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2022年12月23日
歳末
22日早暁、恒例の臘八大接心が首尾円成した。毎年恒例の修行で、特別どうっつ事もないが、これがお終わると、ほっと一息つく。冬期の修行は来年二月末まで続くのだが、一年通じて最大の修行で、皆、まなじりを結して頑張る。私も雲水時代から数え切れないほど臘八を繰返しやって来たが、何年やっても、その度に緊張して、奮い立つ。これが終わると1日休んで,翌日から歳末の大掃除にかかる。本堂や庫裡を始め,沢山の建物を片っ端からすす払い、はたきを掛けて、徹底的に拭きまくる。雲水の頃、矢鱈万事に徹底する奴がいて、板の間・柱拭き・果ては天井まで雑巾掛けをさせられ、閉口したことがあった。まっこれは少々やり過ぎだと思うが、兎も角普段やらないところ、隅々まで拭きまくった。気持ち良いと言えばその通りだが、冷たい木枯らしが吹き、雑巾をすすぐときは手が痺れるほどの冷たさで、「こりゃ、地獄だな~」と、思ったものだ。それでも隅々まで綺麗になると、気持ちの良いもので、その時の清々しさは今でも忘れられない。何事も少々辛いぐらいが丁度良い。
2022年12月16日
あっという間に・・
ついこの間、もう12月なんだ~っ!、と思ったら、既に半月が過ぎた。何だか気がせく。別に普段と実質は変らないのだが。これは新聞やテレビに影響されて、勝手に忙しい忙しいと思っているのだ。万事他から影響を受けやすい性格がわざわいしている。しかし解っちゃいるけど、治らない。思うに,こう言う性癖は小さい頃からで、屹度死ぬまで治らないと思う。午前中ある捜し物をした。一生懸命、眼を皿にして探したが、ついに見つからなかった。諦めた。と言いながら,何処かにあるはずだ!と思っている。始末が悪い。何となく年末だと思うと、急に捜し物をしたり、余分なことを始める。落ち着け!落ち着け!そう自分に言い聞かせながら、益々慌てるのだから、始末に負えぬ。トホッホッ!
2022年12月01日
お歳暮
毎年の事ながら,毎日次々にお歳暮が贈られてくる!有り難いことで,申し訳ない気持ちで一杯になる。一年振り返ってみて、私はどれだけ他人のために働いただろうか。こう言うご厚情を頂く資格はないな~と、改めて思う。毎年そう思うなら、次の年には余程他人様のために頑張るかというと、スッと忘れて、今まで通りとなってしまう。これでは何も思わないのと一緒じゃないか!そう自ら戒めているのだが・・・。お歳暮のシ~ズンは私の懺悔のシ~ズンでもある。また今年1年間をいろいろ思う時期でもある。思ってる思ってると言ってる割には、その結果が現実に現れていない。だからこの季節は悔恨の時でもある。たとえ半歩でも前進したいものだ。
終日、居室に籠もる
外は穏やかな初冬の日和、部屋で終日、机に向かって仕事。と言うと聞こえは良いが、まっ、いろいろ雑多な処理で過ごす。たまにはこう言う日も設けないと、机の上がしっちゃかめっちゃか、手の施しようのない状態になってしまう。これは小さい頃からの悪癖で、それが今なお続いているわけである。しかし正直言うと、この年になっても猶、直らない悪癖に、我ながらホトホトあきれ返っている。もうこれは改めようなんぞと思わない方が良いと、心に堅く決めている。ものは考えようで、一端そう思ってしまえば、気楽なものである。思い煩うこと何もしなしとなる。遙か昔、子供の頃いつも、ばあばに、ガミガミ叱られていた。フ~ン!てなもんで、全く意に介さず、頭っから無視していた。それが祟って、80歳の老人になっても今なおそれを引きずっている。トホッホッ!
あっという間に師走
ついこの間、正月を迎えたと思っていたら,何と!早や師走ではないか。驚いたの何んのって、じゃ~この11ケ月間、一体何をしていたのか!無為!ガ~ン!こんな調子で過ごす人生に何の意味があるのか!ガックリ来た。まっ、平穏無事、と言う見方もあるので、全て無意味というのは偏り過ぎの感じもするが、ものには両面ある。改めて別の角度から検証し直してみるのも良い。私は齢、80歳、いつ、この世にオサラバしても不思議ではない。で、思った。頭の中のゴミやホコリを吹っ飛ばし、「無」にしておこう。元々無でこの世に生れてきたのだから。