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2022年11月29日
忘年会
親しい友人三人で、ひっそり忘年会をやった。ちょくちょくお目にかかっているので、特別話すこともないのだが、まっ、一年の区切りと言う事である。もう八十、こんなことも後、何回やれるかな~。今日は朝からどんより曇り空、ふっと外を眺めたら、ポツリポツリと冷たい雨が降り出した。昼間というのに、薄暗くなって、まるで夕方のようである。人生の晩年に差し掛かり、今の私の心境そのものである。最近近しい人が死に、一層もの悲しい心地である。いずれ、今度はこっちに番が回ってくるわけだが、ボツボツ、終活でもやって置こうかな~。
2022年11月27日
終日無為
今日は朝から何もしないで,終日無為に過ごした。居室の机の前、ガラス窓越しに鬱蒼と茂る山が見える。風に木の葉がユラユラと揺れ、そこに夕日がサンサンと注ぎ、静まりかえっている。ふっと、友人の死を思った。つい先日、一人っきりのアパ~トで、静かに息を引き取った。全くの孤独死であった。まっ、覚悟の上のことだから,周りがとやかく言うこともないが、寂しい~っ!と思った。幾ら周りの人たちに囲まれた死であっても、死は常に孤独だ。周りがガタガタ言う事はないが、死の寸前までの境遇が問題である。まっ、それも全て本人承知の上のことだから、外野席から、どうのこうのという事はない。死んだら後は皆同じである。しかし人は死んでも思いは残るからね~。
2022年11月25日
終日部屋籠もり
今日は終日部屋に籠もって溜まった仕事をせっせと片付けた。溜まったと言っても、そうたいしたことではない。私にしてみれば、溜まったな~!と言うだけ。元来不精者で,いつも机の上は様々な書類で埋もれ、こぼれ落ちそうな状態である!要するにだらしないのだ。これは小さい頃からの悪癖で,お袋にいつも注意されていた。にもかかわらず、この調子でやって来たのだから、いわば筋金入りなのである。まっ、結局死ぬまで治らないだろうと思っている。何だか書類で机が満杯になっているほうが,心地よいのである。これじゃ~綺麗になるわけ無い。窓の外を眺めると、鬱蒼と茂る山の緑が覆い被さるようである。今日は無風で,ソヨともしない。時間が止まったようだ。うちは比較的街中に有るのだが、搭頭寺院が参道両脇に並び、その一番奥まった処に僧堂は有るから、実に静寂で、山に囲まれ、奥深い山中に有る趣なのである。
2022年11月24日
サッカ~、ワ~ルドカップ
個人的には普段、サッカ~など見たこともないのだが、ワ~ルドカップとなると話は別で、テレビに釘付けで、思わず大声を上げて日本を応援した。サッカ~も、正直なところ、世界となると日本などはビリッケツで、像にハエが止まっているような感じだが、にわかに祖国愛に目覚め、弱小日本の選手に、テレビ越しながら大声援を送った。まっ、結果は善戦健闘ながら負けた。しかし負け戦でもその内容が問題で、よくぞ頑張った!と、称えたい。普段はサッカ~試合など殆ど見たこともないのだが、世界を相手に戦う祖国日本となると話は別で、愛国心がメラメラと燃え上がり、声を限りに絶叫し、応援した。振り返って、少々大人げなかったかな~と思ったが、別に人に知られるわけでもなし、たまには、こう言うのも有りでしょう~ね。
2022年11月23日
又々、へんてこりん
パソコンがへんてこりんになった。またかよ~ッ!雲水に来て貰って無事解決。それは良いが、どうも最近、私のパソコンが悪(わる)に狙われているように気がする。この調子では、また同様なことになるだろうと思っている。大体,パソコンは,80過ぎの爺がいじる代物ではないのだ!しかし解っちゃいるけど、止められない。便利でタダっつうのは、何処か怪しい?そう思うでしょう!まっ、トラブルっても、そう大層なことでもないから、若い衆に、ちょちょっとやって貰えば即座に解決ってわけ。これで済んでるから良いようなもの、やがてこれでは済まなくなったらどうしよ~っ?と余計な心配をする。そもそもこの程度の理解力でパソコンをイジルっつ事が大間違いなのだ!しかし解っちゃいるけど止められないのだ。
2022年11月20日
ロンドンの友人
以前は彼が起こした小さな坐禅堂の指導のため,毎夏出掛けていた。しばらく続いたのだが、興した友人に意欲が無くなり,自然消滅となった。そして私のロンドン行きもバタッと途絶え、さらに友人とも交流はなくなった。相当年月が経ち、最近日本の友人が、そのロンドンの友人と交流が続いていたようで、先方が新たに転居した住所や、最近の様子を伝えてくれた。交流復活を願っての温かい配慮である。ところが私はその方のようには思わないので、一寸連絡してみたが旨く繋がらないので、ヤ~メタ!になった。どうも人間関係はいろいろ難しいものだ。双方の気持ちがピタッと合致しないと、一寸したことでたちまち崩壊してしまう。まっ、こう言うのも人に依るのかも知れないが、私は概して淡泊な性格なので、こうなるのだろう。「縁があったらまたお出で」
2022年11月16日
トロイの木馬ウイルス
パソコンで作業をしていたら,突然ヘンテコリンになった。パソコン操作にはまるで駄目な私はお手上げ。直ぐに雲水に見て貰い、事なきを得た。パソコンも大変便利で良いものだが、たまにこう言うことがあるので,頭がボ~ッとしている私などではまるで対応できない。お陰様で,若い雲水がいるので、即座に解決してくれる。まるで神様に思える。大体80歳の超老人がいじれるような代物ではないのだ。と言うことで、このトラブルは一件落着。ロンドンに古くからの友人がいる。最近彼が本を出版、それを頂いた。そこでお礼の一言でもと思い,電話したが幾ら呼び出しても全然反応なし。確か8時間の時差があるので,それを計算してこの時間にと思ッたのだが、ダメ!止めた!
2022年11月15日
干支の色紙
毎年お正月に信者さん方に差し上げる干支の色紙が出来上がってきた。原本1枚描いて,後は全て印刷、千枚ぐらいプリントする。出来上がりを手にして、いつも思うのだが、「イマイチ」なのだ。しかしこれが私の限界なのだから、仕方ない。これで納得する。こう言うのも、あと何年続けられるのかな~、とふっと思う。満80歳を過ぎた。余命幾ばくも無い。こんなことを言うと、背中の方から冷たい風が吹き抜けるような気持ちになる。自分で言って置いて、自分でガクッとくるのだから、始末が悪い。修行中二人の師匠に就いた。お二人とも幼年期から小僧をされ、いわば筋金入りだった。それぞれに思い出がある。今振り返って,私のような軟弱の輩では、側にも寄りつけない方々だった。今、お二方の年齢に近づいてきた。何だか言わずもがなが、ふっと解るような気がする。
2022年11月12日
久し振りに伊深へ
伊深の短大に集まりがあって,久し振りに出掛けた。私はたまに顔出していればそれで済むが、直接日々面倒を見ている老師は本当にご苦労様だな~と思った。運命と諦めて貰うしかない。そもそも梶浦逸外老師が発願され,起こされた学校である。まっ、新たに立ち上げることもご苦労だったと思うが,それを否応なく引き継がざるを得ない後継の老師も、猶ご苦労さまな事である。しんどいからと言って投げ出すわけにも行かず、頑張ってやって行くほか無いのだ。人にはいろいろな運命がある。心ならずも引き受けざるを得なくなり、言いたいことは色々あるだろうが、じっと辛抱しながら、守り続けてゆく、これも尊いことで,頭が下がる。こうなったら覚悟を決めて頑張って貰うしかない。悪いときはじっと辛抱して堪え、やがて良いことがやって来るのをじっと待つ、この繰り返しが人生、頑張って欲しいとしみじみ思った。
2022年11月10日
ほっと一息
一昨日、入制大接心が無事円成して、ほっと一息ついている。まだまだこれから毎月冒頭一週間、大接心が続くので、少々オ~バ~だが、そう言う気持ちを維持して行くことが肝心なのである。他人様のことをとやかく言うのは憚ることだが、あるお師家さんは、大接心が終わるやいなや、バネ仕掛けのピンポン球がはじけ飛ぶように、早朝より何処かへ出掛けて、夜遅く帰ってきていた。今私が同じお役目を頂き、思うのは、こう言うのって全く理解できない。バカか!と言いたい。年を重ねれば重ねるほど、この1週間で消耗する心身のエネルギ~は相当なもので、無事円成すれば、ガックリ来る。ゆっくり部屋で体を休めることだ。何処へ行くのか知らないが、尤も車の運転をしていた雲水に聞けば解ることだが、バネ仕掛けではじけ飛ぶように、早朝より開枕後まで,出掛けて行く。バカか!と言いたい。お偉いお師家さんいこういう言い方は失礼で,憚ることだが、それを承知であえて言わせて貰う。まっ、そう言う方は師家にならない方が良いって事である。だが成ってしまったのだ。ボタンの掛け違いである。師家だ老師だなんぞと人から言われるようになると、途端に特別なエライ人にでもなった気になりふんぞり返って、万事に上から目線で雲水に対する。こう言う軽薄でウスッペラのペラペラ野郎はさっさと消えて無くなれ!である。まっこの辺で止めておく。こういうのって、言っている自分が惨めになるだけだから。
2022年11月07日
本日接了
11月1日から始まった入制大接心も今日が接了である。昨日は信長祭りとやらで、柳ヶ瀬編辺は大賑わいだったようだ。何とかいう有名な俳優が信長に扮して練り歩くというので、空にはヘリコプタ~がバリバリ大きな音を立て飛び、喧しいったらありゃーしない。こっちは良い迷惑だった。一転今日は静寂そのもの,漸く普段の空気になった。まっ、商売人はこのときとばかりに目の色変えて張り切る。それはそれで結構だが、あのバリバリだけは止めて欲しかったな~。目くじら立てて言うほどのことでもないが。1日から始まった入制大接心も早や、今日は接了、あっという間だった。私もこう言う生活が、早や四十年にもなった。月日は百代の家客にして・・・云々という有名な一節があるが、本当にその通りである。やがて、あっという間に死んで、この世ともオサラバ!となる。ぎゅっと詰まった人生のようにも思うが、何んにもなかったようにも思う。
2022年11月05日
静かな一日
入制大接心五日目、良い天気に恵まれ、午後四時、間もなく薬石。日中、山の木々はソヨとも動かず、静まりかえっている。こう言う穏やかな一日も良いものだ。自室の窓越しに鬱蒼と茂った山が見える。静まりかえった境内、殆ど無風、穏やかな初冬の日差しが易しくさしている。いつもの通りいつものように時は流れて、間もなく薬石、六時から禅堂で雲水と坐る。僧堂生活は実に単調で、ほぼ同じ事の繰返しである。これが何より心癒やされる。ふっと雲水の頃を想い出した。当時仕えていた老師は、こう言う単調な日々は堪らないらしく、大接心が終わるやいなや、鉄砲玉が弾き飛ばされるように、勇んで外出された。今思い返しても,何とも不思議な感じである。何事も無く静かに流れる時こそ貴重な価値だと思うのだが・・・。まっ、ひと様々って事かな。
2022年11月03日
ふっと、友のことを想い出し
大接心中なのに、ふっと友のことを想い出した。ついこの間、たった一人っきりの部屋で、孤独の中で息を引き取った。まっ、そう言っちゃ~悪いけど、身から出たサビ。本人も覚悟の上でだから,周りの者がとやかく言うのも憚れるが、葬儀当日は子供達を始め親戚縁者もそれなりに集まって、小規模ながら心のこもった葬儀であった。彼とは高校1年生の時、同じクラスになって、不思議に気が合い、爾来今日に到るまで,お付合いが続いた。彼の人生は波瀾万丈、浮き沈みの激しい、傍から見ていても、この先どうなる?と心配になるようだった。最後はアパ~トの一室で、孤独死だった。これを傍からとやかく言うのは憚れるが、まあ、余り幸せな最後とは言いがたい。しかしこれも本人覚悟のことだから、良しとする。多分日頃、殆ど行き来は無かったと思うが、そう言う中にあっても、彼を思う人たちが集まって心のこもった良い葬儀だった。人の価値は棺を覆って解ると言うが、結構ハチャメチャな人生だったが、本人は一生懸命生きたのだと感じた。