会いは摩訶不思議なもので、有り難いの一語に尽きる。こうしてまた一人、心の宝を失った。

投稿者 zuiryo : 14:49 | コメント (0)

2022年10月29日

開講

11月1日雪安居入制、を控え、何かと細かなことですることが有り、忙しい。今日も本来は朔日にする開講を、今日に繰り上げて済ました。以前は日程通りに11月朔日にやっていたが、来客の接待等で,午前中が潰れて,折角の大接心にスム~ズに入れないので、近年は繰り上げて済ませている。私も現役の雲水の頃、入制と開講が合わさって、前日からその支度にバタバタして、1日もほぼ午後までバタバタして、どうもしっくりいかないことがあり、今の方法に改めた。これで大変スム~ズに行事と接心が行なわれようになった。僧堂行事は古来から決められた仕来りに従って行なわれることが多いのだが、矢張修行第一で、不都合と思われる事柄は修行の邪魔にならないように配慮する必要がある。と言うようなわけで、開講を済ませ、明日把針灸治、31日は四九日、隔宿諷経、総茶礼と行事が続く。そして、雪安居入制となる。

投稿者 zuiryo : 20:05 | コメント (0)

2022年10月27日

うす曇り

午前中から何となくどんよりとした空、風もなく、静まりかえって、何だか空気まで止まっている。物音一つしない。静かと言えば静かで、山の木々も静止状態である。いつもはリスなどの山の小動物が枝を飛び回り、ギャ~ギャ~、結構喧しいのだが、全くの無音。まっ、こう言うのも良いが、生き物が飛び交うというのも良いものだ。道路から参道で百メ~トル以上も奥まっているので、普段から余り街の騒音はないのだが、今日は特に静かだ。見慣れた周囲の景色を改めて見た。街の中心地なのだが、バックの鬱蒼と茂る山に周囲を覆われ、当に山家の風情である。お寺は贅沢だな~と改めて思った。

投稿者 zuiryo : 13:16 | コメント (0)

2022年10月26日

頭がボ~ッ!

またまた、例の頭がボ~ッが始まった。よく考えるに,私の頭は元来こうなので、ボ~ッが普通なのだ。今更、何とかしようなどと思っても、既に手遅れだから、素直に従って、このままボ~ッでやって行こう。と言いながらも心の何処かで、いや!何とかしなくっちゃ!と思い直してみる。この葛藤の日々なのである。雀はチュンチュンカラスはカ~カ~、私の頭はボ~ッ!なのだと諦めて、素直にこれに従うのが一番、そう腹をくくって、てやんで~っ!で行こうと決めたのだ。ふっと思った。私の日常は殆ど会話っつ~ものがない。外からの刺激はほぼゼロだから、こうなるのもごもっともなのである。後は静かに息を引き取る、つ~わけ。

投稿者 zuiryo : 11:03 | コメント (0)

午前十時

本日、尼僧の相見,午前十時と日程表に書いてあったので,法衣を着て部屋で今や遅しと待機していると,一向に合図がないではないか。ムカッ!ときて、どうなってるんだよ~っ!と連絡用電話で叱りつけると、相見は午後一時で~す!だと。トホッホッ!儂が日程表に間違いを記すなど、あるわけがないと思いながらも、そう言われては返す言葉もない。最近の私のボ~ッ!が頭をかすめた。何だか急に自分が情けなくなってきた。まっ、これしきのことでガタガタ言わないのが良いと思い直し、サラッと受け流すことにした。兎も角、万事かくの如きなのである。老齢化による物忘れ現象だと素直に認めて、シュン!となった。今でこの調子なのだから、これから先は一体どうなるのだろうか?不安がモクモク入道雲のように沸き上がってきた。

投稿者 zuiryo : 10:14 | コメント (0)

2022年10月25日

またか~っ!

頭がボ~ッとか、物忘れが酷いとか、近頃は碌な事はない。人生前向きに溌剌,などとは凡そ縁遠い言葉ばかりが、機関銃のように飛び出てくる。そう思うなら,止めときゃ!と思うのだが、これが止められないのだ。殆ど病気なのである。誰でも老人になればいずれこの道をたどり、後は静かに息を引き取るってこと、目の前真っ暗闇、トホッホッ!なのである。それはそうだ、人間80歳も過ぎれば、明るい未来などやって来るわけがない!またか~っ!と、自分の不甲斐なさを自分で責め立てることになり、更に暗~くなるわけなのである。こんな辛気くさい話は、誰も聞きたくないから、本日はこれにて、おわ~り!

投稿者 zuiryo : 10:15 | コメント (0)

2022年10月18日

旧友の葬儀

遙か数十年前、当時大変親しくしていた友人が突然亡くなり、急遽藤沢まで葬儀のために出掛けた。近年は余り交友も無くなってしまい、まあ、元気でやっているだろうと思っていたら、突然亡くなったと言う報に,びっくり仰天した。まっ、我々世代は,ボツボツ鬼籍に入る者もあるので、仰天は少々オ~バ~かも知れないが、スポ~ツマンだったから、私なんかより長生きするだろうと思っていた。彼の周囲の方達に,是非葬儀を行なって欲しいと依頼され,急遽出掛けたのだ。久しぶりの対面が死んだ姿になろうとは・・・。彼のご親族に会うのも本当に久し振りで、時の経過を思い知らされた。まあ何とか無事に葬儀も終わり、やれやれほっと一息ついた。こうして親しくしていた友人が一人また一人と鬼籍に入ると、明日は我が身だ!と身に迫って思う。それはそうだ、もう80歳なのだから・・・。これまで以上に毎日を大切に生きようと改めて思った。

投稿者 zuiryo : 21:00 | コメント (0)

2022年10月13日

ガクッ!二題

午前中、山内のある寺に電話した。過日お願いした結果を聞くためである。しかしこの件は既に過日私に報告したそうで、一件落着していたのだ。すっかり忘れていた。ガクッ!次ぎに、ある寺の門前に居られた庵主さんについて、その近くのお寺さんに電話して尋ねてみたら、これも既に過日私にお話申し上げましたと言うのだ。二度目のガクッ!物忘れの酷いの何んのって!ほとんど認知症一歩手前っつ、ところである。トホッホッ!何て言ってる場合じゃないのだ。誰でも老人になれば、こう言うことはおこるのだが、私の場合はその程度が酷すぎる。現在は辛くも保っているが、やがて坂道を転がり落ちるように、ただの馬鹿になる。しかし解っちゃいるいるけど、これを避けることは出来ない。後はじっと静かに息を引き取るだけ。

投稿者 zuiryo : 11:06 | コメント (0)

認知症一歩手前

最近特に、もの忘れが酷くなり,少々心配になってきた。まだその自覚があるうちは、まだましで、その内,朝飯を食って間もなく,飯はまだだ!まだだ!と騒ぎ立てる、何てことは今のところない。認知症一歩手前っつ所で、辛くも踏ん張っている。いずれにしても遠からず阿呆になること間違いなしなのである。だからといって何か良い方法があるわけでもなく、ただ呆然として佇んでいる。これが今の私なのである。依って、トホッホッなんて言ってる場合じゃないっつ~の!しかし此処を上手にすり抜ける手立ては一切ない。腹をくくって、テヤンデ~ッ!と開き直るしかないのだ。悲しいことだがこの老化から逃れる手立てはない。張りのある艶々していた肌がしわくちゃになって、みんな「梅干し爺・婆」になるのだ。まだしわくちゃ爺婆だけなら本人の問題で済むが、それに阿呆がくっついてくるから厄介なので、周りの者に迷惑掛けまくって、本人は澄ましているのだから、堪ったものじゃない!そう言っている私もやがて、周囲に迷惑掛けまくって死んで行くのだ。トホッホッ!何て言ってる場合じゃ~ね~っつ~の!

投稿者 zuiryo : 10:18 | コメント (0)

2022年10月12日

正眼寺開山忌

以前は前日の宿忌から出頭していたのだが,最近はさぼって、半齋当日ノミ、午前八時五十分出発、約五十分程で到着、直ぐに半齋に出頭する。年によっては大汗掻くのだが,今年は涼しくて、誠に快適、無事修了した。隠寮で仲間と老師を囲んで歓談後、下山す。途中道路も空いていて、あっという間に寺に戻ることが出来た。定点観測ではないが、毎年同じ日に行なわれる行事だから、年によっては矢鱈暑くて大汗掻いたり,今年のように涼しいくらいの年もあったりで、1年前を想い出し、もう一年過ぎてしまったんだ~!と、振りかえるのが恒例になった。僧堂に掛搭した遙か昔から、今に到るまでの過ぎ去った日々が無性に懐かしくなった。まっ、行事は毎年ほぼ同じ事の繰返しなのだが、その繰返しの積み重ねの中に、妙味がある。こうして健康で、毎年出頭出来るのが何よりも尊く、有り難い。

投稿者 zuiryo : 16:15 | コメント (0)

2022年10月10日

水引の結び方

お金包みや土産等々、お寺ではちょくちょく水引で結ぶ事がある。これも一度慣れてしまえば、どうっつ事はないのだが、慣れるまで苦労する。私も雲水なりたての頃、上の人にガミガミ叱られながら、覚えたものである。今それをうちの雲水に教えている。勿論ガミガミはない。やさ~しく教えている。ふっと、遙か昔のことを想い出した。偉そうに、ふんぞり返えりゃ~がって。まっ、そんな事はどうでも良いが、こんな些細なことでも、修行中にあった様々なことは克明に覚えているものだ。万事に達者な先輩がいて、その人に、いつも叱られていた。こんな事も出来ないのか!と。今改めて想い出し、あの野郎、偉そうにしやがって!今でも、張り飛ばしてやりたくなった。

投稿者 zuiryo : 14:01 | コメント (0)

2022年10月09日

関東の会下(えか)

関東の会下4人、今月19日にやって来ると言うので、色紙などの土産を用意した。まあ、珍しいことだ。例年の開山忌は、いまだコロナ収束しない時期で、今年も僧堂のみの,内輪の行事である。と言ってもこの4人、毎年の開山忌に律儀に出頭していたわけでもない。突如やって来るという。ともかく、有り難いことである。こうしていつまでも僧堂修行時代を忘れずにいてくれるというのは、出来るようで出来ないものだ。私も此処で雲水と修行するようになって、丁度四十年になる。あっという間だったが、もうそんな年月を経たのだ。近頃立ち居振る舞いが少々覚束無くなったが、こうしていつまでも僧堂修行を忘れずに、来て呉れるのは本当に有り難い。

投稿者 zuiryo : 16:47 | コメント (0)

2022年10月06日

俗趣味

悪気はないのだが、隠寮の庭、真っ正面に、陶製の可愛いゴリラが万歳している置物をず~っと置いていた。そこに子ゴリラを据えた私自身は大満足で、日々眺めては悦に入っていたのだが、或る日、ふっと感じたのだ。隠寮正面の庭に、こんな子供もっぽく、しかも凡そ相応しくないものを、得意満面になって置いて喜んでいるとは、なんたる恥知らずか!直ぐに撤去した。当り前のことである。取り除いてから、庭を改めて眺めた。実に良くなったのだ。悪気はないのだが、どうも私にはこう言う子供ぽい、変なところがある。周りの雲水も、心の中では、一寸相応しくないんじゃないの!と、屹度思っていたのだろうが、面と向かって言うのも憚れそのままにしていたのだ。今日漸くそこに気がついた。人は誰でもこう言う失敗をする。人に言われなくとも自分でそこに気がつくというのは,簡単なようで、なかなか難しいものだと気がついた。

投稿者 zuiryo : 11:10 | コメント (0)

開山毎歳忌

今日はうちの開山さんの命日。いつもなら昨日・今日と、二日間にわたって毎歳忌が催され、山内をはじめ法類和尚さん方がやって来て、僧堂は大賑わいとなる。ところがここ何年かは、コロナで行事は全て僧堂のみで行ない、故に境内は静まりかえっているっつわけ。まっ、これはこれで良いのだが、しかし何だか変な感じである。矢張開山忌は,沢山の和尚さん方で賑わい、バタバタするのが良い。丁度これから半齋が始まるのだが、コトッと、物音ひとつしない。静まりかえっているのだ。それではこれから時間ですので本堂へ行ってきます。トホッ!

投稿者 zuiryo : 10:07 | コメント (0)

2022年10月03日

おぼろ月・・・

今日はいつもの歯医者さんへ出かけた。別に虫歯が痛み出して行ったわけではなく、毎月の定期検診である。歯医者さんは通常、痛み出して駆け込むというのが多いが、私の診て貰っている歯医者さんは、平生の管理が肝心と言うわけで、何処も何ともないときに、定期的に歯の状況を点検、しっかり掃除をするっつわけ。お陰でここ二,三十年間、歯は完璧!私も間もなく80歳だが、どんな堅いものでもバリバリ小気味よくかみ砕いて行くほど立派な歯である。遙か昔、丁度今の私と同年齢の方が、総入れ歯で、話をするとき、大きく口を開けると、歯はそのまま上下かみ合ったまま残って、思わず吹き出しそうになって堪えたという事があった。まっ、何事も平生が肝心なのである。ふっと机の前を見上げると、愛犬ハチの写真が衝立に飾られ、こっちを見ている。「ハチ!お前のことは絶対に忘れないからな~っ!」と、いつもそう話しかけている。

投稿者 zuiryo : 14:07 | コメント (0)